なんでもいいから言葉がほしい
「言わなくてもわかる」が美徳とされる世界。以心伝心であるべき。星の王子様だって、「してくれたことで、見るべきだった」と言っていた。
けれども相手の行動の背景がつかめないとき、しばしば言葉に頼りたくなる。
自分に向けられた行為が他と比較できなかったり、意図がわからなかったりするものに対しては、どうしても“行動の理由”を細かく聞き始めてしまう。「してくれたこと」だけでは何も読み取れないからだ。
「してくれたこと」の意味がわからないと、どうしても言葉で伝えてもらうことを望んでしまう。抽象的な、概念ではなく、もっと解像度の高い具体的な言葉を。
*
「うまく言葉では伝えられない」時もある。概念以上の単語が存在しない時。「なんだかよくわからないけれど」が最初に来る時。行動の理由なんて正直何も考えてないよ、なんて時。だから相手は説明してくれない。説明できないから。
言葉は役に立たないことも知っている。自分の意志とは違うことも言えるし、本当の気持ちをカッコ書きにして、伝えないこともできる。
*
それでも言葉がほしいのは、どうにか自分を納得させたいのだと思う。相手が発した時の、その場の空気や緊張感、今までの行動もすべて考えたうえで、とどめの「言葉」を通して、見えるものを見ようとしている。
それに対して妄想でもいいから、想いを巡らせ、あれこれ考え、安心したり、次に行くきっかけにしたいのだ。
だから。なんでもいいから、言葉をください。
そんなふうに願う時がある。
ーーーーーーーー
毎日数人でお題を決め、noteを書いてます。ハッシュタグは #毎日note
テーマ #言葉の背後にある空気
いいなと思ったら応援しよう!
