自由が放任にならないよう 子どもの「好き」に応えるネタを いくつも持っていたい
「アートの時間」と呼んで頂いているクラスを担当していて、素材だけを用意し、子どもたちは自由に活動を楽しんでいます、という話を昨日のnoteで書きました。
どういう活動が〈自由〉なのか、と追求すると、それはそれで、一晩語り明かせるくらいに深い話だと思いますが、今日のところは、子どもたち自身や園の先生たちが何気なく使っている「自分の好きなことを、好きなようにやっていいよ」というくらいの意味でとらえて頂ければと思います。
子ども主体の保育の大切さが言われるようになり、子どもたちが自分の好きなことを好きなようにできることは、大切である、と言われることが増えたと感じます。
ただ、子どもたちが自由であることは、大人たちが何もしないことではないと、私は思うんです。むしろ、子どもが自分の好きなことを楽しむためには、大人の側には、手持ちのカード、というか、ネタが沢山必要です。
私がよく紹介する遊びに「くしゃくしゃとびりびり」があります。
紙をくしゃくしゃにまるめたり、びりびりちぎったりする遊びです。
私自身の予備知識としては、そもそも世の中にはどんな紙があるのか、それぞれの紙でどんな風に遊べそうかを知っておきます。大きさ、色、質感、そして、どんな遊びに広がりそうか。
最近、薄葉紙からスタートすることが多いのは、大きくて色々な工夫ができそうなこと、そして、振るとカサカサといい音がすることが理由です。
その、薄葉紙を使ってどんな遊びができそうか、私自身が、いくつもネタを持っている状態からスタートしています。
例えば、大きな状態のままマントにする、くしゃくしゃにする、小さくちぎってほうきのようにする、紙吹雪にする、折り紙にする・・・のような、遊びのアイディアを、事前にいくつも考えているのです。
そして、子どもたちが何をして遊ぼうかと戸惑っていたり、いまいち盛り上がりにくい時は、子どもの小さな動きを大きくして、遊びにつなげます。例えば、紙をくしゃくしゃ、ってして、そのあとどうしようかな、って顔をしている子どもがいたら、その紙をボールのように投げっこしようと誘ったりします。大きな紙を大きなままカサカサさせている子がいたら、その紙を使っていないいないばぁをしてもいいですよね。
更に、その場の興味に応じて、追加できる材料も用意しておきます。紙をくしゃくしゃに丸めたボールを投げて遊ぶことに興味を持ったら、それを使って玉入れのように遊べるような袋や箱を使うとか。
具体的に何か作りたいもののイメージができた人には、色のついた花紙を使うとか。
基本的には、子どもたちの「やりたい」をよく観察して、その「やりたい」のために必要な道具や素材を、そっと準備しています。どんな「やりたい」が起こりそうか、あらかじめ想定して、それの気持ちが充分満たせそうな道具を用意しておく。さらに、その「やりたい」の先に何がありそうか、というところまで考えておくと楽しくなります。
5色のお花紙でくしゃくしゃびりびりをやった時は、ちぎったお花紙を透明なプラのコップに入れて、ジュースやさんのあそびが始まりました。そのうち、そのコップに水を入れ、お花紙は溶けてしまいましたが、そこから色水遊びにつながり、何日も遊びが続きました。
「子どもが自由に遊べるようにしよう」と言って、ただ道具だけ揃えて、お部屋に広げていても、誰しもがぐいぐい遊べるわけではないと思うんです。
そして、深まらない遊びは、すぐに飽きます。紙のくしゃくしゃとびりびりは楽しいけれど、ただ、くしゃくしゃしているだけでは、すぐに飽きて、遊びが深まらないうちに終わってしまうんです。だから、「ちょっと気になったこと」を遊びとしてもっと深めていって、どんどん熱中できるように、少しの手助けはあってもいいんじゃないか、と私は思っています。もちろん、子どもたち自身の心の動きを邪魔しないことは当然のことですけれどね。
さて。
くしゃくしゃが気に入った子どもが、そこを入り口に遊びを深めていくために、どんな展開があるだろうか。そのために、どんな材料を準備しておこうか。子どもにどんな風に働きかけようか。
そんなことを考えながら「ネタ」を増やしていくと、子どもの興味に対応した「次の楽しいこと」を、子どもたちの手の届くところに置いておくことができます。直接「これも楽しいよ」と言ってもいいし、何も言わずに、自分で見つけられそうな場所に置いて様子を見るのでもいい。
何より、私自身のネタが増えてくると、子どもたちの「こんな風にしたい」「これを使って、もっと、こんなかたちでやってみたい」という具体的なリクエストに対して、「じゃあ、こんな風にやったみたら?」と提案ができます。「これがやりたい!」はあるけれど、やり方が分からない、と、助けを求めてきた子どもに対しては、「こんな方法だったら、実現できるんじゃないかなぁ」と提案するのもいいと思うんです。1から10までの全てを「子どもの自由」に委ねるだけではなく、「やりたい」を一緒に実現したっていい。そのために、子どもだけでは思いつかないようなアイディアを提案したり、ちょっとお手伝いしたっていいんです。
何をしてもいいのよ、と言って、ただ玩具だけを並べて「ご自由にどうぞ」というのは、放任だと思います。でも、玩具や遊びに対して、大人自身が学んだことがあれば、玩具を使ってどんな風に遊びが広がりそうかが分かる。環境をどんな風に作れば良いのかが分かる。1人1人が遊びに集中できる環境設定はどうしたらいいのかが分かる。だから、子どもの「自由」に対して、適切に伴走できるようになると思うんです。
当然ながら、自由と放任は違います。
そして、「放任」ではなく、「自由なあそびを見守る」と言えるようになるためには、子どもの振る舞いや発達、そして、遊びのことなどを学び、自分自身が遊びの選択肢ふやしていくことが大事だと思うのです。そこは、考え方、とか、思想、とかではなくて、「学び」と「経験」が必要です。
だからね、「自由」が「放任」にならないよう、まずは、「遊び」の可能性を提案できるようなネタを増やしていくところから始めるのがいいと思うんですよね。