トラウマの連鎖。

通ってるクリニックの先生の判断で私がこうやって自分と向き合う時間が延びた。私ってまだこの状況抜けらんないんかな?ってそのときはちょっとショックだったけどこれも与えられたギフトなんだよね。意味のないことは起きないって思ってる。導く存在からは「今エネルギーが不足してるからちょっと休んでな」って言われてる。充分休んでるやんって思われるかもだけど楽しいとか喜ぶっていう感情を味わうことが圧倒的に不足してるんだって自分で判ってる。だけどなかなか腰が重くてね、動けん。

ずっと図書館から借りっぱなしのヨグマタ相川圭子さんの「サマディ」は「この道を進むという覚悟が必要だ」って書いてあって、え?私って悟るの目的だっけ?ってか自分出来るん?って「覚悟」という言葉に日和って一旦本を閉じた。いや最終的には読み切るつもりではいるけど。もう一冊借りてる「心の傷は遺伝する」に切り替えた。読み始めてすぐこの本も導きだって思った。「トラウマの世代間連鎖」「トラウマに苦しんだ人がこの世を去り、その人生が忘れられた後もその人の心や体に刻まれたトラウマは生き続ける。あたかも今生きている人の心や体を通して癒されようとしているかのように」。著者のマーク・ウォリンの自らの体験の話は序章のたった20頁。目の不調がこのままでは完全に失明してしまうとの診断を受け、その恐怖と不安から「気づいた人」になるために本を読み、それを書いた師のもとに赴き学び続ける。ただ辛い瞑想の修行を行ってもその結論には辿り着けず(お釈迦様みたいね)、二人の導師から別々のタイミングで「家に帰りなさい。両親と仲直りしなさい」と言われる。彼はセラピーを何年も受けていて両親との確執は癒されたと思っていた。本には彼と両親との確執がそこまで細かに書かれていないけど私は彼の境遇が特別に同情するべき酷いものとは読み取らなかった。一般的な家庭の中で起こる些細な確執。母親と話す中で祖父母が親からの愛情に関するトラウマを抱えていたことを知る。小さい頃の彼が両親に対して理由は良く判らないまま寂しいと感じたこと、反発心を感じたこと。それが引き金となって「比喩としても、現実にも盲目になっていた」ことが彼の目に影響を及ぼしていたことに気づく。両親と関係を修復し彼は「目のことを考えなくなり、良くなるか、悪くなるか、思い悩むこともなくなった」ことで視力の低下が進まなくなる。トラウマを知るには少なくとも3世代を遡って親族に起きた不運を知ることが必要だと書いている。そして「言葉」、パーソナル・ランゲージ。自身が恐れることや、身に起きたことに共通するワードがそのトラウマを知るきっかけになること。序章以降は彼が臨床心理士になり患者の発する不満や身の上話から本当は何を訴えているのかを知りトラウマを解消して行く症例が書かれているのだと思う。

私のパーソナル・ランゲージは何かって考えた。以前から自分の身に起こる不愉快なできごとの原因はなんであったか。ひとつは「嫉妬」だ。別に私は生まれながらに容姿に恵まれた人ではない。勉強も嫌いだし基本努力も苦手で非常に偏った人間だ。なのに何故か小さい頃から人間関係のポジショニング、任せられる役割り、私の性格上構築できた人間関係や、成就、未成就関係ない恋愛関係、仕事の仕方や、メイク・ファッション。何故か嫉妬を受けることが多かった。言わせて貰えば世間的に恵まれている様に見える人に私は簡単に嫉妬したりしない。いくら嫉妬しても自分がその人に取って変われることなんか絶対にないからだ。一見だけではその人が実は裏で努力をしているとか持って生まれた才能だとか計ることなんか出来ない。嫉妬なんて時間と労力の無駄だって今は判る。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?