スピード感のちがいはストレスでもあり恵みでもある
スピード感が合うか合わないかって、結構その人とつきあいやすいかどうかに影響が大きいと感じます。
仕事をする上ではこのスピード感のズレはとくにストレスになります。
仕事が早いとか、レスポンス遅いとか、実はめちゃくちゃ主観なので、どのぐらいでレスが返ってくると早いと感じるかどうかは人それぞれ。ただ、相手が許容範囲を超えて遅いと、待たされている側にはストレスです。
いっぽう、仕事がスムースにサクサク進む相手とは、たとえやることが多くて忙しくてもあまりストレスにはならない。
ただ、スピード感が違う人と何かを一緒にするのは、自分の世界の常識がこわれたり枠がはずれたりするので、悪いことばかりでもないです。
効率ばかりをもとめて、隙間なく時間をうめてしまっていると、身の回りにある豊かさに気づけず、心が痩せていってしまう。そんなときに、ゆったりとしたスピード感で過ごす人と接すると、自分の状態に気づけたり、ほっと息をついてリラックスできたりします。
スピードが速ければよいってものでもない。
1時間でやっていることを30分に縮めることで得るものもあれば、2時間かけてやることで得られるものもある。
スピードの速さだけを追求しちゃうと、自分だけどんどん早くなっていって、周りがみんな遅い、もっとひどいと無能に感じちゃったりも。
すると、人に任せていられなくなって自分で背負い込み、さらに忙しくなってさらに速さを追求するようになる。
周りがみんな無能に感じた時は、そうなっているサイン。あえてもう次の仕事を背負うのをやめて、他人にそれをふっちゃう。
「わたしは今ていっぱいなので、この作業はだれかお願い」
これ、結構こわいことだったりします。だって、自分的には今すぐ片づけたいことだし、自分がやったほうがうまくできるし、放っておいたら誰もやらず結局自分の首をしめることになるかも、って思うから。
でも、あんがい、このこわい時間は長くなくて、だいたい誰かが「私やりますよ~」といってくれて、しかも、自分がやるよりずっと丁寧に仕上げてくれたりするのです。
自分だけスピードがあがっちゃっていると、周りの人の才能を発揮する機会をうばっちゃっている可能性がある。実は頼んだ方がずっとよいものができあがるかもしれない。自分だって他のことができたり、休息時間がとれてリフレッシュできたりするのに。
でもって、いつもゆっくり目な人は逆に、ちょっと緊張するようなスピードの速いところに身を置くと、やっぱり世界観や枠が広がるし、自分のスピードももっと速くできるかも、ということに気づけたりします。
スピード感が同じ人どうしでなにかすること、違う人となにかすること、それぞれ恵みがあるし、またストレスでもある。
ストレスであったとしてもそれは、相手の人格のせいではなく単なるスピード感の違いだけかもしれない。
そういうときは、自分のスピードをちょっと意識してみると、楽になることが案外あります。