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生かされてる喜びを味わう②
先日、元夫の祖母が他界されたので、
子供達が葬儀に行かせてもらいました。
残念ながら長女はどうしても都合がつかず
1人お留守番となりました。
子供たちにとって曽祖母にあたるわけですが、
上3人の子供たちは遊びに行くたびに孫のようにいつもたくさんの愛情で可愛がってくださっていたので、生前、子供達をどれだけ可愛がってくれていたかなど、思い出を語る時間を作り、葬儀では今までのお礼をしっかりしてきてほしいと伝えました。
身近な方が亡くなるとどうしても姉の死や兄のように慕っていた叔父の死のことが脳裏に浮かんできてしまいます。
37歳の若さでなくなった姉は、当日まで普段通り仕事に行き、体調がすぐれないからと普段より早めに就寝したところ、あくる朝ベッドの上で
冷たくなっておりました。
脳出血によるものでした。
家族誰1人として姉が亡くなることは予想もしていませんでした。
それから、数ヶ月後が過ぎたところで、兄のように慕っていた叔父も40代半ばで他界しました。
若い2人の死はほんとに辛く悲しいものでした。
姉の葬儀が終わり、数日が経ち
当時小学5年生だった長女が信条教育の時間に
命について学ぶ機会があり姉の死について
作文を書いたことがありました。
生きているのは普通のことではない
作文の内容は『明日生きているという保証はなく、私たちの体はかりもので、私たちは生かされているんだということを学んだ。こうして毎日お友達と楽しく過ごして、家族や親戚に会えたりできることに感謝して過ごしていきたい。』
という内容でした。
姉の死を通して本当に大切な学びをしてくれたと
思い、この作文をお供えしたことを思い出します。
寿命は無限ではなく有限で、しかも保証などは
なく、姉のように突然訪れる事もあります。
だからこそ、生かされている喜びを感じるため、
後悔しない毎日を過ごしていくため、そのうちそのうちとやりたい事を後回しにするのではなく、今この瞬間、全力全開で明日命が尽きてもかまわないと思えるほどに臨んでいける自分になるため
次のチャレンジを成功させようと思います。
それが守ってくださっている先祖や曽祖母、姉たちに喜ばれる事になると思うみほみほでした。