その選択は、流されたのか自ら流れに乗ったのか

子どもが最初に出会う大人は自分の親で、しばらくの間(または永遠に)彼らの生き方をスタンダードだと思い込んでしまうことが多い。

サラリーマンと公務員の両親に、居間で毎日のんびりしている祖父母を見て育った私は、定年はある意味人生のリタイアで、そのあとは何もしないで余生を過ごしていくものだと思っていた。

大学入学してからは、両親や祖父母だけでなく、本当に色々な大人と出会い始めた。とくに渡航経験はかなり大きかったと思う。1つの会社にずっと務めなくても「間違い」ではないこと、サラリーマン以外の働き方があること、むしろ人生に「正しい」なんてないこと……。今回、「人生のリタイア」についても、もやがかかった分かれ道が1本、クリアに見えたような気がした。

今日から参加している徳島プレスツアーでは、IターンやUターンした人が活躍している場をたくさん見せてもらっている。俳優から地域起こしの仕事に転身した人、ふらりと移住してゲストハウスやシェアオフィスを作っている人、そして最後は、定年後に家族で移り住み、地産地消のレストランを営んでいる男性だ。

思い返してみると、定年後すぐの人に会う機会はこれまであまりなかったように思う。大工の祖父は60歳過ぎても仕事をしていたらしいが、物心ついた頃に祖父母はすっかり70を超えていた。

居間で毎日テレビを見る祖母を見て、「私も定年後は、こんなふうになるんだろうな」と、自動的にマインドセットされていたところに、まさに第二の人生として新しい取り組みをする男性の存在を知り、「リタイアの時期って自分で決められるんだ」と思った。

周りに似たような人が多いと、自分の人生も周りと同じように進むものだと思いがちになる。なぜなら、ほかの選択肢を知らないからだ。

「自分の人生、好きに生きていいんだよ」とか、「もっといろんな世界があるよ」とか、"自由に生きようぜ”の風潮は年々高まってきているように思う。けれど"自由に生きる”の前提として、あらゆる生き方から「自分はこうしたい」と、考えて選んだものかが大事なように思う。

どう"自由に生きる”か、ちゃんと自分の意志で選ぶこと。放っておくと周りに流されてしまいがちだが、流されてしまうのと自ら流れているのでは全く違うように思う。流れるように選んだ選択肢について、もう1度考えなおしていきたい。

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もりやみほ
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