見出し画像

「梅津庸一 クリスタルパレス」を見た感動を、ど素人が手探りで言語化してみる

大阪中之島にある国立国際美術館で開催中の展覧会を見に行きました。

https://www.nmao.go.jp/events/event/202400604_umetsuyoichi/

結論から言うと、とても面白かった…というか謎の感動を覚えたのですが、何がそんなに面白かったのかがうまく説明できないという状況に陥りました。自分の中で振り返ってみて、なんとか言語化できないかを試みてみます。

*なお、私は美術について専門的な教育なんかはぜんぜん受けておらず、たまに美術館行って「ほへー」となるだけの超ど素人です。美術史的な文脈理解はもとより用語の正確さや解釈等々、瑕疵だらけだと思いますがご容赦ください。

ちゃんとしたレビューが読みたい方は、私の記事なんかではなく、専門家のレポートを読むことをお奨めします(真剣にそう思います)。


会場に入ってすぐくらいの印象

私は梅津庸一さんの名前は、完全に初見の状態で展示会に行きました。じゃあなぜこの展覧会に行ったかというと、これは単に

  • 国立国際美術館の過去の特別展に、面白いものがたくさんあった

というこの一点だけでした。私は国立国際美術館を信頼しているという、それだけの理由です。

ということで、予備知識ゼロの状態で会場に入ると、裸の男性のでかい絵画がいくつか目に入りました。すげーきれいな絵。梅津さんの自画像だそうです。しばらくぼんやり眺めます。

フロレアル(わたし)

解説を読むと18世紀末くらいの画家ラファエル・コランという方の作品のパロディ?オマージュ?だそうです。

ラファエル・コラン「フロレアル」(1888年)
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a8/Flor%C3%A9al_-_Louis-Joseph-Rapha%C3%ABl_Collin.jpg より

ここで生まれた感想:

  • これって森村泰昌の名画なりきりみたいなやつなのか?似たものと思っていいの?
    (下に貼ったXの画像は、森村泰昌の「肖像・ゴッホ」という作品。ゴッホの「包帯をしてパイプをくわえた自画像」の扮装をした自画像です。)

フィンセント・ファン・ゴッホ「包帯をしてパイプをくわえた自画像」(1889年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%85%E5%B8%AF%E3%82%92%E3%81%97%E3%81%A6%E3%83%91%E3%82%A4%E3%83%97%E3%82%92%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%88%E3%81%9F%E8%87%AA%E7%94%BB%E5%83%8F より
  • または、自分の裸体をさらすことに意味があるのか?ナルシスト的ななにかなのか?

  • ただ、こういうナルシストな人って、だいたい体鍛えているものなのですが、芸術家らしい(失礼ですが…)真っ白な体なのは何か意味があるのか?

とかしょうもないことを考えます。

*なお、この展覧会は梅津さん自身が全裸で行ったパフォーマンスの動画がいくつか展示されていました。作品によっては股間のビッグマウンテン的なもの(「変女」的な言い方)も含めて全部見えます

変女~変な女子高生 甘栗千子~」10巻より

突然の中二病空間

いきなり、若い男性の部屋の片隅みたいなコーナーが現れました。

梅津さん直筆?の説明書きによると、下記様なことだそうです。

これは梅津庸一のV系音源コレクションの一部。
1997年にV系と出会い、それ以降ずっと聴いてます。この20数年、V系を聴かなかった日は片手で数えられるほどだったかもしれない。

V系にはすべての要素がそろっていました。

なぜいきなりV系バンドのCDコレクション開示?たしかに私の世代としてはV系流行っていましたが…。

そしてそのほど近くには、恐ろしい数と内容のメモ書き。

ほかのお客さんが写りこむのがためらわれて会場全体の写真は撮らなかった(若い女性のお客さんが多く、私くらいの年齢の男性が写真撮ると不安感を与えかねないと思ったのです…)のですが、こんな感じのメモ書きが壁一面に30~40枚くらいずらっと展示されていました。

これらのドローイングは2005年から2007年ごろにかけて膨大に生み出されたものの中から選んできた作品群である。
女性向けファッション誌「non-no」、輪郭が曖昧なキャラクター、中学生の頃に出会った「SHAZNA」や関西を拠点に活動していたインディーズレーベル「UNDER CODE」をはじめとするV系バンド、宛のない手紙のようなもの など。
コピー用紙やチラシの裏にボールペンで即興的に描かれ、他者に見せることは想定されていなかった。
もうひとつの「恥部」と言えるかもしれない。

IZAM 田中美保 鈴木あみ

何だこの中二病空間は?

