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『犬死などとは言わせない』


お盆を過ぎても、うだるような暑さが尾を引く日々。


 だが

けたたましく鳴いていたあの蝉の声は

今はもう、聞こえない。


 梅雨が明け出勤時に通る並木道は、つんざくような蝉の声で溢れかえる。

 狂気に満ちた巫女達がいっせいに鈴を鳴らすかのような蝉の大合唱。 

 8月を迎えると、より一層その声は天高く舞い上がり、67年前の空から数々の爆弾がこの街に舞い降りたことを連想させる。

 駅から職場へと向かうために渡る橋の下を流れる川の中洲には、亀が二匹甲羅干しをし、時折魚が跳ね返っては尾を翻し水面に円を描く。

 こののどかな街並みは、かつて空襲で焼け野原となり、この川縁には多くの亡骸が積み上げられていたという。

 普段通る駅の階段には、数々の死体で埋もれ、亡くなった赤子を背負い息絶えた母親の姿もあったそうだ。 

 この国が終戦を宣言し喪失感で溢れる最中、突如攻めてきたソ連に迫害を受け、この国の一部をもぎ取っていかれた。

 今もなお、日本を取り巻く国々が我が物顔で攻めて来ては、我が国のものだとそれぞれが主張する。

 そして過去の過ちを何度も何度も謝罪させようとすることで、自らの国の志気を高めようとする愚かなやり方を幾度となく繰り返し、地球が寿命を迎えようとしているというのに、力を合わせるどころか、未来を語り合おうとはしない。

 そんなに負けた国は、目の前で過ちを犯している者に対し、何も言い返すことが出来なくなってしまうのか。 


 母の一回り以上年の離れた兄である叔父は、厳寒の島で玉砕した。 

敵国に追い詰められて、自決したのだそうだ。

 自ら命を絶つ直前の叔父は、いったい何を想ったのだろうか。

 「ただいま!」と言って、妻を抱きしめることも、その妻のお腹の中に育まれている我が子を抱き上げることも叶わず、まだ20歳という若さで散った。

 戦争で無残に散っていった先人たちの声なき声が、蝉の声となって訴えかけているかのように聞こえてくる。


 「どうか私たちの死を無駄にしないで欲しい」と。 


 いま蝉の声は聞こえない。 


 行き交う車のクラクションの音、ビラ配りをする人の声、日傘を差し高らかに笑う人、ジャケット片手に取引先の打ち合わせに行く人、走り出す子どもを呼び止めようとする母親の姿、猛スピードで人混みをすり抜けていく自転車。


 安穏とした日常は、刻一刻と侵され始めようとしている。


 2012年 夏



今年は、戦後75年。

これは、八年前に書いたものです。



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