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小説「15歳の傷痕」78〜一筋の光

<前回はコチラ>

― 雨上がりの夜空に ―

「ミエハルくん、目眩はどんな?」

やや暗くなってきた保健室で、佐々木さんが寝ている俺に声を掛けてくれた。

「うん、随分楽になってきたよ。飴玉と佐々木さんのお陰だよ」

「アタシなんて、大したことしてないよ」

「いやいや、何を仰るウサギさん!」

佐々木さんはクスッと笑った。

「何そのオヤジギャグ。でもそんなセリフが出るんなら、結構回復してきたのかもね」

「うん。天井は回らなくなったよ」

「ホンマに?じゃあ、ちょっと立ってみようか」

佐々木さんが俺の横に来てくれて、俺の手を握って、立つのを補助してくれた。

「ありがとう」

「ううん、これぐらい…」

俺はベッドから降り、立ち上がってみた。しかしずっと寝ていたからか、立ち眩みのようになりバランスを崩してしまった。

「おっと、あっ!」

「えっ、きゃっ!」

俺は佐々木さんを引っ張る感じで、ベッドに倒れ込んでしまった。
俺が仰向けに、佐々木さんが俺に覆い被さるように倒れ込んだ。

思わぬ形で佐々木さんを抱き止めてしまい、しばらくの間そのままの体勢で動けなくなってしまった。

お互いに体操服姿のままだったので、佐々木さんの胸が俺の胸に当たるのがよく分かった。

(佐々木さん、着痩せするタイプなのか?結構胸があるじゃん)

目の前に佐々木さんの顔がある。佐々木さんもどうすればよいか動揺しているのだろうか。その気になれば、キス出来ない距離ではないが…。勿論俺にはそんな勇気はない。

「ごっ、ごめん、ミエハルくん!」

佐々木さんが我に返るように、慌てて俺の体から離れ、立ち上がった。
乱れた体操服を整えるように、シャツの襟を直し裾を下げ、ブルマーを上に一度引っ張ってから、裾ゴムの食い込みを直していた。

「いやっ、俺もごめん、手を繋いだままだったから…。手を離せば良かったね」

「ううん、アタシもちゃんとミエハルくんを支えてなかったんだよ、きっと。でも…」

「え?でも、って…?」

「ちょっと、ドキドキしちゃった…」

佐々木さんはちょっと暗くなってきた保健室内でも分かるくらい、顔が赤くなっていた。

「実は、俺も…」

しばらく無言のまま、見つめ合ってしまった。


「あっ、そうそう、ミエハルくん、制服に着替える?」

佐々木さんから、気まずいような、しかし濃密な空間を割くように、声を掛けられた。

「そそっ、そうじゃね」

「アタシが持って来たので合ってるか、確認してね」

佐々木さんに半袖カッターシャツと学生ズボンを渡された。

「うん、俺のだよ、ありがとう」

「じゃ、アタシアッチ向いてるから、着替え終わったら教えてね」

佐々木さんは俺に背を向けた。
俺は体操服と短パンを脱ぐと、カッターシャツを着て、ズボンを履いた。

「ありがとう、佐々木さん、終わったよ」

「えっ?もう?ミエハルくん、早ーい!って言うか、男子は早いよね、きっとみんな」

佐々木さんは俺の方に向き直り、俺が制服に着替えたことを確認した。

「そしたらさ、そろそろ保健室から出ない?大分、外の音も静かになってきたから…」

「そうだね。俺も天井が回らなくなったよ。奇跡の飴玉のお陰だね」

「多分ね、体育の先生や保健の先生も言ってたけど、昼ご飯を食べてないせいで、血糖値が下がって、そのせいでフラフラ~ってなったんだよ」

「へぇ、さすが女の子だね〜。栄養学みたいなもの?」

「えっ、そんな…。照れるじゃんか」

佐々木さんは照れ隠しにちょっと横を向いた。

「で、飴玉は糖分が多く含まれてるから、ミエハルくんの体内の糖分が増えて、落ち着いたのよ」

「フーン…。人間の不思議だね」

「でしょ?さて末永先生にもう大丈夫って内線電話して…」

佐々木さんは電話の受話器を取ると、美術準備室の内線番号を確認して、プッシュしていた。

『あ、先生、佐々木です。ミエハルくん、回復したんで、今から帰ります。鍵は職員室に返せばいいんですか?はい、分かりました。え、ミエハルくんですか?はい、分かりました』

佐々木さんは俺に、末永先生が一声聞きたいって、と言って受話器を向けた。
俺は受話器を受け取り、喋った。

『あ、上井です。はい、もう天井回ってないです。腹は減りましたけど。弁当?あ、それはさっき佐々木さんからも聞きました。食べないようにします。はい、分かりました。はい、失礼します』

俺が受話器を戻そうとしたら、佐々木さんが途中で受け取ってくれ、電話機に戻してくれた。
佐々木さんとこんなに濃い時間を過ごしたのは初めてだが、ちょっとキツい女の子かなと思っていたのは間違いで、よく気が付く、実に女の子らしい女の子だと思った。

