【第九回】チャップリンの生きた道~短編・中編映画から長編映画製作へ~
本記事は【第五回】チャップリンが生きた道~私生活と映画製作に与えた影響の続きです。
チャップリンは「キッド(1912)」以降、短編・中編映画「のらくら」「給料日」「偽牧師」の3作品経て、本格的に長編映画に軸足を移すことになる。
さて、チャップリン長編映画の話の前に、「のらくら(1921)」「給料日(1922)」「偽牧師(1923)」の話をしよう。
こちら3作品はファースト・ナショナル社時代の作品である。
「のらくら(1921)」を製作する前から、チャップリンは自身の映画製作会社ユナイテッド・アーティスツを設立していた。ファースト・ナショナル社との契約を解除して、ユナイテッド・アーティスツ社で早く仕事したいと望んでいたが契約が終了していなかったため、「サニーサイド(1919)」「一日の行楽(1919)」「キッド(1921)」に続き、これら3作品を製作した。どれもクオリティの高い素晴らしい作品に仕上がっている。
・のらくら
チャップリンが「放浪紳士」と「富豪」の一人二役を演じ、おなじみのドタバタ劇が味わえる。初期のチャップリン作品を彷彿させるシーンが多く、安心感のある笑いが詰まっている。
・給料日
鬼嫁から全ての給料が奪われないように、ちゃっかりお金を隠す気の毒な夫役を演じた。とにかくギャグシーンが多く、チャップリンの運が良いのか悪いのかよくわからない状況が面白い。鬼嫁がいる既婚者という設定だけで楽しめる。
・偽牧師
チャップリンが演じる脱獄囚が牧師のなりすまし追われるが、正義感が芽生えヒーローになる。ラストシーンが粋であり、実にチャップリンらしい。本作は、実質エドナと最後の共演作となった。
思わず口ずさんでしまう「偽牧師」の主題歌「I'm Bound For Texas」も素晴らしい。
歌っているのはチャップリンではなくMatt Munro(マット・モンロー)というイギリスの歌手である。
「のらくら」制作後、映画活動から離れる必要性を感じたチャップリンは1921年9月からヨーロッパ旅行を決意した。ロンドン、パリ、ベルリンなどを訪問し、歓迎を受けた。ただし、ベルリンだけは映画配給が遅れていたため知名度が低く、熱狂的な歓迎はなかったそうだ。
そして、帰国後に契約通り「給料日」と「偽牧師」を製作し、ファースト・ナショナル社との契約終了後、自身の会社で活動をスタートさせた。
ユナイテッド・アーティスツ社で初めて製作した映画は、エドナ・パーヴァイアンス主演の「巴里の女性(1923)」である。
「巴里の女性」は前回の記事で紹介した通り、エドナのためにチャップリンが監督となり製作された映画だ。チャップリンはクレジットのないエキストラ出演のみである。
チャップリンは、本格的な映画監督として活動したいという気持ちもあり公開されたが、興行成績は振るわなかった。このような結果にチャップリンは大変ショックを受けてしまうが、批評家からは好意的な意見が多い。チャップリンの表現方法が高く評価され、後の映画製作者たちに影響を与えたとも言われている。
「巴里の女性」の次に製作された作品は、チャップリン代表作「黄金狂時代(1925)」である。
言わずと知れたチャップリンの傑作である。「黄金狂時代」の印象的なシーンを紹介しよう。
靴を食べるシーンは2番目の妻リタ・グレイ曰く「本物の靴を食べている」らしいが、チャップリンは海藻で作られていると語っている。
靴を食べるシーンは63回撮り直しされたため、たくさんの靴(海藻)を食べることになりお腹を壊してしまったそうだ。さすがに本革を63回も食べていてはお腹を壊すどころの騒ぎじゃなくなりそうなので、おそらく海藻だろう。(超完璧主義者チャップリンでも本革だけは避けたと願いたいところだ。)
チャップリンは片思いの女性と友達たちの前で、パンとフォークを足に見立ててダンスするシーンはとても可愛らしく幸せそうだ。だが、実はチャップリンの夢だったというオチで悲しいシーンでもある。
3枚目のシーンは、金鉱探しのビッグ・ジムに命を狙われるチャップリンである。飢えのあまりにチャップリンを鶏だと思い込み、ナイフやライフル銃で襲おうとするのだ。とてもベタで面白いのだが、同時にゾッとする。
人間が極限状態に追い込まれるとこんな風になるのだと。
黄金狂時代はアラスカの金鉱で一攫千金を狙う人々をチャップリンなりのユーモアで皮肉に描いている。欲に溺れる者を滑稽に見せる表現方法が、本当に天才である。
ー続く