共感性の強い人〜共依存は克服出来るか?
私は物心ついた頃からとても共感力の強い人として生きていた。
人の嬉しい気持ちばかりか悲しい気持ち、苦しい気持ちまで察してしまって、まるで自分のことのように同じ気持ちになる。
時にそれは、相手に励ましを分けることも出来るが、時に自分のバランスを落としてしまうことがあった。共依存だ。
私は、自分の性格からか、弱っている人や頑張ってるけれど抜け道が見つけ出せない人、孤独に彷徨っている人の力になりたいと思っていた。それが自分の適正だと思っていた。
けれど、実際にそれを仕事にしようとなると話は別だ。
親の虐待に苦しんだ末、傷付いて大人を信じられなくなっている子ども達に目を向けた。そして個人的に支援したり、児童養護施設の職員になったりもした。
けれど、共依存で苦しみ、施設のカウンセラーにストップをかけられた。
そのまま仕事を続けることは出来たけれど、私生活に支障をきたすようになった為、お休みしたのち、退職してしまった。
今でも志半ばでその職場を離れたことには悔いが残っている。
その後、自己考察を兼ねて、一般の保育園の保育士をしながら、子育て支援についてより深く考えるに当たって、この共感しすぎる性格を何とかしないと私のやりたい方向性の仕事には就けないな、と思った。
自分の人生と相手の人生を切り分けること。
気持ちに寄り添いながらもオンとオフの境界線を持つこと。
自分の許容範囲を見極めて、それを超えないこと。
なかなかそれが難しくて、どっぷりと相手の気持ちに入り込んでしまうのだけれど、共倒れしてしまっては、相手の支えになることは出来ない。
支援というのは、継続していくことが一番大事とも言える。
少し話はずれるが、私は何らかの占いなどでいつも、向いている職業には、教師や接客業などの対人の職柄が出て来る。そうだよな〜と自分で思っていたのだけれど、最近初めて、デザイナーに向いていると言われたことがある。(私は占い信者ではないけれど笑)
その時、意外だなと思いつつも妙に肩の力がすとんと抜けた。
私は写真やデザインなどを見るのが好きだし、音楽も好きだし、そのような五感を働かせるようなものに支えられて生きているのは確かだ。
持ち物や家のインテリアなどにも私なりのこだわりがある。
それを職業にするなんて発想はちっぽけもないばかりか、才能がないと思っていたけれど、それを聴いた時に、気持ちがとても楽になったのを覚えている。
そのことがきっかけで、誰かを支える対人援助の仕事は、決して私の使命ではなく、自ら望んでいたことだと実感した。
適性があるのかどうかは今でも模索中なのだけれど、少なくとも私も心がそれ程強くない人間だから、誰かに支えてもらうことも必要だ。
年々、悲しい事象に対して、割り切って受け止めることが出来るようになって来て、共依存の時間も短くなって来た。
その影には必ず私を支えてくれる人の存在があった。私一人ではどうにもならない。
もしかしたらこの先、心が強くなって志の職業に近付くことが出来るかもしれない。
少しずつ少しずつ・・・。
本当は、ドライな性格の割り切りの上手な人が、対人援助の仕事には向いているのだろうと思うけれど、私は私なりの特性を活かして、私にしか出来ないポジションを探していきたい。
それは、もしかしたら既に日常生活の中で、少しずつ理想の自分に近づいて来ているのかもしれない。
少し遠目ではありながらも、たまに連絡をとって元気かどうかの確認をする子どもや子育てママも居る。遠方の友達も居る。
それだけで十分なのかもしれない。
50歳。自分の本当の姿が見えかけて来たところだ。
そして、共依存の克服の課題は、夢でもなくなる日が来るような気がしている。
もっと気楽に。そして、継続的に人に寄り添って優しくありたい。
自分が笑っていたら周りの人の心も溶けていくような・・・。
そんなに強い人間ではないけれど、私はそんな風に強くありたい。