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命の大切さについて考える

ほんの少し前までは、露核兵器のニュースを見ては、「もう日本も終わってる感じだし、何が起きてもおかしくない時代になったんだな」と思ってた。
これ、ネガティブな思考でなくてね。
だからやりたい事は先延ばしせず今を正直に生きよう。
私は遠い未来の為に今我慢する生き方は出来ない、と思ってた。

「〜に限って!とか、まさかそんなこと!って事が起こる時代なんだよね。父親が突然亡くなった時からずっと私はそう言う考え方なんだろう。」と思ってた。


全て過去形で書いたけれど、今、香港の息子の家に居て、地上60階からの景色を眺めていたら、もっと生きたいと思っちゃったよね。

息子の父親が末期癌が分かってあっさり亡くなってしまって、最後の方はとても辛い日々だった。息子も10年ぶりに再会して憧れるカッコいい父親の姿が日に日に弱って行くのを見るのは、どれだけ辛かったことか。

私の父親は、急死しているので、衰弱していく姿は見ていなくて、永遠にあの凛々しい姿のままだった。それがいいのか悪いのかは今でも分からないが、大学入学前の息子にとっての悲しみは、私が想像するに計り知れないものがあっただろうと思う。

だから私は、同じような道を辿ってはいけないと、私はずっと健康でいなくてはならないと、それから毎年がん検診を受け続けて来た。コロナ禍もあって、息子達ももう十分大人になったこともあって、一役終えたかな、と勝手に解釈して力の抜けた私は、去年、がん検診も特定健診も受けなかった。生きると言うことに対して、それほどの執着がなくなった。

早期発見早期治療すれば、がんも怖くないんだ、と思ってたけど、がんが見つかって治療する方が辛いと考え出したりもしていた。私の命の運命の通り生きていけばいいと‥‥。長生きしたくない、もう満足だ、と。


でもこうして今、親孝行過ぎる息子達と、一人で暮らしている母親のことを思ったら、私の命は私のものじゃないんだな、と思うようになった。

ひとりひとりの命はかけがえのないもの。母がいたから私が居て、私が居るからあの子達が居る。命は繋がっている。大事な肉親を病気で亡くした経験は、2度と味わわせてはいけない。

自暴自棄になって、栄養のバランスを考えなかったり、深酒(と言っても知れているけれど)したり、夜更かししたりしている場合じゃない。

確かに今、世界情勢は緊迫している。ロシアには早く手を引いて欲しいし、大切な命が一つでも光をなくして欲しくない。笑い合えばみんなハッピーになれるのにどうして憎しみあったり妬んだり、仕返しをしたり被害者意識になったりするのか。誰だって正義があって、誰だって気持ちがあって信念があって、色々な考え方の軸がある。色々な背景がある。

他者の正義を非難しないこと。誰かと自分を比べて卑下し過ぎないこと。ましてや暴力で相手を倒そうとしないこと。


命の大切さについて色々なことを考える・・・。

色々な景色を見て、色々なシーンに自分の身を置くこと、今まで経験のないことにもチャレンジするからこそ見えて来る世界もある。

多方面から物事を考えることの大切さ。偏った考え方に寄らないこと。


地上60階から外を眺めているとそんな風に思うのは、私の頭の中が今バグっていると言う訳ではなく、このような視界が私の内心をも変えて行くのだろうと思う。この景色から感じることはそんな世界だ。


命を大切に生きよう。


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