入門者が瞑想する上での、3つの障り
訳者序文
これはチベット仏教の口訣に属する教えで、仏教の入門者だけでなくあらゆる修行者が心に留めておく、アドバイスのような存在です。
チベット語からの全訳になります。
作者はアンゾム・ギャルセー・ギュルメー・ドルジェ(1895-1969)という、20世紀を代表するチベットの先生です(この先生の生まれ変わりは後に探し出され活仏として認定を受けて、今ではネパールのシェチェン寺で活躍されています)。
短いですが、私にとっては大切なアドバイスです。
しかし今の日本仏教には、このようなアドバイスは、まったく不要なのかもしれません。
もちろん、すべての仏教修行者はこうあるべきだと申しているわけではありません。
今でもチベットの先生や諸先輩には、こういうアドバイスを地で行くように生きている人がたくさんいるということを、知っていただきたかったのです。
そして私個人、今月から始まって今でもずっと続いている腰と足の耐え難い痛みも、これに関連しているのではと思ったので、自省の意味も込めて公開する次第です。
仏道入門者が瞑想修行する時には、3つの障礙に注意する必要があります。
第1は、執着・嫌悪などの妄分別(気を散らす考え)が生じてくるかもしれません。
そんな時は上師へ祈願し、執着の対象などは上師を瞑想することで、障礙から解放されます。
第2は、神霊や魔などが修行者の身体に病気や痛みを与えてくる可能性があります。
そんな時は宝のような上師へ(これらの苦難を道とすることで前進できますようにと)祈願などすることにより、悪縁を純粋に喜んで受け入れることで、それから解放されます。
第3は、修行者に大小あらゆる名声・尊敬などが生じてくることです。
そんな時は障礙であることを悟らなければ、仏道修行の道を外れるでしょう。
これは障礙であると悟ることが、極めて大切です。
以上3つの障礙から解放されれば、仏道修行の道から逸脱することはありません。
翻訳:気吹乃宮(Migyur)
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