見出し画像

大阪の運動のダイナミズムと「地域」の大切さ——座談会 郭辰雄さん×三木幸美さん

Mnet2024年10月号の第一特集は「大阪における運動のダイナミズム」です。特集のなかから、郭辰雄(かくちぬん)さんと三木幸美(みきゆきみ)さんの座談会を転載します。Mnet10月号では本特集について他に6本の記事が掲載されています。目次と購入は、頁末尾にあるリンクからご確認ください。(編集記)

郭辰雄(かくちぬん)特定非営利活動法人コリアNGOセンター
三木幸美(みきゆきみ)公益財団法人とよなか国際交流協会

コリアタウンで移住連フォーラムを開催したことの意義

郭辰雄:今回のフォーラムをコリアタウンでできたことは非常に良かった。在日コリアンの抱えている課題や思いとニューカマーが直面している課題を突き合わせながら、今の日本の現状を立体的に見ることができたのが一つ。もう一つは、在日コリアン自身が日本の多文化共生と言われる、外国に繋がるマイノリティの人権を守っていくような社会に向けてどんな発信をしていくのか、ヘイトスピーチなどさまざまな人権の課題がある中で、自分たちの問題だけではない、ニューカマーの問題も含めた日本社会のトータルの課題にどう向き合うか、という問題意識を象徴的に表現できた場になった。三つ目は、コリアタウンに来て「こんなところがあるんだ」と感じてもらえたこと。そういう意味で全体基調(金和永さん)にもあったように、コリアタウンは単にコリアンが大勢住んでいる街というだけじゃなくて日本社会の課題先進地域として、いろんな人たちが繋がって、ここからどういうものを発信していくか試行錯誤する中で発展してきた場所。在日コリアンやニューカマーや日本の地域の人たちを含めた多様なセクターが繋がってできている。そういう場の可能性も感じてもらえた。

三木幸美:ワークショップをどこでやろうかとなった時、ぱっと思い浮かんだのがコリアタウンだった。社会の問題点を、歴史性を持って線として捉えることができる場所は少ない。ひとつひとつの問題に取り組む団体やコミュニティはあるけれど、土地に根ざして発展してきた場所として見た時、大阪でもコリアタウンは突出している。自分自身が大阪市内の被差別部落で生まれ育っているので、やっぱり人権を進める時に絶対、地域は抜きにはできひんというのがずっとある。部落差別をはじめ人権に関わるさまざまな課題に向き合ってきた教育が人権教育となってきたし、そういう環境で自分も育ってきた。歴史性をあらゆるものの「線」として学ぶことで、その先に何を選んでいくかということに取り組んできたので、そういう営みがきちんとされている場所でワークショップが開催できたのは本当に嬉しかった。

「地域」で取り組むことの大切さ

高谷幸:移住連は全国ネットワークなので地域に対するこだわりが共通のテーマにはなっていない。大阪ワークショップでは、地域で取り組むことの持つ意味合いを教えてもらった。

三木:1980年代、ニューカマーの外国人がまだそんなに多くなかった時代に、部落の地域が外国人を受け入れたということはすごく大きかった。私の母親は地域の識字教室で言葉や文字を習得したが、当時識字教室に来るのは学齢期に学ぶことができなかった人たちが中心で、母親は珍しい存在だったはず。地域の側は、言葉も通じないし、やり取りができないから、という理由で断ることもできたはず。でも、部落の地域の側が線を引いて排除する側になっていいのかということを問い直す場面で、そういう線引きは「あかんやろう」という答えから、地域が多様な人を受け止めてきた。「かわいそうな人を支援する」ではなく、「そこにいる一人の人間の尊厳をちゃんと守らなあかんやんか」という視点で向き合ってきた。だから、私の母親は文字や言葉を学ぶだけじゃなくて、自分の子どもが出生届も出されてないし、学校にも通えないかもしれないということを初めて打ち明けることができた。
 役所の相談窓口ではない場所(識字教室)で母が自分の話をすることができた理由は、地域に受け入れてもらっているという感覚と信頼があったからじゃないかな。「ここに、この人がいて安心する」というのは、生き延びるために大事なものだと思う。自分が生活をしている地域社会への安心とか信頼というものが、今度は自分の力を発揮するために必要になってくると思うから。支援を受けて回復するというのは個人間でもできるかもしれない。でも、生活の中で自分の力を発揮する時には、やっぱり地域に受け止めてもらったり、地域への信頼があるということは欠かせないんじゃないか。
 子どもの頃、民族学級に通う親友が本名を呼び名乗った時に皆が拍手を送っていた場面を今も覚えている。周りが受けとめることの大切さは一対一ではたぶん得られない安心。「本名を呼び名乗る」というのは、自分の中でも大きなテーマの一つ。名前に限らず、うまくいってもうまくいかなくても、自分がありたい姿を掴もうとすることをきちんと受け止めることはずっとやりたいと思ってきた。それができなかったことの裏返しでもあって、自分自身がちがいを受け止められなかった時代も長かった。「私のちがいって間違っているんじゃないか」と思い続けてきた期間も長かったし、それは自分だけじゃなく周りも大切にできない期間でもあった。

