褒めなくていい
「ほめて育てる」って、外的な刺激によって子どもをコントロールしてしまう、という側面もあるよね、という懸念を、昨日の記事で書きました。
「子どもを一杯褒めてあげたい」とか「褒めて育てたい」って思っている保護者の方にとって、「褒めて育てることには、こわさもあるよ」という昨日の記事は、「じゃあ、どうしたらいいのさ?!」って感じるかもしれません。
今日は、「どうしたらいいのか」を考えたいと思います。その前に、あえて、〈褒める〉って思っているよりも難しいよね、というところから、お話を始めさせてください。
私が感じる〈褒める〉の難しさを3つお伝えします。
まず第1に、〈褒める〉って、「この人の、こういう行為や性質は素晴らしい」って、〈評価する〉ことが前提なんですよね。
例えば、会社組織の中で、目標を達成した人に対して〈褒める〉のは分かりやすいです。〈目標〉に対して〈達成〉という成果がはっきりしているから。
でも、世の中には、そんなにはっきり「良い評価を得ること」「悪い評価を得ること」が明確になっている訳ではないですよね。「優しい気持ちだったのは分かるけれど、結果として相手を傷つけてしまった」とか「チャレンジしたのは素晴らしいけれど、危険が大きすぎた」とか、良くもあり悪くもある、という場面の連続です。一言では言い切れないことばかり。
〈褒める〉というのは、そういう一言で言いきれないことに対しても、〈あなたのその行為が正解〉と言う評価を下しています。褒められる相手にとっては、自分の行動が良いか悪いか、ずっとジャッジされていることになります。そういう「難しさ」が1つ目です。
2つ目の難しさは、昨日の記事でも書いた通り、〈子どもをコントロールできてしまう〉ことです。子どもをコントロールして、大人の言うことに素直に従ってくれるように育てば、大人としてはいい気持ちかもしれません。
でも、大人に都合のいい振る舞いをするような習慣をつけることは、良いことなんでしょうか。人として成長する時には〈自分自身の柱を持つこと〉も〈他者の意見に耳を傾け取り入れること〉も、どちらも大事です。褒められることが嬉しくて、大人が望む振る舞いばかりを選ぶようになると、後から〈自分自身の柱〉を持つために本当に苦しい想いをします。
3つ目の難しさは、同じ言葉を繰り返すだけでは、褒められる人が、だんだん満足できなくなることです。ただ「すごい」と言われ続けるだけでは、「あぁ、適当に言われているな」と、感じるんですよね。「すごい」「すごい」って言われても、何がすごいのか、褒められている人自身が実感できなければ、届きません。
そんな訳で、〈褒める〉には難しさがいくつもあるのです。〈褒める〉行為そのものが抱える難しさ、〈褒める〉ことによる影響を考えた時の難しさ、そして、そもそも相手に届く言葉で〈褒める〉ことの難しさ。
じゃあ、どうすればいいのか?
〈褒める〉をやめればいいと、私は考えています。
褒めなくていい。
というか、評価したりコントロールしなくていい。
その変わりに、子どもの様子をよく見て、見たことを率直に言葉にすればいいのです。「この絵は、たくさんの色を使ったんだね」「公園でいっぱい走ったね」「珍しい色の落ち葉を見つけたね」「重い荷物を持ってくれたね。ありがとう。ママ助かったよ」・・・って。
子どもたちに伝えたいことは、「あなたの、この行動が素晴らしい」という評価ではなく、「あなたが、こんな行動をしていたことを、私は見ていたよ」という事実。そして、自分のことを見てくれている人がいる、という拠りどころと安心感だと思うのです。
さらに、子ども自身がこだわりのあることや、一所懸命やったことに対して言葉をかけてもらえたら、とても嬉しい。
だから、褒めなくていいと思うんです。
その分、子どもの姿を見て、その振る舞いを具体的に言葉にして、伝えてみてはどうかしら?
子どもに「●●だったね」「●●していたね」と伝えられるようにしよう、と思えば、それだけで、子どもを見る視点が、一段深くなります。
そんな風に、「自分のことをちゃんと見てくれている人がいる」と思えることは、子どもたちにとって本当に嬉しいことです。
〈褒める〉と言うよりも、〈見る〉〈言葉にする〉〈伝える〉をぜひ大事にしてみてください。