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[忘備録 流体法と火の要素2]
火の要素は、私にとって苦手意識がある。それは、軽度側湾症のため、素直にエネルギーが腰から上ってこない感覚があるからである。そのため、下からのエネルギーの逃し口が、腰の上あたりにあり、どうも腰がくねくねとしてしまう。私は、自分のくねくねダンスが、とても嫌いだ。そして、下からのエネルギーを上体へうまく流せていないために、身体が分離していた。だから、日々の練習で取り組んでいることは、ここをスムーズに流し切れる身体づくり、あるいは、生じた力を逃さずに送り切れる身体づくりである。
原田先生の流体法が身体を空け渡す訓練だとしても、空け渡し方があるはずだ。それは、単に全身脱力するということではないと思っている。むしろ身体には常に不安定さとそれを探るような揺れと言うか、間が必要である。それは、全身脱力だと決して生じない。そして、その上で、どこにも意識を置かない、言い換えるとどこかに執着しない感覚が重要になってくる。とはいえ、目まぐるしく意識は動く。
火の要素がうまくできない原因を、この2年の間、自分のテキスト(舞踏譜、構成表)の理解度の甘さや、その構成力の不具合のせいではと考えていた。だから、青龍會さんへお邪魔するたびに、どのようにテキストを作成するのか先輩方に何度も質問したりしていた。身体を動かすための必要なテキストが足りてないのではと。でも今、その考えはある意味では違っていたと思っている。火の要素は、身体に内在していて、私がそれを使えてなかっただけだと。
ただ、この気づきによって、自分のソロは、これからも進化する可能性があることを知る。海牛神楽も、空蝉のテオリアも、かかしもその奥底にあるメッセージまで、私は十分に引き出せていない。そして、この気づきが、かなり気持ちを楽にさせた。三角標は毎年定期公演を抱えてるため、1年おきに新作を作る必要があって、それが結構大変であった。特に最初の頃は、メンバーも少なかったから負担も大きくて。最近は、団員も増えて、再演や自分の作品を深める取り組みもしやすくなってきた。
私は、あと二つソロの新作の構想があり、そのうちのひとつを2025年に舞台にかける予定であるが、海牛神楽、空蝉のテオリア、かかし(わたしのソロは作品タイトル)の合わせて5つを、練り直し取り組み直しながら、ぐるぐる回していきたい。丁寧に作品に向き合おうと思っている。