さっきの裸体自画像もそうなのですが、自分の恥部を見せるのがテーマなのか?梅津さんは1982年生まれとのことで、現在40代前半という年齢。そういった方が高校生時代のパッションあふれる落書きを見られるというのは、一般的には超恥ずかしいことのはずなのですが、会場には

「もっとわたしを見て!」

と言わんばかりに「青春」が視界いっぱいに並んでいます。

私はこのあたりで頭が混乱してきました。

とても青春っぽい「パープルーム」

梅津庸一さんといえば、2014年に開設して主宰している「パープルーム」が有名だそうです。「だそう」と書いたのは、私は寡聞にして「パープルーム」についても初見で、今回初めて知ったからです。
パープルームは、複数人の芸術家や批評家が共同生活をしながら、既存の美術予備校や美大における教育から生み出された歪に対抗して、自らが理想とする作品制作を模索する場ということのようです(すみません、これは私個人の解釈です)。

このパープルームに関するコーナーも設けられていたのですが、乱雑で個性的で主張あふれる空間でした。

学校が気持ち悪いというのはともかく、右上のカラフルなテプラで作られたよくわからない文章の寄せ集めも目を引きます
一つ一つのポスターがすべて個性的
「アイランド プリン ブロッコリー」 「すし」というのもよくわからない。

これは…全然違うと言われるかもしれませんが、私が通っていた大学(美大ではありません)の学生寮を思い出します。そこは作品制作の場ではなく生活の場だったのですが、様々な活動(政治活動含む)を自主的に行う人がいて、彼らが思い思いに作ったビラが無秩序に貼られていて、若者たちの汗というか体臭というかそういったものにまみれた空間でした。

漫画でしか読んだことのない「トキワ荘」とか、椎名誠の「克美荘」とも通じる、伝統的な「青春時代の共同生活」を感じます。パープルームは男女入り混じっているのに対して「トキワ荘」「克美荘」はどちらも男しかいないという違いはあれども、同じ匂いを感じました。
(私個人としては、最近はやりの「シェアハウス」という言葉からは、もうちょっと整理整頓というか、おしゃれな雰囲気を勝手に連想してしまい、何かが違うような気がします。)

そして最後に現れるV系バンドのMV

さらに進むと終盤近くに、プロジェクターで投影されたV系バンド「DIAURA」の「unknown teller」という曲のMVに出くわします。

結構な大画面でMVが放映されます

YouTubeには一部しかアップされていませんが、会場ではこのフルバージョンを見ることができます。まさに伝統的な(というと怒られるかもしれませんが)、私が中学生高校生くらいのときに超大流行りしたV系の曲です。これは既存の曲の使いまわしではなく、この展覧会のためにわざわざ新しく作った曲であり、かつMVも今回のために梅津庸一が自分の作品をちりばめて作ったものです。

私は美術について知見がないだけでなく、音楽にも基本的に興味がありません。私くらいの世代は学生時代に音楽CDを買ったりしたものなのですが、私は基本的に「NO MUSIC, NO PROBLEM」な人間なので、CD買ったこともほとんどないのです。
それなので間違ったことを書くかもしれないのですが、V系って20年くらい前の流行期を過ぎてからはだいぶん下火になったような印象を受けています。にもかかわらず、ここで大々的にV系のMVを大々的に持ってくるというのは、先般からの「青春」的な展示の総まとめとして

俺はこれが好きなんだ!これが俺なんだ!