郭:周りとちがいのある自分を受け止めきれないもどかしさというか、自分の居場所のなさ、そういう感覚は僕も感じてきた。今の名前を名乗るようになったのは大学1年生から。それまでは胸を張って「俺はコリアン」と友だちに言えない人やった。だからどこかで自分を大切に思えない、だから周りともありのままに向き合えない。例えば、友だちに「家、遊びにおいで」と気軽に言えない。一世のおじいちゃん、おばあちゃんがいるからコリアンであることがわかってしまうというような不安がずっとつきまとう。世の中の空気が、本来であれば堂々と胸張っていいことでもそれができない、周りとちがうその人が悪いことのように思わせている。
 そういうもどかしさや、周りとちがう自分が自分としてのあり方を考えられる場所というのが地域というものだと思う。在日だったら、地域もそうだし、エリアに限定されないコミュニティもあった。皆がコリアタウンみたいなところで暮らしていたわけではないので、居場所をつくるための努力を皆がやってきた。その居場所の一つが民族学級。与えられたわけじゃなく、皆が「何で自分たちが当たり前に生きることが認められないのか」と声を上げてつくってきた場所。そういう歴史の中でできてきたものだから、自分が自分らしくいられる場所としても、地域やコミュニティがどれほど重要かというのは、本当に共感するところ。

大阪の運動のダイナミズム

:大阪はすごく多様な人たちが暮らしているから、そういう場所をつくるためのいろいろな努力が積み重ねられてきた。沖縄の人、被差別部落の人、障がい者、在日コリアンもそう。いろんなちがいのある人たちが自分らしく生きられる場所を求めていろんな取り組みをしてきた蓄積や経験があって、それが繋がってきた。「外国人だから受け入れる」ではなく、「支援する側/される側」の関係でもなく、お互いがしんどさを抱えている中で、一緒に生きている人たち同士の繋がりの中でいろんな問題を解決するための努力をしてきた。
 1970年代から大阪で広がっていった民族学級も、当時の部落解放教育の影響は大きかったし、そこから学んだことや、部落解放教育に関わっている先生たちが民族学級を支援して一緒に取り組んできた。在日の民族講師たちもそういう人たちから学んで、一緒に取り組みを進めてきた。昔から「支援する側/される側」という一方通行的な関係ではなく、お互いが抱えているしんどさを「何とか解決していこう、いいものにしていこう」という思いを紡ぎ合わせる営みが大阪では学校や地域、民族学級、コリアタウンなどいろんなところであった。外国人が日本人より大変だからサポートしようということだけじゃない。日本という社会が抱えている人権の問題を一緒に解決するためにいろんな視点からの議論ができる土壌がある。
 ヘイトスピーチが広がって「鶴橋に奴らがやってくる」となった時に、カウンターで何百人の人が集まった。思いはそれぞれありつつも、「在日コリアンがかわいそうだから集まる」のでは全然ない。被差別部落の人たちやいろんなマイノリティのたちが「こんなん許したらあかん」「これは日本社会が解決すべき問題だ」と集まって声を上げてくれ、在日コリアンと連帯して一緒に闘う。そういう運動のダイナミズムが地域という言葉の中にあると僕は感じる。

三木:私も、2013年頃にヘイトスピーチが激化してカウンターの活動にも参加するようになったけど、自分がこれまでに出会ってきた営みと重なる部分が多かった。中学校の時に「反差別共闘委員会」という委員会に入っていて、ちがいを持ちながら生きるということを、集い語らうことで仲間になるという実践を通じてやってきた。
 朝鮮(チョソン)子ども会、中国人子ども会「朋友」、部落解放研究会、「障害を持つ仲間とともに歩む会」があり、生徒は必ずそのどれかに参加をして、それらの代表で結成されたのが反差別共闘委員会。常に志が高いとは言えなかったし、ちがいを持っていることや、社会の中でちがいを受け止めてもらえないという思いが発露する時も多く、それがあらゆる形の暴力として出てくることも多かった。私もそういう渦中にいて「なんでこんな強い行動でしか示せないのか」と悩んだけど、委員会活動の中で納得もした。怒りの後ろには願いもあるし、どうしようもなさ、無力感、悲しさなど、いろんなものを持っていて、それが発露として出てくる。逆にそれがあるから私たちは繋がれる、と感じられた場所でもあった。
 だから、ヘイトスピーチに対してのカウンターが出てきて、差別的なことを言う者に対して自分の意思表示をするという意味での「怒り」なんだ、というのが自分の中でスッと理解できた。それまでの経緯を解釈してきた土壌が自分の中にあったので、この活動はすごく大事だなと、初めて見た時に思った。

