常に近くにある存在「ハニワと土偶の近代」
今日のお休みは美術館へ行ってきました。過去のnoteを振り返ってみると最後の行ったのは4ヶ月ぶり。かなり久しぶりです。
で、どこへ行ってきたかというと東京の竹橋にある東京国立近代美術館。内容は「ハニワと土偶の近代」で、ハニワと土偶が近代(明治時代)になり、どう関わっていくのかという展示になります。
最初、ハニワと土偶というのは考古学の歴史的資料だけの存在でした。
ところが、明治になったあるとき「好古と考古」という考えが出てきました。古いものっていいよねというハニワや土偶に対しての美を見出す考えの好古です。好古家なんて言葉もあるぐらいだったので、当時は相当だったと思われます。
そして時は流れ、1940年。皇紀2600年という区切りの年に古い時代を見直すというムーブメントが起こり、それとともに素朴な感じ、表情から戦争に向けての高揚の道具として利用されました。
特にこの年は「ぜいたくは敵だ」というスローガンが広まったときでもあるので相当だったと思います。美術的には表面だけをみた単一的な見方だなと思いつつも、当時の環境下をみるといかにマッチした存在かというのが創造的てとても興味深かったです。
戦後をみるとこれらの存在はナショナリズムのものからは離れ、アイデンティティも兼ねての発掘、日本的なるものと伝統への探求という形になりました。心の拠り所というか日本人としての根幹のような価値ですね。
そして現代へ向かうとこれらが一定の文化的価値となり、そこから各々が良さを見出していくという形になりました。
今回展示に行ってみて、歴史的な順番でそれぞれの時代から見るハニワ・土偶の存在あるいは立ち位置がとてもわかりやすくてとても興味深かったです。
特に現代のハニワ・土偶をモチーフとしたそれぞれの解釈には本当いろいろなものがあり、形といったものや時代そのものを見据えた岡本太郎の作品など、より身近で文化的存在となった者の中での芸術家の見出し方が面白かった。
個人的には卒業制作から2024年までハニワに振り回された「はにわ物語」がとても好きです。展示としては映像作品となりますが、これだけ人生に関わり、振り回される様子を見ていると、ハニワから逃れられない運命みたいのが見えました。
という感じで4ヶ月の美術館でした。ハニワと土偶は確かに近い存在ではありましたが、こう歴史的な関わりを見てみるとより数奇なものに見えてきましたね。
またそれと同時にこのシンプルなフォルムというのはやっぱりいい。なんなら絵文字として「┌|∵|┘」と書くぐらいにも愛されていますね。よりハニワ・土偶の存在が好きになりました。