シンプルな言葉には その時の自分の心が反映される
まちがったって
いいじゃないか
にんげんだもの
という言葉で有名な相田みつをさんの生誕100年を記念した展覧会がやっていますよ、というニュースを観た。そうか、生誕100年なんだ。
私は高校生の時、相田みつをさんの「日めくりカレンダー」を持っていて、寮の自分の机の上に置いていた。
高2の頃は3人部屋。その後、高校生寮の建物が地震のために使えなくなってしまったので、高3の頃は大学生寮の一角をお借りしていて、その時は4人部屋。
「ここさん(私は寮ではそう呼ばれていた)のカレンダー、いっつもイタイところをついてくるんですよね」ある日、同部屋の中2の子に言われた。
「そうそう、テストの前とかね」と、私と机を並べている高1の子。
私の机の上にあるカレンダーの言葉は、部屋のみんなの共有物になっていたらしい。
「日めくりカレンダー」は、1日から31日までの日付だけが書いてあって、毎日めくる。だから、毎月毎月、同じ日には同じ言葉が登場する。
16日の言葉を今でも覚えている。
やれなかった
やらなかった
どっちかな
これが、テスト勉強をさぼった時に、刺さると言うのだ。まぁ刺さるな。
毎月毎月定期テストがある訳ではないのだが、なぜかテスト前になると、必ずこの言葉に遭遇するらしい。実際、私も同じように感じていたので、「あ、やっぱり?!」って思って、ちょっと笑ってしまった。もちろん、ただの認知バイアスだと思うのだけれど。
今になって思えば、この言葉が、「試験勉強をしなかった自分への反省」と言う風に感じられたのは、それはそれでピュアだったと思う。
あの時は、「やれなかった=できなかった」は仕方がないけれど、「やらなかった=やる気がなかった」の方が罪が重い、という解釈しかないと思っていた。
〈やれなかった、って自分に言い訳しているけれど、本当はさぼってやらなかっただけじゃない?〉ってニュアンス。
でも、今だったら、そればっかりでもないなぁ、と思う。「やらなかった=自分の意思」は改善の余地があるけれど、「やれなかった=能力が足りなかった」の方は、どうにもできないかもしれない、という読み方もあるよなぁ。〈自分が行動していないだけって、思っているけれど、本当は自分にまだチカラが足りないから、できないのかもしれないよ。〉という感じかな。
思い浮かぶ事例も、「勉強しなかったなぁ」とか「仕事さぼったなぁ」とかだけじゃなくて「チームメンバーに対してもう少しフォローしたら良かった」とか、「この商談の交渉、もうちょっと何とかなったかも」とか、「子どもに対してこんな言い方しなくても良かったよなぁ」とか、相手がいる事例の方が多い。
私にとって「やらなくちゃいけないこと」が、自分ひとりで完結することから、相手がいることへと変化したんだと思う。
相田みつをさんの言葉に限らないけれど、シンプルで奥が深い言葉というのは、そこに、自分の現状を反映するから、自分なりに、どうとでも解釈できる。だから、「いつ読んでも、自分に刺さる」んだと思う。
言葉は、自分をうつす鏡なんだな、本当にそう。
結局、出会った言葉に、今の自分の本心を乗せて、自分に届けているんだね。