冷蔵庫はこころ
学生時代、一人暮らしを始めると同時に自炊を始めた。「自炊をしない」という選択肢をこのときは知らなかった。母親が毎日三食、当たり前のように料理を作ってくれる家庭で育ったせいかもしれない。
実家で生活をしていたときにも、ごくたまに料理を作って両親に振舞ってみたことはあった。焼きそばとか、焼うどんとか、そういう簡単な部類のものである。自分のためだけに料理をするようになったとき、自然に煮物やみそ汁も作る自分に少し驚いたことがある。野菜の下ごしらえだとか、みそを溶かすときは火を止めるだとか、意外にも自分は母を普段からよく見ていたんだなと。自分も覚えていないうちに、母にそう仕向けられていたのかもしれないけれど。
そして、生きるための料理をはじめてから気付いたことがある。それは、「冷蔵庫の中身の充実」=「心の充実・安定」である、ということ。(あくまでも私の場合)
冷蔵庫が野菜や肉、魚等で充実しているときは、大抵私の心に充実感と余裕がある。これは前後を入れ替えても言える。私の心に余裕があるときは、冷蔵庫が野菜肉魚等で充実している。
逆に、冷蔵庫の中身が貧相(野菜があとキャベツしかない・豚こましかない・等々)であるとき、私の心も荒み気味である。これもまた、逆も然りである。
つまりは、私の心のゆとりと、冷蔵庫内のゆとりは反比例している!
「それは、疲れていたら買い物も料理も億劫になるのは当たり前じゃない?」となりそうだが、違うのだ。私は心が少し荒ぶり期にあっても、冷蔵庫にものさえ詰めれば、心は少し空くのである。絶対に反比例なのだ。
特にこれを感じることができるのは、肉を冷凍する瞬間である。鶏肉を一枚ずつラップに包み、豚肉も等分にしてラップに包む。魚も切り身毎にラップに包む。そしてそれぞれチャック付き保存袋に入れ、名前を書いて冷凍庫に入れる。直後の清々しさと満足感たるや!この瞬間が私は割とすきなのである。とても気持ちが良い。
入れる作業がというよりは、この1週間は何でも作れる、食べられるぞ!という気持ちになるのが良いのかもしれない。なんでもあるからなんでもできる!という感じ?この高揚感があるから、とりあえず肉か何かを買って冷蔵庫に投入すれば少し自分の機嫌が取れる。出来合いではない食材、には限ってしまうけれども。
食にがめついなぁと思っていた。けれど、「生きるための料理」とは言いつつ、こんなことで気分が上がるのだから、もしかしたら料理をすることが少し好きなのかもしれない。昔からそうだったのかもしれない。
本日もお肉をたくさん買って冷凍庫に入れ、満足したところでこれを書いてみている。夕飯は、買ってきた手羽元(大パック)と叔父の大根を炊いたもの。大根をたくさん貰ったから、次は何と合わせようか。煮物が多くなりそうである。