自分の気持ちを文章に綴るというキッカケは、子供の頃にクラスメイトと打ち解けることが出来ず
私の居場所は
学校の教室でもなく
家庭の中にもなく
図書室の本に囲まれた空想の世界でした。
そこから
自分の思いを詩にのせるーという行為は
食べること、寝ることなどの
生理的な欲求に至極近いような行為でした。
ただ
ストレスの吐口に書くというのも違い
自己顕示欲から書くというのも違うように思っていて……
駅や建造物の中にモニュメントを作る、あるアーティストの方から
「それは排泄行為に近い」
と言われた事があり、彼自身も作品を作ることは
それに近いものがあると話してくれました。
書くことをいつか仕事に出来たらな……と思うようになりましたが、なかなか筆一本だけで食べていけない厳しい世界であることは認識していましたし、生きていくことだけで精一杯なところもありましたから、一旦は筆を置こうと思う時期が幾度かあったのですが、私の文章をどこかで見たという人から依頼され、また書く世界へと連れ戻されるということが繰り返され今がありますから、「やっぱり私の居場所はここにあるのかな?」と思うようになりました。
しかし
依頼を頂いて書く……ということは、嬉しい反面
「期待されている文章が書けるだろうか……」という思いがまずよぎります。
だけど、不安は絶対に口にしません。
実冬の文章を依頼してくださった方を「大丈夫か?」の気持ちにさせるだけで、何のメリットもないと思うからです。
「精一杯頑張って書かせていただきます!」と、自分の気持ちを奮い立たせる言葉を吐いて書くのです。
書き終えるまで生きた心地はしませんが、依頼してくださったアーティストの方からお褒めの言葉をいただくと、なんとも言えないホッとした気持ちと、喜んでいらっしゃる姿を見ることに、やりがいを感じますし、それがまた次へと繋がっていくように思います。
先日、ギャラリーの方から案内状文章の印刷に入ったと連絡がありました。
その文章の朗読もオープニングに依頼されていますから、緊張感を持って当日を迎えたいと思います。
手元に案内状が届きましたら、チラッとこちらでも載せてみようかしら……と思っています。