高谷:反差別共闘委員会が学校にあるのは、やっぱり「大阪」じゃないかな。

三木:活動の議題は「卒業したら本名を名乗れるか」、「部落出身であることを、将来、友だちに話せるか」とか、未来の社会生活において自分らしくいられるかだった。でも、そういう話題になると、耐えきれなくなって教室から出ていく人もいた。自分が受け止めきれない中で議論が始まった時に、暴れて、椅子を投げたり。でも、怒りの表現方法は一つではない。人権教育を受けて自分の生活を見つめ直したり、言葉にしたり、日誌に書いて伝える営みもあった。それらを地域の人が見てくれていて、「あんた、あの時こんなこと言うてたやんか」と受け止めてくれる人がたくさんいて初めて、自分が抱えているものや将来に向き合うことができる。そこから繋がりを持って社会に出ていく、という感じだった。自分のちがいだけじゃなく、他者が持っているちがいにちゃんと連なることができる、受け止めて自分の問題にしながら闘うことができるということの頼もしさ、ありがたさ。それは自分も目にしてきたし、身につけてきた部分の一つ。

大阪の運動の特徴

高谷:大阪の運動はどういうところに特徴があると思うか?

:一つは人権に根ざした運動が行われてきたこと。人権という概念というよりも理不尽な差別のもとでマイノリティが「なんで自分たちはこうなのか」という思いを人権という考え方から言語化して、自分たちが何を必要としているのか、理不尽をなくしていくために何を勝ち取ろうとしているのか、それを運動として広げ、つながってきた。もう一つは、運動自体が非常にダイバーシティ。いろんな運動が重なり合い、繋がりあいながら存在してきた。棲み分けをするというよりは、それぞれが繋がりあって、お互いが影響し合いながら、非常にダイバーシティな空間を持っていた。在日コリアンが地域の中では被差別部落の人たちと一緒に対話ができるとか。沖縄の人たちも含めていろんな集まりの空間ができる。そういう経験が大阪にはある。大阪だから、マイノリティ横断的な、人権をテーマにした博物館、大阪人権博物館(リバティおおさか)ができたと思う。

三木:大人になってから「インクルーシブ教育」という言葉に出会ったが、そういう言葉が今ほど一般的になる前から、地域でやってきたことの中心にあったのが人権だった。距離感がうまく図れず、踏み込まれすぎてつらいという場面もあったとは思うけど、それぞれのジャンルの近さ、乗り入れ方は本当に大阪の特徴だと思う。
 コミュニティとか地域とか、少し大きい単位が個人の味方になれることも大阪の特徴。勝ち取りたい権利のために頑張るというよりは、それが損なわれている具体的な個々の人の話がちゃんとできる。地域が人の味方になるという形で機能することも大阪ならでは。その過程の中ですったもんだあるけれど、でも皆が「もっとわかりたい」「この問題何とかしたい」という味方になれるのは、大阪のすごくいいところ。外の地域から見たら「大阪って人との距離感近いやん」と言われるけど、「何とかせなあかん」という勢いで人に迫ることができているからこそ。

維新政治がもたらした影響

高谷:大阪の運動の課題として、維新が影響を及ぼした面もあると思う。それ以外の要因でこれまでの運動が立ち行かなくなっていることは?

:自分たちが思っていることをストレートに言いづらくなってきている。大阪の運動の一つの重要な部分であった労働組合も今はほとんど声を上げられない状態になっている。維新の政治になって、「言えばペナルティがあるんじゃないか」「言っても仕方がない」と、すごく閉塞した社会状況が広がり、問題提起ができない社会になっている。そうすると当然マイノリティの人権を求める声も非常に出しにくくなり、結果的にこれまでマイノリティの人権に関わって大切にしていたことが一方的に切り捨てられていく。先ほど紹介した大阪人権博物館も大阪府、大阪市が支援を打ち切ったので2020年5月に閉館し、大切な人権の学びの場が失われてしまったこともその一つの事例。どんな内容であれ、自由闊達に意見を出して最善解を皆で探していくというプロセスが地域や社会にとって非常に健全なあり方だし、大切だと思う。

