ギリギリのところで生きてる。
幸せと不幸せのどちらでもない場所。
生きている意味を探しながら、
生きる努力、継続する力をつけるため切磋琢磨する。
自分自身の疲弊した心と悲鳴の声が聞こえて、
時にもうどうでもよくなって、全てをそのまま受け止めて、
少しだけ心が軽くなる。
自分のキャパが少しずつ擦り減って行くのを感じ、
時に投げ出したくもなり、嘆きたくもなる。
でも、そんな生活の中にも、断片的な幸せは感じ取れて、
その小さな光を見つけたときは、まだまだ生きていけると思う。
現実の社会は、悲しい出来事の連続だ。
努力を積み重ねて結果を出して来た有名人でさえ、
一瞬にして信頼を失うことがある。
歴史を積み重ねて地道に愛されて来た老舗が、
あっと言う間に大きな災害に見舞われてなくなってしまう。
努力や継続の先が、明るいものとは限らない。
自分の命を自分で終わらせる少年少女達。
死刑判決の出た特定少年。。。
全てにはその理由があり、子ども時代に受けた虐待と
受けられなかった親からの愛情がある。
最初は、その加害者も社会的被害者だったのだ。
見て見ぬふりをしていたのは誰だ?
私は、時々、何もかも終わらせてしまいたくなる。
子育てが終わって空の巣症候群や更年期障害という名の下に
自分の弱点を知ることになる。
もう何年も闘ってきた、消えては現れるうつ症状。
いつになったら元の私に戻れるのか。
それでも時々、私はこんなにも元気なのだ。
本当は、とてもとても人生に疲れているのに。
それでもとてもとても満たされて幸せだと暗示をかける。
いや、二人の息子達が立派な社会人になって行くのを見届けられたのは、
紛れもなく私にとって人生最大の偉業であり、幸せであり、
今までの人生そのものであり、私がこの世に生まれてきた意味そのものである。
それでも、まだこれから何者かになるために
これからは一人で、生き続けなければいけない。
それは、少しだけ過酷である。
昨年、乳がん検診の再検査で良性とも悪性とも診断のつかない結果を受けて、息子達に懇願されて除去のためにメスを入れた。
その場所は今でも時々痛みを感じる。
恐ろしい部分麻酔での手術だった。
私はもう2度と乳房にメスを入れたくないと思う。
もしいつか悪性が見つかったらどうするだろう、と考えるきっかけにもなった。けれど、驚くほどに自分の人生に未練がなかった。
確実に私は、いつかの死にゆく日に向かって、
一日一日を生きている。
それならばいっそ、辛いことは何一つしたくない。
それなのに何かまだ、見知らぬ世界を求めていることも事実である。
何者になるつもりなのか。
きっと何者でもなく、ただ、私らしく、生きればいい。
私がありたい姿で居られればいい。
それは、笑顔と明るさとホッと出来る存在になることだ。
いつだって、息子達、母を初め、私を取り巻く人達が、
私の顔を見て、ホッとしてくれないと生きている意味がない。
私はどこへ向かっているのだろう。
ギリギリのところで生きている。
幸せとも不幸せとも思わない場所で。
そして、いつだって死を意識しながら、その時はまだもう少し先だと、
それまでの辛抱なんだと、、、思う自分もいたりする。
私がこの世を去るときは、周りの人に私のことを忘れていて欲しい。
見送られるのも勘弁したいし、そっと一人で目を閉じたい。
私の残りの人生へ・・・。
せっかくなら笑って過ごそうといつも思っているけれど、
心身の健康を維持することにこんなに努力が必要だなんて、
若い頃は思ってもみなかった。
心の奥底にはいつも、ひとりの寂しさを抱えて生きている。