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死の準備行、剥がせないレッテル

一度貼られたレッテルは、なかなかがせません。
私たちは安易に貼っていくのが大好きで、剥がすことが大嫌いだからです。

今回は「ポワ」に貼られたレッテルについて、少しお話したいと思います。


「ポワ」とはチベット仏教に存在する、行法の名称です。

チベット仏教はすでに様々な誤解を受けて日本で受容されていますが、しかし「ポワ」ほど本来の意味から離れたまま爆発的に広まった単語も珍しいでしょう。

私は今まで、このnoteでは「遷識法せんしきほう」「往生法」という訳語で表現しています。

遷識法の基本的な情報はすでにnoteで多く伝えていますし、それ以上のことはないのですが、ここで情報を少し追加したいと思います。

遷識法は別名、「瞑想いらずの成仏法」(マゴム・サンギェー)とチベット語で呼ばれます。

密教のガチ修行をやらないような在家信徒が、もっぱら行じるものなのです。多くは、高齢者。もしくは、世俗の仕事に忙しい居士。
つまり高齢者でもラクに行ができて浄土に赴けるよう、組み立てられているのです。

とはいえ、日本人からすると最初はハードルが高い修行かもしれませんが、この程度で弱音を吐いてはいけません。

僧侶でも遷識法は伝授を受けるし知ってはいるのですが、メインの行としてはやりません。あくまで副次的な行法です。

まずそういう性質の行法だということを、ご理解ください。

とはいえ、遷識法は伝授が不可欠です。灌頂もきちんと存在します。
在家の居士であっても、行じるにあたって伝授は不可欠になります。
これを受法するには、事前に密教の加行まで用意されています。

では、遷識法をなぜ行じるのでしょうか?

遷識法は複数の儀軌の組み合わせで成り立っていますが、まずは罪業浄化が最初にきます。
自分の今まで犯した罪業を見つめて、懺悔・浄化していくパートです。

これが、自分の死を迎えるにあたって必要なのです。生きているうちに自分で罪業を認め、手放していくことに仏・菩薩は喜ばれるのであって、いざ臨終を迎えたときに、都合よくは助けてはくださらないのです。

実際のところ、遷識法はほとんど、相承系譜の師たちへの熱烈な祈願と、阿弥陀如来への熱烈な祈願で構成されています。最も大切な部分は、ここです。強烈な信仰心が、輪廻を解き放ってくれる原動力となります。

しかし日本で「ポワ」を語る書籍には、ここらへんの前提がまるでないのです。
なにか脱魂のような身体的技法で意識を頭頂から抜け出す行と勘違いしているなら、それは見当はずれです。

この行法に頼るのが肉体の衰えたお年寄りであることを考えれば、マニアックな難しい技術ではなく、信仰心と加持こそが最重要な行法であることがお分かりになるでしょう。

だって「瞑想いらずの成仏法」なんですよ?
正確には「長年修習せずとも成仏できる」という意味ですが。
もちろん長年修習するに越したことはないのですが、何が言いたいかというと、それだけ加持力が強いってことなんです。

結局のところ、遷識法も本師瑜伽グルヨガの一形態なのです。だから加行の本師瑜伽をきちんと終えた人でないと遷識法は伝授されないのでしょうし、信心の強さがあれば、それだけ有利ってことでもあります。


しかし行法の誤解だけなら、「秘すれば花」。黙認はできます。

問題なのは、「Kill」の意味合いを「ポワ」という語に持たせてしまったことです。これを言い出したオウムはまったくもって迷惑千万でしかなく、「チベット仏教の受容と理解について、センスがなかった」としか言いようがありません。

教祖は実際に遷識法を行じたわけでもないし、正式に受法していたわけでもないでしょう。あったら、このような誤解をするはずがありません。きっと日本語の書籍からヒントを得て発想したのでしょうが、その文章の主旨がそもそも見当はずれだったわけです。

その書籍の深掘りは避けますが、見当はずれの説明は、そこかしこに見受けられます。

とはいえ日本だって昔は「度脱どだつ」と称して敵宗・敵教を攻撃するとか、そういう特殊案件はあったでしょうし、現代においても他宗派に好戦モードの仏教団体をお見かけします。
似たような特殊案件はシッキムやブータンでも昔、あったようです。その隠語であるチベット語もちゃんと存在しますが、それは決して「ポワ」ではありません。

しかしその隠語を使わずに「ポワ」を連呼したことにも、教祖のセンスの無さを感じます。

遷識法には自利と化他の、2つの側面があります。自分の死のための準備と、すでに亡くなっている御魂へのアプローチです。

後者では御魂の罪業を浄化し、幸せな往生を願うのですが、どうしてこの行が「まだ存命中の他者の命を奪う行為」になったり「意識革命」的な意味合いになるのでしょう?

どうか日本人が「ポワ」という単語を見ても、慈悲が欠如することがありませんように。

誤解を招かぬよう、私は今後も「遷識法」という訳語を使い続けます(日本でこの語を使用しているのは今のところ私だけ)。


おのれの死の準備は大切だし、今からでも決して早いことはありません。
「遷識法」に日本人が少しでも興味を持っていただけると、幸いです。


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