やるべきことの取捨選択について
仕事をするなら全員の意見を反映したいし、携わった記事を拡散するにはSNSのフォロワーを増やしておいたほうがいい。出来るならエモい文章も、ハウツー記事も書けるようになりたい。英語も、中国語もペラペラになりたい……。
周りの人がもっているものを羨ましがって、自分に足りないものを頭の中で一つずつ並べ、出来ないことの多さにげんなりする。一体自分を何者だと思っているのだろうか……と思うほど、全方面に頑張ろうとしている時がある。そして、「自分は何もできない」なんて落ち込んでしまうのだ。
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けれど最近、その先を考えられるようになってきた。
自分は何もできない、と思った後で、「それは自分の今後を考えて、“絶対するべきこと”なのだろうか」と考える。
フォロワーを増やして拡散する方法が、私が伝えたい人に一番届くのだろうか。どんな記事でも書けるようになることが、私の本当にしたいことなのだろうか。「自分が目標としていることに対して、“やらなきゃ”と思っていることは、自分にとってどのくらい必要なことなのだろうか」を考えるようになったのだ。
どれも大切に思えてしまったり、なんでもやらないと、と思ってしまうのはきっと、やりたいことを見失って優先順位が付けられなくなっている証拠。目標を立てずに日常のあれこれを判断していけるほど、多分私は取捨選択ができる人間ではないようだ。
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「なんでも自分でやらなきゃ」と勝手に考えてしまう人は、“最終的に何がしたいのか、どうありたいのか“をもっておくと、頑張りどころ、必要ないところが見えてくるのだろうなぁと思う。人の意見にふりまわされないようにするには、行きつく先をしっかり見つめ、歩くのに必要な武器だけ揃えてく必要がある。
能力をもったたくさんの人がいて、その人のハウツーが気軽に手に入れられる時代だからこそ、自分の行き先に必要な情報を選択する力が必要になっているのかもしれなぁと、デキる人を見てざわついた心を落ち着かせるように、そんなことを考えた。
目の前のこと、しっかりやってこ。