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[闇(病み)日記 本当に酷いことってなんだよって話]
なんだかな〜。子供が中学に入って、吹奏楽部に入った。楽譜も読めないし、楽器なんぞやったこともない。で、やる気もあんまりない。そして、音楽担当の先生が長期不在のため、指導者もいない。というわけで、合奏演奏が酷いこと、この上ない。親だから、何か褒めようと思っても、正直言葉が出ない。
このご時世、みんな優しい。生徒の自主性を重んじて活動。楽しい部活。それも結構だが、合奏ってさ、できない奴がいると足を引っ張るんだよ。でも、みんながみんな、張り切って頑張る奴ばかりじゃないのは、団体活動なら起こりうる問題だから、それをメンバーで話し合ったりして、押したり引いたりしながら、全体をレベルアップしてかなくてはいけない。
たとえ下手くそだろうと、一所懸命やりましたって顔して吹いてくれたら、よく頑張ったって、たくさん拍手おくってあげるけれど、そのやる気も見えない。わたしは、部外者だから、見守るのみ。でも、ひどい状態であるときは、ひどいって言う人が必要じゃないか。あんたたちは、ここが底辺なら、あとは伸び代しかないじゃん。すごいことじゃないか。練習すればすぐに人に聞かせられるレベルになるから。
さて、話変わって、三角標では、そのへん容赦なくて、酷い踊りすると、即酷いって言われてしまう。音楽と違うのは、わかりにくいこと。特に舞踏は、他の踊りよりも、わかりにくい気がする。でも、わかりにくいからこそ、挑まなくてはイケナイ。やる気がないってのは、本当に最悪だ。この態度とか気持ちって周りに伝わるんだよ。私は、群舞が好きだ。ひとりじゃできないことを、みんなだとできるから。ただ、私は一所懸命になりすぎて、かなりうざい女だと正直思う。だから、群舞から外れようと決めた。
酷いことを酷いって言いたい。そして、三角標内部では、はっきりと言ってきた。でも、それって、相手にすれば、はた迷惑な話なのかもと思い直して、昨年から、少しずつ、私は、三角標から距離をとってきていて、2025年は、家庭の事情もあり、活動を休止することにした。
メンバーが、努力しようがしまいが、挑むか挑まないか、どうでもいいじゃない。群舞もどうだっていいじゃない。三角標がどうなろうと関係ないじゃん。そう思えたらいいなと思うこの頃である。そのくらい、いつの間にか三角標が大事な存在になっていた。だからこそ、三角標への執着を捨てよう。
ひどいのは、酷いんだよ。ひどい時は、酷いって言えて、そのことをちゃんとみんなで受け入れられて、じゃあ、どうするって前向きに捉えて成長できる関係を築いていきたい。ずっと、酷いままってことはない、要は、やるか、やらないかだけなんだよ。