というような気合を受け取ったように理解?錯覚?して、謎の感動を覚えてしまいました。

前衛的な陶芸作品や版画などは理解できなかったが…

先を急ぎすぎましたが、実はパープルームのコーナーとV系バンドのMVの間には、陶芸作品や版画なども展示されていました。
(実際は、陶芸作品は会場入ってすぐの場所や、MVが上映されていた空間にも展示されています。)

「花粉濾し器」という作品が大量に展示されています
これでも作品のほんの一部
版画作品たち

会場には梅津さんがこだわる「花粉濾し器」に関する説明文や、陶芸や版画作品に関する解説文が掲示されていありましたが、私には十分に理解できたとは言えません。

「花粉濾し器」の解説

ただ受け取ったのは、自分の中身を余すところなくさらけ出そうとする情熱のようなものなのかもしれないと思いました。

まとめ:宇宙人に宝物を見せてもらったのと同じ種類の感動なのだろうか?

例えば、宇宙人(仮に「ぽげムた星人」と名付けてみます)と出会った場面を想像してください。

ぽげムた星人はとても友好的で、私をぽげムた星に連れて行ってくれて、ぽげムた星に伝わる宝物を惜しげもなく次から次へと見せてくれました。
一部の作品は星間を越えてなんとなく理解できるようなものもありました。しかし、私はぽげムた星の文化も歴史も何も知らないので、そういった文脈に基づく作品に対してはいいとも悪いとも言えません。
でも、大量の作品を浴びているうちに、このぽげムた星人は全部見せてくれているんだ、これがいいと思っているものを恐れずに教えてくれているんだ、というように思い、中身がわからないにもかかわらず、心が震える体験をした…。

というような感動だったのかもしれません。

えっ?こんなに大切なものたくさん見ていいの?
こっちは何も返せるものがないのに?

私にはラファエル・コランもわからず、V系バンドもその良さをいまいち共有できず、メモ書きも何が書いてあるかよくわかりません。前衛的な陶芸作品も版画も、正直言って理解が及びません。パープルームは楽しそうですが、私がその中に混ざりたいかというとそうでもないです。
また、美術予備校と美大の関係性についても、そもそも私の知り合いには美術への道を歩んだ人が全くおらず、問題があるのかもしれませんが全く実感できていないのが事実です。

それでも、梅津さんという人格を正面から浴びたことにより謎の感動が発生した、というのが実態に近いように思います。とにかく感じたのは、自分をさらけ出そうという気合です。気合のこもった力場のようなもので満ち溢れた世界でした。

この文章で、私の感動がちょっとは伝わるのでしょうか…。書いてあることの妥当性含めてあんまり自信ないですが。

蛇足:関連して思ったこと

パープルームについては、「若者が既存の権威に対抗して作ったコミュニティ」という側面があると感じました。
実際、ネットを検索すると大御所の東京芸大教授から差別発言を受けたとのことについて抗議を行い、ちょっとした騒ぎ?になったこともあるようです。

このこと自体はどちらが正しくて間違っているとかいうのは、私には判断できません(嫌な逃げ方ですが)。

それはそうとして、過去の歴史では、美術に限らずこうした既存の権威に対抗していた人々が、時間がたつにつれて自らが権威となりかつての「既存の権威」と同じことをする、ということが繰り返されてきたように思います。
(下記の記事で書いた「地学団体研究会」とか「TikTok書評家への批判」など…)

パープルームという組織が、権威化していくのかまたは対抗勢力でありつづけるのか、または消滅するのか、あと10年とか20年とか後が気になったりします。

もう一個蛇足:パープルームTV

帰ってからいろいろ検索すると、「パープルームTV」というYouTubeチャンネルを見つけました。

2024年9月28日段階で210回分の動画がアップロードされていて、とても全部見ることはできていないのですが、少しずつ古いものから見ていっています。たぶん、これをちゃんと見ると、梅津さんがいろいろ考えていることがもうちょっと理解できるのだと思います。

今まで見た中で面白かったものを貼り付けておきます。

東京芸大の博士課程の学生(当時)であった南島興さんの寄稿に対する批判。言っていることはほとんど理解できないのですが、とても熱い議論です。

美術予備校のパンフレットを通して、当時の美術予備校界隈での流行りや空気を解き明かしていく動画。今回の「クリスタルパレス」の解説に書かれていた美術予備校やこれを含んだ美術教育への批判意識が、少し見えてくるような気がしました。

いいなと思ったら応援しよう!