鬼月の、好兄弟
このタイトルが何を意味しているのか分かる方は、かつて台湾に住んでいた人か、もしくは台湾人のどちらかでしょう。
「好兄弟」(ハオションディー)は中国大陸で使わない中国語です。
しかし台湾では、よく使用します。
そしてこの語を知っていると、台湾人からは意外な顔をされます。
好兄弟は、日本でいう御霊信仰と関係します。
というより好兄弟とは、御霊そのものなのです。
今月は鬼月ですので、好兄弟のお話をしたいと思います。
台湾には「魂祭祀」もしくは「厲祭」という土着の祭祀があります。
孤独で亡くなった人の魂、病死や事故死や風水害の死者の魂すべてを「好兄弟」と呼び、忌み嫌うのではなく、上の写真のように店の横や道ばた、街の中に廟や祠を作り、そこにお祀りするのです。
これらは「陰廟」と呼びます。
身寄りのない魂がその土地で祟りを起こさないための、処置なのでしょう。
日本でいえば無縁仏ですね。
日本でも無縁仏は相当数いると思うのですが、今の日本社会ではなるべく見ないように、関わらないようにしている気すらします。
しかし台湾では、こうした無縁仏にも社会的地位を与えて、可哀そうだからとお祀りをするのです。
台湾って、慈悲のある社会だとは思いませんか?
しかもです。彼らの呼称は「無縁仏」ではなく、「良き兄弟」なんですよ。
好兄弟とは、彼らが祟らないための一種の隠語なのかもしれませんが、この呼び方にはどこかしら、やさしさを感じます。
地蔵庵や閻羅宮といった神廟とは異なり、好兄弟の祀られる陰廟は人間の魂です。
陰廟は神様とは区別されますが、たまに陰廟の霊格が上がると、土地や人々を守護する存在となり、普通の神様のようにお祀りされる場合もあります。
今年も鬼月が始まりましたが、台湾で鬼月は、この好兄弟がこの世にやって来る月間でもあります。
代表的な「鬼月あるある」タブーを挙げておきます:
台湾は鬼月に限らず、なにかとタブーが多い国なのですが、「洗濯物を夜に干さない」以外はわりと守れそうな気がしますね。
もっともこれは台湾ルールですので、日本にこれが当てはまるのかも疑問です(昔、これについてけっこう台湾人と議論しました)。
上記のルールはいずれも「陰を避ける」という意味合いがあります。壁際は陰の気が強いですし、夜も陰気が強くなります。
夜に洗濯を干すのがダメなのは、霊にとっての「依代」(憑依先)になるからだと言われます。
ただ仏教徒としては、どんな状況においても好兄弟や無縁仏を含む一切衆生には、慈悲の心をもって接し、救度します。かつての自分の親・縁者だったであろう(一度はどこかでご縁がある)好兄弟の苦しみを取り除いて、苦海から解放させる心構えが、大事だと思われます。
「除霊」や「悪霊退散」や「鬼は外」を大乗仏教が好まないのは、こうした観点に立っているからでもあります。
さらにチベット仏教では、彼らを救う手段として「スル」という儀式を日常的に用います。
「スル」とはチベットの主食である麦こがし(ツァンパ)を炭等で焼いた煙を土地神や地霊に捧げるもので、「法施」の一環として位置付けています。
バターやミルクを混ぜて燃やすベジタリアンのスルを「カルスル」(白いスル)、肉や血などを混ぜたものを「マルスル」(赤いスル)と呼びます。
好兄弟に対しては「マルスル」を用います。
チベットでは、彼らは通常の物品を食べることができず、ただ煙を食するのみとされるために「スル」を用いるのです。
「スル」のお経には、以下の2つの偈が登場します。
仏教はつまるところ、上の2つの偈に集約されるといっても過言ではないでしょう。
実際に「スル」では上記の2つの偈(チベット語)を繰り返し唱えるパートがあります。
要するにスルの儀式は好兄弟に対する「法施」であり、煙で飢えを満たし、怒りや怨恨を鎮め、仏教の道に入って苦しみから解放するための、すぐれた方法なのです。
もちろんツォク供養(ガナチャクラ)やサン供養(柴燈護摩供)でも、彼らを満たし、苦しみを解放することができます。
しかしツォク供養やサン供養は、メインの客人が仏陀や諸菩薩であることが、大きな違いであります。
鬼月だからといって必要以上に恐れたり、神経質になる必要はありません。
しかし目に見えないものを認めたり、敬意をはらうといった機会は、あってもいいのかもしれません。
好兄弟が1ヶ月間この世にやってくるという風習も、そういう自覚を思い起こさせるという意味で、大切と言えるのではないでしょうか。
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