三木:維新の政治が始まってから、地域で人権の取り組みがしにくくなった。拠点が物理的に奪われていくことのしんどさはある。日常の中で少しずつ話を持ち寄って「やっぱそれってあかんやん」と地域が立ち上がってきたけど、これまでのようには立ち上がれなくなったというか、立ち上がらせないように施策が進められてきた。良くない変化として、不安を自分だけで抱えて生きていくような状況になってしまっている。まだ踏ん張っている方だとは思うけど。でも、地域の場所が奪われていくという形ですでに出てきている。一見、どの施策も合理的に見えるけど、合理的でも何でもなく、マイノリティに声を上げさせない施策なんじゃないか。
 地域の場所が奪われて、最初は誰かの家で集まったりしても、それは負担も大きくて続かない。マイノリティにとって「ここにいてもいい、と思える公的な場所」はなかなかないし、生きていくうえで「いてもいい場所」は家、学校、仕事、職場だけじゃないはず。だから、そうした場所を奪ってしまったのは本当に良くない。

:いくのパークができたことが地域に与えた影響も大きい。閉校跡地が市民の自由に使える施設になったこともそうだし、生野区の多文化共生のまちづくりの拠点として、地域の課題を多文化共生で進めていくという旗を明確に出せた。もう一つは、非常にオープンな場所なのでいろんな人たちが繋がったり学んだりできるプラットフォームとしての役割を果たしている。

大阪の運動の今後の展望

高谷:移民の運動の継承も大阪がやってきたことだが、それも含めて今後の展望は?

:鳥井さん(移住連共同代表)がフォーラムの中で「もう日本は移民社会になっている」と言っていた。すでに生活者として外国に繋がるいろんな人たちが暮らしていて、その人たちをトータルで受け入れて生活できる仕組みをどうつくるかを考えていかなきゃいけない、と話していた。
 入管法の改定で永住資格取消の新設が出た時に、在日コリアンもニューカマーも関係なしに「断固反対」という声が上がった。今まで日本の外国人の課題を議論するときは一定の生活基盤があって、日本社会に定着をしている在日コリアンと、言葉や生活などさまざまな問題があるニューカマーを区分けるような考え方が強かったと思う。でも今ではニューカマーも永住者がどんどん増えて、生活基盤をもつ生活者として根付いている。そういう中で仕事の問題、在留資格や子どもの教育、地域の関わりなどの課題に直面するニューカマーと、オールドカマーが日本社会の中で共通の課題にどう向き合っていくのか、ということが今回のフォーラムの中で象徴的に見えた。だからこそ、在日コリアンからも、これまでの経験を踏まえて、多文化共生社会の実現のために課題解決に向けてどのような発信やアプローチをしていくのかが問われており、それを必要としている人たちが増えてきている。
 権利をどう守るかということと、外国に繋がる人たちがいかに地域や日本社会に参画できる仕組みをつくるかという2つが、これからのテーマになってくる。今まで参画の問題は在日コリアン、特別永住者という、歴史的特性を持っている人たちだから配慮しないといけない、という議論が中心だった。これからは日本に生活の拠点があって、一定の定着をしている、外国に繋がる人たちがどう参画していくことができるかが議論になっていくだろうし、していかないといけない。その時に在日コリアンが今までやってきた運動の組み立てや議論をどうかぶせながら、広がりのある運動を考えていけるかというのが、とても重要なテーマだと思う。

三木:多様性社会、ダイバーシティと言う際には、各々が力を持ち寄ってちゃんと発揮するというのが必要になる。若い世代にもどんどん参加してほしいし、一丸となれる場所があることで皆が差別に反対することができる。「皆で」とは言っても個別性はやっぱりあって、それぞれの歴史や運動があったことで勝ち取ってきたものがある。その強みを残したまま、一丸となるということが今後、多様性社会をつくっていく時には大事だと思っている。外国人が一丸となって頑張るということも大事だけど、一方で個別性を失わないように、それぞれの歴史や蓄積してきたものに互いがリスペクトを払いながら連携することも大事。
 イシューが先に立つと個別性が霞んでしまうことがあるけど、できる限りそうならないように、他の運動に敬意を払いながら進めていく。そういったことが、多様性が社会をつくる時には抜きにしたらあかん視点なんちゃうかなと思う。

司会:高谷幸(移住連)記録:山本薫子(移住連)

当記事掲載Mネット236号のご購入は以下のページから!

Migrants-network(Mネット)236号 冊子版

https://smj.buyshop.jp/items/92288615


Migrants-network(Mネット)236号 ダウンロード版

https://smj.buyshop.jp/items/92288730



いいなと思ったら応援しよう!