美しい別れ
単純に言ってしまえば、「嫌われた」のだと思う。
私は、まだ幼くて、ごく小さな人生のよくある出来事に圧倒されていて、
それを消化する力が弱く、つまりは、自分でいっぱいいっぱいだった。
年上の彼女は、余裕と幅があり、たぶん少し上の視点から私の事を見ていてくれたのだと思う。
私が躓いている場所を、彼女も通ったことがあったのか、
彼女はいつも、的確にすっと滑らかなアドバイスをくれた。
地に足がつかず、理想に走りがちになれば「人生のハードルを下げること」を教えてくれた。
右に左に上に下に、極端に振れてしまうことがあれば「all or nothingでなくてよい」と、グレーゾーンが悪ではないことを教えてくれた。
彼女は、私と向き合い分かち合おうとしてくれていた。
けれども、まだ、私は私という人間の扱いに困惑していた。
持ち合わせている肉体に精神の納まりが悪くて、いつもそわそわしていた。
今なら、わかる。
相手といても相手ではなく、自分を見ている人間といて楽しいわけがない。
それは、どんな関係においても同じだ。
なんとなく彼女はもう私と会う気がないだろうことを直感した日は、
やはり、彼女と会う最後の日となった。
明らかなる嫌悪も怒りもなく、ごく自然な「バイバイ」の中に、
本当にわずかな淡い落胆の色味だけがあった気がする。
わかっていつつも、その後、確かめるかのように1、2度メールを送ったことがあった。
ひらりと返ってはくる返信に、「もう、私からは連絡をしない」という意思が感じられた。
さらりと、さっくりと切られた縁だった。
恨みはない。振り返っても美しい別れであり、そして当然の見限りだったと思う。
ただ、今でも彼女のかけてくれた言葉は私を何度も救ってくれる。
彼女は今、元気にしているだろうか。
私は少しは、成長しただろうか。
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