ありきたりの奇跡
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
年末28日からインフルエンザで寝込み、そのまま年を越しました。
今日からやっと食事も普通に食べられるようになり、7日ぶりに外気にふれてきました。近所の神社にお参りにいって、駅前のスーパーに買い出しにいっただけなのですが、体力落ちてるから1時間足らずでめまいがしたので、早々に帰宅しました。
そんなわけでいつもは帰省する娘も戻らず、一人で迎えたお正月。そういえば、娘が中学、高校の頃のお正月といえば、二人で駅前のショッピングセンターをぶらぶらし、最後は本屋でお互い10冊ぐらい好きな作家の本を買いあさるのが恒例でした。
最近はめっきりリアル書店に足を踏み入れることがなくなってしまい、そのことに特になにも感じていなかったのですが、今日この記憶がよみがえって、あの時間はとても豊かだったなと懐かしくなりました。
普段の休日もそんな過ごし方が多く、お正月といえども変わったことのない、なんということのない時間だったのに、この記憶は今では宝物です。
そう思うと、気づかずに過ごしてしまっていたけれど、今にしてみればかけがえのない、とてつもない豊かな時間というのは、今この瞬間だってそうなのかもしれません。
10年後に振り返ったとき、今日の一人のお参りも買い物も、ああ、あのときは一人で好きなところに歩いて出かけていっていたんだよなとか、思い出すかもしれません。あのときはあんなに空は青く澄んで、街も穏やかに美しかったんだよなとか。帰りにショートケーキを買って目が回るくらいおいしいと感じたなとか。
この家に住んでいたんだよな、あの友人たちがいてくれたんだよな、家族は元気にしていたんだよな、あんな仕事をしていたんだよな、空気が冷たくて気持ちよかったんだよな、お寺の太鼓が鳴り響いていたんだよな、鳥が楽しそうにさえずっていたんだよな。
あたりまえすぎて素通りしていること。でもそれらはすべて、当たり前じゃない。今となりを歩いている人が今となりにいることだって、奇跡の一瞬なのです。
今ここにいられること、この場所が存在していること、日本が平和であること、地球が保たれていること、自分がいまある健康状態でいること。いつなにがどうなるか、本当にわかりません。
天災や戦争、環境破壊、コロナのような予想外のできごとがあったり、自分や家族の健康状態だって、なにか一つ失われただけで、変わってしまう。
そしてそれは必ず変わっていくものだから。
悪いこともよいことも起き続け、一瞬たりとも同じであり続けることはない。
だから、いま私の周りにあって、この瞬間の私をこの状態にあらしめているものすべて、それらがあってくれることの奇跡を味わう以上の幸せなんてないのです。失った過去も、まだ手に入れていない未来も、いま五感で感じることはできません。
娘といった本屋の帰りの本の重さも、今感じることはできません。重いね、って言い合って苦笑いすることも。
つまらないものなんてひとつもない。今というこの瞬間。失ったものがあってもまだ手に入れていないものがあっても、今この瞬間がすべてです。
この奇跡の瞬間に感動し続けることしか、もうしなくていい。そういう人生のフェーズ、そういう世界でこれからは生きていくんだなと静かな確信が広がっています。