「ミエハルくん、一つお願いがあるんじゃけど…いい?」

「え、もちろん。こんなにお世話になったんだもん、何でも言ってよ」

「じゃあ…。女子更衣室の前まで、一緒に行ってくれないかな」

「それぐらい容易いけど、逆に良いのかな?そんな神聖な場所に男が近付いて…」

「うん、大丈夫よ。神聖でも何でもないし。でね、更にお願いがあるんじゃけど…」

「何々?」

「アタシが着替え終わるのを待ってて…ほしいの」

「ん?まあ全然大丈夫じゃけど、どうして?」

「ちょっと暗くなってきたじゃない?雨だし。だから、少し怖いの…」

「なーんだ、そんなことならお任せを。ちゃんとガードするから」

「本当に?ありがとう〜」

佐々木さんは本当に嬉しそうだった。

「じゃ、電気を完全に消して…と。まず俺が先に廊下に出るね」

「うん、お願い」

俺は保健室の鍵を持って、先に廊下に出た。
この時間になると、ほぼ生徒はいなかった。遠くから体育祭のマーチの練習をする、吹奏楽部の音が聞こえた。

「佐々木さん、大丈夫だよ。廊下は誰もおらんけぇ…」

「ありがとう、ミエハルくん」

佐々木さんはそれでもキョロキョロと周りを見ながら、保健室から出てきた。

「じゃ、鍵を掛けるよ…」

俺は保健室の鍵を掛けた。

「ミエハルくん、じゃあお願い…」

「うん。一緒に行こうか」

俺と佐々木さんは女子更衣室へ向かった。

「よく考えたら、佐々木さんは手ぶらだったんよね」

「そうだね。体育館からミエハルくんを支えて保健室へ直行したけぇね」

「今まで体操服姿でおらせてしもうて、ホンマにごめんね」

「大丈夫だよ。まだ寒くないし、ミエハルくんは信用してるから」

「分からんよ〜。今から豹変するかもよ?」

「そんなことはないって、断言できるよ」

「えっ、なんで?」

「さっき…。保健室のベッドに抱き合うように倒れ込んだのに、ミエハルくんは何もしてこなかったもん。だから信用してる、って言ってるの」

「そ、そうだったね、ハハッ…」

俺は心が見透かされているようで恥ずかしかった。

「じゃ、着替えてくるね。悪いけど、ちょっと待っててね」

「分かったよ」

俺は女子更衣室の中へと消えていく佐々木さんの体操服姿を見送り、ずっとそこにいるのもマズイかと思って、少し位置をズラした。

部活はもう少しで終わる、また帰宅部は殆ど帰っているだろうという、絶妙な時間帯ではあった。

(裕子は…どうしたかな…)

体育館から保健室へと、ずっと…時間にしたら4時間近く佐々木さんと一緒にいたため、すっかり俺の頭の中は佐々木さんもいい子じゃん、という思考回路に染まっていた。

外を見ると、あれだけ強く降っていた雨も止んでいた。

「ミエハルくん、お待たせ!ごめんね、女じゃけぇ、時間が掛かって」

そこには体操服ではなく、夏服姿の佐々木さんがいた。小さな袋を持っていたが、そこに体操服とか制汗剤とか入っているのだろう。

「あ、佐々木さん。全然大丈夫だよ。カバンは教室?」

「そうなんよ。ミエハルくんのカバンを取りに行った時に、アタシのも一緒に持ってくれば良かった」

「じゃ、教室まで行こうか?」

「いい?ごめんね」

「ううん、全然。もしかしたら俺の机に何か入ってるかもしれないしさ」

「ミエハルくんは、そんなさり気ない優しさが、きっと女の子のツボを刺激するんだよ、きっと…」

佐々木さんは呟くように、そう言った。

俺はハッキリ聞こえなかったと言って、何々?と聞き返したが、

「ううん、なんでもない!」

と、終わらせられてしまった。

教室に着き、互いに自分の机を確認すると、俺の机の引き出しには、一通の手紙が入っていた。

封筒の裏を見ると、<from大谷香織>と書いてあった。

(大谷さん…。手紙書いてくれたんだ。何が書いてあるんだろう)

気になったが、佐々木さんの手前、開封せずにすぐカバンに手紙を仕舞った。

「佐々木さん、カバンとか引き出し大丈夫?」

「うん。アタシは特に何もなかった。ミエハルくんは?」

「俺も大丈夫。特に何も入ってなかった」

俺はちょっとだけ嘘をつきながら、佐々木さんに帰ろうかと促した。

「アタシ、こんな時間まで学校にいたの、部活引退以来初めてかな」

「へぇ、佐々木さんは何部だったの?」

「弱小テニス部よ。6月の県体で1回戦負けして、それで引退。寂しいでしょ?」

「そうだね、部活の引退って寂しいよね」

「ミエハルくんは吹奏楽部にいつまでいたの?」

「俺はつい最近までだよ。8月の終わりにコンクールの県大会があって、もしいい成績だったら9月下旬の中国大会に進めるんだけど、もう引退したということは…」

「残念な結果だったんだね」

「そう。でも、燃え尽きたかな…」

「でもさ、燃え尽きるほど吹奏楽に取り組んだんでしょ?じゃあ良かったね。文化祭もカッコ良かったし、ね」

「ありがとうね。そう言ってもらえると、今でも嬉しいよ」

そう話している内に下駄箱に着いた。

(アレ?下駄箱にも手紙がある…。誰からだろ…あっ、裕子からだ!)

