変わる私たち。変わらない関係性。
世の中はすぐに変わってしまう。
「スマホは使いづらいから」とガラケーを愛していた頃から10年も経っていないのに、今では朝起きても、移動中も、仕事中も、寝る前もスマホを片手にしている。
その時その時で「いい」ものも変わってしまうから、それに合わせて自分も変化していくのは自然なことなのだろうなぁといつかの今日のダーリンを読んで思った。
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今日は、15年間お世話になっている美容師さんのところへ髪を切りに行った。美容院へは片道1時間ちょっと。ずっとかよった駅で降り、歩いて美容院へ向かう。「いらっしゃい」と変わらない声で迎えてもらい、「今日はどうする?」と15年間同じ言葉で始まる。もう15年も通ってますね、と話すと笑いながら「変わらないね」と答えた。そして続けて言う。
「多分まわりから見たらすごく変わってると思うんだけど、お互い“変わらないな”って思うよね」
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15年の間に、私は高校と大学を卒業し、東京を離れ就職し、数年前には転職。住んでいるところは5回変わっている。
美容師さんはというと、結婚して子どもが生まれ、働く美容院をいくつか変えた後、独立。私もそれについていく形で美容院を変えていた。
「変わってない」なんてことは全然なくて、お互いさまざまな人生の転機を迎えているのに、「変わらないね」と言い合うのは傍からみたら不思議かもしれない。
変わらないね、と思えたのはたぶん、私と美容師さんの関係性が変わらないからなんだろう。何年もかよっているのに仲が深まるわけでもなく、何か月かに1回訪れては当たり障りのない世間話をする。「今日はどうする?」に「短くしたいです」と当たり前すぎる回答をする。髪型はショートかボブのどちらかだ。
この先またどこかへ引っ越すことがあったとしても、頻繁には来れなくなってしまったとしても、私は変わらずここに来て、「短くしてください」とオーダーするんだろうな。お互いちょっとづつ顔に皺も増えるし、出してもらう雑誌も変わるし、話す内容も仕事のことから子どもの受験の話なんかに変わってくるんだろう。それでも「変わらないね」なんて言いながら髪を切ってもらうんだろうなぁ。
そんなことを考えていたら小さな円形脱毛が見つかって、いよいよちゃんとストレス耐性つけなきゃな、と思った日曜日の午後。髪の量が変わっても、関係性は変えたくないです。