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サピエンス科学(Sapiens Science)#13
(13)
――「Artの体現者(アーティスト)」
この言葉は現代において、エンターテイメントや芸術分野を含めた総合的クリエイションにおいて「アートの体現者(アーティスト)」として置き換えられて捉えられている。
今一度、二つの言葉を並べよう。
――「Artの体現者(アーティスト)」と「アートの体現者(アーティスト)」
この微妙な違いは別段大意から外れている訳では無い。
概ね「伝統的芸術(アカデミック)」に対立し「外輪郭世界(アウトサイダー)」に属して「我は否定する、故に我在り」とする体現者であると言う意味では。
だが、前者と後者は随筆家(エッセイスト)自身の中では少し意味合いが違う。 違うがそれはまた後段で書きたい。
今はゴッホとデュシャンである。
この二人について詳しい方には説明が要らないが、念のために簡単な説明をすればフィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホは「ヒマワリ」を描いた画家であり、大量生産品であるレディメイドの男性用小便器を「泉」として発表したのが美術家マルセル・デュシャンである。
彼らはルネサンス・ヒューマニズムのヒューマニズム(人文主義)と背中合わせの「伝統的芸術(アカデミック)」から自発的もしくは潜在的に内面的思考表現と人々の可視的事実からの解放という「Artの体現者(アーティスト)」になった。
勿論、同時代にも同じことをしていた者も居ただろうが、随筆家(エッセイスト)自身は美術史の専門家ではない。唯の随筆家(エッセイスト)である。
それには出来るだけ誰にも分かり易い人を選べば良く、ことさらに美術史の人物に造詣が深いという教養の深さを見せる書き込みはする必要ない。
ただ分かりやすく影響を与えた人物を書けばいい。だからこの二人を選んだ、と言うだけである。
そう書くと二人には大変気の毒に思うが、それが随筆家(エッセイスト)自身の真実である。
ではその二人はどのような「Artの体現者(アーティスト)」だったのだろうか。
それを次に書いてゆきたい。