やはり6時限目の後、一緒に帰ろうと、下駄箱で待っていてくれたんだ…。
手紙は生徒手帳を破って書いたメモのような感じだったので、すぐに本文を見てしまった。

(…そんな…)

裕子に対して抱いていた怒りが急速に萎んでいくのが分かった。

「ミエハルくん、どうしたの?」

「あっ、なんでもないよ。帰る、帰る」

俺は慌てて裕子からの手紙をカバンに入れ、何事も無かったように答えた。

「ミエハルくんは大竹だったよね。宮島口駅からJR?」

「うん。佐々木さんは?」

「アタシは中学は廿日市で、家の最寄り駅は広電の宮内なんよ。じゃけぇ、田尻まで下るんよ」

「じゃあ、一緒なのもちょっとだけじゃね」

「そうなるね…。なんか今日ずっと一緒におったから、ちょっと寂しいかな」

大抵、廿日市方面、五日市方面の生徒とは、校門で反対方向に分かれているので、俺と佐々木さんも校門で分かれることになった。

「じゃ、佐々木さん、今日は本当にありがとう。マジで何かお礼しないといけないくらいだよ。気を付けてね」

俺はお礼の意味で、握手の手を差し出した。

佐々木さんも応えてくれ、握手してくれたが、その際ちょっとだけ俺に近付いて、

「アタシこそありがとう。ベッドに倒れて抱き合っちゃった時に、キスされるかと思って緊張したけど、ミエハルくんはしなかったね。そこがミエハルくんのいい所だと思うよ。じゃあ、気を付けて…ね。バイバイ!」

そう言った。

佐々木さんはクルッと背を向け、小走りに田尻駅へと向かった。

俺も宮島口駅へ向かった。裕子からの手紙をもう一度カバンから取り出し、何度も何度も読み返しながら…。


明日、昼休みに裕子に言う言葉は決まっていた。

『嫌いになんてなれない。別れない』

元々は雨が降った時の昼休みをどうするか決めていなかったのが悪いのだから、2人のどっちが悪いという問題ではない。悪いと言えば両方悪いのだ。

だが6時限目の後、裕子を❝待たせておけ❞等と思い、放置した罪悪感が俺を襲っていた。

(絶対に謝らなくちゃ)

何度も『ごめんなさい』と書かれた生徒手帳の切れ端を眺めながら、これまでの裕子との会話や笑顔を思い出しては、裕子に申し訳ないという思いが募っていた。

そしてカバンの中には、もう一つ手紙があった。

大谷さんからの手紙だ。

(何が書かれてるんだろう…)

俺は慎重に封を開けた。

Dearミエハルくん

今日は体育で突然ダウンしちゃったけど、大丈夫だった?
結局佐々木のキョウちゃんがミエハルくんを保健室に連れて行ってから、何の情報も無くて、心配で心配で。
凄い症状が悪いのかなと思って、放課後に保健室の前を通ったら、保健の先生がいないから不在ってなってて、ミエハルくんのカバンとかも教室に無かったから、6時限前に早退したのかな…って思ってたの。
でもキョウちゃんのカバンはあるし、よく分かんなくて。
ごめんね、変な手紙書いて。
フォークダンスで、ミエハルくんがもしそのままいたら、キョウちゃんの次の次がアタシだったんだよ。
アタシが相手の時にダウンしてくれたら、アタシがミエハルくんのお世話出来たのかなと思って、ちょっとキョウちゃんが羨ましかったな。なんてね。
この手紙、いつ読んでくれるか分かんないけど、また元気なミエハルくんに戻りますように。
じゃあね。バイバイ。

from大谷香織

とにかく俺のことを心配して書いてくれた手紙なのは分かった。

(明日登校したら、多分俺に大丈夫か?って声が掛けられるのは明らかだし…。でも佐々木さんも何か言われたりするかな?)

佐々木さんのカバンが教室にずっとあったり、女子更衣室にもずっと佐々木さんの制服が置いてあったり、その一方で俺のカバンと制服は6限前には無くなっていたり、なんとなくアリバイ工作をするのが難しいことに、今更ながら気が付いた。

明日登校して、その辺りを突っ込まれたらどうしようか…と、裕子との関係とは別の部分で悩み始めた。

部屋から外を見たら、雨上がりでスッキリした夜空に、沢山の星が瞬いていた。俺の心もスッキリすればいいのだが…。


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ミエハル
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