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見えづらくなるものを、クリアに見続けること

本当に好きな人に申し訳ないなぁと、誰に向けてかよくわからない罪悪感がある。今年は見るのを迷っていたけれど、結局3試合とも見てしまった。にわかファン更新だ。

中学校の頃から4年に数回だけサッカーを見る、筋金入りのにわかファンだ。前回はパブリックビューイングをやっている六本木のクラブへ十数名で行って応援していたし、その前は確か新宿のHubで騒いでいた気がする。「みんな元気だなぁ」とテレビ越しに見ている光景の中に、昔は混ざっていたのかと思うとちょっと恥ずかしい。

今年はすっぴんでも行きやすい飲み屋で友達と待ち合わせをした。お客さんは大学生くらいの男女6人、社会人3人、そして私たち2人。2杯目で早くもホット緑茶を頼み、椅子の上に体育座りしながら試合を眺めていた。日本戦が終わると、飲み屋の店員は気を利かせて、コロンビアとセネガル戦にチャンネルを変えた。結果を見届け、そしてもとのチャンネルに戻った。

目の前のことに追われると、つい「そもそもこれって、何が目的なんだっけ?」ということを見失いがちだ。そして、見失っていることに気づかず、いつのまにか違う選択をしてしまう事態に陥る。

以前の仕事でエンドユーザー向けに商品を作っていた時、売上確保のための施策を考えることがあった。1商品を値上げしようとか、ほかの商品と抱き合わせで必須化しようとか、色々と案が出ている中、ふと疑問に思った。

「そもそも、エンドユーザーが契約すればメリットが出る商品を作っているのだから、売れてないのはニーズが無いということ。『売り方』も大事だけれど、『商品の設計』も見直しが必要なのでは?」

開発してからエンドユーザーの手に渡っていくまで、ざっと数えても4~5つ位の部署を挟んでいる。なので一概に「商品の設計が悪い」とは言えないけれど、それなら「なぜ売れていないのか」の分析から始める必要があるんじゃないか。気になりだしたら止まらなくなった。けれど、幹部に話しても「もりやさんはピュアだねぇ」と言われて終わってしまう。私はこの商品を、「会社の売り上げを伸ばすため」だけに作ったのだろうかと、すごくモヤモヤした。

もちろん、売り上げが立たなくては作った意味がない。ボランティアでやっているわけじゃないのだから、どうしたら売上が伸びるかを考えるのは大事なことだ。けれど「買ってもらう」ということは相手にメリットがあったり、必要だと思ってもらってこそ。“買ってくれないなら無理やり買わせる”のは、目的をはき違えているような気がする。

”ピュア“で片づけられてしまった理由は、周りの環境も影響していると思う。幹部社員は役員から数字の目標を下されている。それに達しない場合は、理由を説明する必要がある。「なぜ売れていないのかからリサーチしたい」なんて言ってしまうと、いつまでに、どうやってやるんだとか、それで売り上げが伸びるのはいつなんだとか、恐らく役員に相当詰められるのだろう。自分の部署だけでの解決は難しいことでもある。

私がのんきに言えたのは、そのプレッシャーが無かったことと、現場感の一番わかりやすいところにいたこと。“上からの命令は絶対”をもろに受けない身としては、見方によってはピュアなのかもしれない。

周りの環境に左右されず、目的を見失わず、冷静に判断をすること。そして、リスクを取ってでもその道を選択すること。責任の大きい役職になればなるほど、それはかなりハードルの高いことなんだろうなぁ。

家に帰り、ツイッターを見ると賛否両論が飛び交っていた。朝起きても、夜ご飯の時間でも、テレビは昨日の話題が流れている。

毎日noteメンバーのnoteを見た。やっぱりなにかを物申すには、少し罪悪感がある。私は何も言わず、「スキ」を押した。

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毎日数人でお題を決め、noteを書いてます。ハッシュタグは #毎日note
テーマ #選択

にわかファンには、書きづらいテーマでした。

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