自分に自信なんてありませんでした。
だから、
人前で自作の詩を朗読するなんて、10年前の私には全く想像もつきませんでした。
そもそも
アートエッセイストと周りから言われるようになったのは、「何か文章を書く仕事に就いた方が良い」と小学生の頃に担任の先生が蒔いてくださった言の葉の種が、私の心の片隅に残っていたことで紆余曲折あった末に「何か書きたい!」と。
書く事で私らしさを取り戻せるのではないかと思い、行動に移し、積み重ねた事での最初の肩書きでした。
エッセイは雑誌や新聞へ投稿して掲載されたこともありますが、詩はひっそりと書いて自分自身の気持ちと向き合うだけに留めているようなところが子供の頃からありました。
しかし、長年生きていると「まさか」の展開があるものです。
アーティストの友人と入ったカフェで、たまたま置いてあった童話を手にした私は、読み聞かせるでもない呟くような感じでページをめくっていました。
「朗読してみたらどお?」
友人がポツリと言いました。
「そういえば……」
学生時代、NHKの大会で賞をもらったことあったわーと。
それも自信満々にやっていた訳ではなく、たまたま友人に連れられるように放送部へ入部したことがきっかけでした。
その後、別のアーティストの展覧会でトークショーに出演するきっかけがあり、アートエッセイの依頼も頂いた折、同トークショーで共演する方との打ち合わせで「実冬さんは、今後どういった事をしてみたいですか。」と聞かれたことで、ゆくゆくは朗読をやってみたいと思っていることを伝えると、「じゃあ、トークショーでアートエッセイを朗読してみてはどうですか。」という話になったのです。
そこから
他者の詩を朗読するイベントへゲスト出演を果たし、そこにたまたまいらしてたギャラリストの方から「実冬さんは、自分で詩は書かないの?」と言われたのです。
「書いてはいますけど……イヤイヤ、とてもとても私の詩なんて人にお見せできるようなものではありませんから……」
「えぇ〜!見せてくださいよぉ〜!」
そんな押し問答が繰り広げられた後、渋々お見せした「螺旋」の詩を
「良いじゃないですか〜!こちらの詩をウチで朗読してみてはどうですか。」
てなやりとりがあって、人前で自作の詩を朗読する運びとなった訳なんです。
私の声、実はキライでした。
母親や昔好きだった人から馬鹿にされてたから……
それも、自分に自信が持てないでいる一つでもありました。
だけど、朗読表現をするようになってからでしょうか……
信頼している人達やファンの方々、そしてnoteで知り合った方々の褒めてくださる言葉を信じる事で、自分を信じる力へと変えていけるようになれたのではないかと思っています。
人前で朗読表現をするという事は、生身の私がそこに居ないと成り立たないことから、時にはダイレクトに傷を受けるようなこともありますが、
「一人でも好きだという人がいてくれるなら……」
それが原点であり、私を前に向かせる理由なのではないかと思っています。