缶コーヒーと散歩道
____ヒュッ!! スッスッス、ぽちゃん。
川原で水切りをする。空では鳶が飛び交い耳には風の音となびいた草の音。
今日も空は青いです。見える景色は変わりませんが、視界に映る緑の山々は巨大で元気をもらいます。
田舎は嫌い、田舎が嫌い、田舎者は話が通じないとよく言いますが。
私は田舎自体は好きなんだと思います。
一時間に一本のバス、男尊女卑、部落差別、偏見、暴言、嫌いなところを言い始めると日が暮れますがいうほど田舎は嫌いじゃないんだとは思います。
嫌いではない、興味がないと表現するほうが正しいのでしょう。
だけれど特別、田舎は好きというわけでもありません、冬の太陽の心地よさも深夜の虫の鳴き声も川のせせらぎも、冷えた缶コーヒーと眺める星空も好きではないのです。
そういったものに一切の興味はないのです。
おそらく嫌いなのは田舎じゃなくて田舎に住んでいる自分自身のふがいなさとやるせなさ。
その未熟さと甘さを全部田舎にぶつけているのでしょう。
世界は不親切ですが、世界は優しいみたいです。これだけ悪態をついても受け入れてくれるそうで。
そんななんとも言えない無情な優しさがなおさら私のみじめさと醜さに拍車をかけます。
今年ももうすぐ終わる、ショッピングモールのお店は携帯ショップになって、一時間に一本のバスは二時間に一本のバスになって近所のおばあさんは認知症で毎晩徘徊しています。
田舎を離れた友人の18歳、19歳までの記憶の中のまちの姿と、劣化し、寂しくなっていく一方のまちの現実。
くたびれていくまちの様子を眺めてみては、そんなことは関係ないとうそぶいて、奮い立たせてすごしてみても、まちの景色と同じように私も、私だけが、年を重ねていきます。
多分それがしんどいだけなのでしょう。
離れた土地で過ごす友人のことが想像できません。連絡は取れません。
地元を離れた何を考えているのか、離れたそこで何をしているのか。
興味はないし、興味はある。
思い腰を上げることもなく、幸せを追ってみようとは考えない。
どこにいっても変わらないし、どこにいても私は私なのでしょう。
「東京?学生時代から十年くらい住んだね。よかったけど、何もないよ、人の住む街じゃない。やっぱりここが住みやすくていい街だと思うわ。」
年末に帰ってきた一回り上のいとこの兄さんは、そう言い残し中古のミニバンで買い物に出かけていきました。
やっぱり田舎は嫌いです。