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オオカミは いい奴でも悪い奴でもない

絵本を読んでいて、時々、「これはないなぁ」と思うことがある。
その中の代表格が「肉食動物が、みんなと仲良くなって、他の動物を襲うのをやめました」というやつ。

だいたい、肉食動物が他の動物を襲うのは、乱暴者だからでも、意地悪だからでもない。生きるために必要なんだ。
どんなに性格の良い(この表現も微妙だが)肉食動物だって、他の命を食べなくちゃ、自分が生きていけない。

それなのに、森のみんなと仲良くなりました、なんて言って、中途半端に木の実とか食べて、ウサギやネズミと一緒に輪になって踊ったりする姿を見せるのは、私は違うと思う。それは、子どもに対しての嘘だから。

ところで、物語における「嘘」って何だろう。

創作における「嘘」について、一般的に語られることの1つに、大きな嘘は許容されるけれど、小さな嘘はいけない、という考え方がある。例えば、生まれ変わって100年前に転生した、というような大きな嘘は設定として許容されるけれど、その100年前に新幹線が走っていたら時代考証がおかしい、と批判される。

ただ、〈肉食動物が木の実を食べる〉というストーリーが気になるのは、ここで言う大きな嘘と小さな嘘、という説明だけでは、ちょっと不十分だな、と思う。

端的に言えば、子どもに向けて、大人にとって都合のよい、安っぽいメッセージを伝えるために、生き物の姿をゆがめているように、感じるのだ。
先に「子どもに対しての嘘」と書いたけれど、同時に、「生き物の尊厳に対しての嘘」でもあると思う。

生きるってことは、真剣勝負だ。野生動物もそうだけれど、本来は、私たち人間だって、他の命を頂きながら、真剣勝負で生きている。
動物同士が会話をするような擬人化は、物語の設定としてはおかしくない。でも、肉食動物は、他の動物の命を頂かないと生きていけない。どんなに「仲良く」なったって、木の実を食べることは解決にはならない。

もちろん、命を頂くことに対して、正しく子どもに伝えようという覚悟を持って描く絵本だったら、それはそれで、ありかもしれない。例えば「オオカミは、森のみんなのことが大好きになったので、他の動物を食べることを辛く感じるようになりました。1人で森の奥に入って、ひっそりと死んでいきました」って。
でも、そんな絵本には、まだ出会っていないかなぁ。(そういう物語があれば、知りたい。)「仲良くなった、その個体だけは見逃す」というのが、ぎりぎり精一杯だと思う。

絵本の世界は、もちろんファンタジーであっていいと思う。オオカミとブタが会話をしてもいいし、そのブタが家を建てても、服を着ていてもいい。乱暴者のオオカミもいれば、気弱なオオカミも、ドジなオオカミも、優しいオオカミもいるだろう。
でも、生き物としての本来の姿は歪めてはいけない。

オオカミのことを、いい奴とか悪い奴とか、人間世界の基準で言うのは、そもそもナンセンスなんだろう。彼等は、ただシンプルに「オオカミとして」生きているだけなんじゃないかな。

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