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31文字で若かりし日の気持ちを詠む【鶴亀杯短歌初参加】

夏のビッグイベントと言えば、インターハイ、高校野球、吹奏楽コンクール、etc,etc…。

しかしどれも私には今や傍観するしかない、青春時代を謳歌する若者のビッグイベントです😥
特に吹奏楽コンクールは私の青春そのものだったので、今もその頃を思い出して、勝手に胸熱してます

そこでアラフィフのオッサンでも参加出来る夏のビッグイベント『鶴亀杯』
こちらに初めて参加して、夏を楽しみたいと思います🎐

色々な部門があるようで、勿論俳句、川柳という五七五の17文字部門もありますが、小説等の長文はよく書くくせに短文は苦手な私、何とか捻り出した31文字の世界を発表させて頂いて、ご笑覧頂こうという目論見でございます🙇‍♂

まず1つ目☝️

『ミエハルと
 名付けてくれた
 初恋の
 君に会いたく
 夢をまた見る』

noteや他のSNSでも使っているハンドルネーム、ミエハルは、中1の時に突然私の目の前に現れた女子バレー部のTさんによって名付けられたあだ名です。
このあだ名のお陰で、私の人生は一変したと言っても過言ではありません。
勿論それまで女子は敵、みたいに思っていた私の概念を覆し、Tさんは胸熱な初恋相手になったんですが、既に彼氏がいたことが判明し、敢え無く初恋は終わりました💔
でも、中学校卒業以来消息不明なので、なんとか死ぬまでに一度は会いたいんですよね。そんな思いを詠んでみました😅

では2つ目✌

『レベッカの
 フレンズ聴くたび
 思い出す
 泣き腫らした日と
 仲直りした日』

よく記事にしているので皆様にはお馴染みの、私の妻以外の唯一の彼女さんを詠んでみました😅
高校受験直前にフラレたことはよく書いてますけど、仲直りしたことはあまり書いてないですね。
完全な仲直りをしたのは高3の夏でした。
それまでも高校の吹奏楽部で一緒だったので、互いに意識してはいたんですが、モテる元カノに対し失恋ばかりの私、ってな訳でハッキリ言えば嫉妬してたんです(笑)
なので高校の吹奏楽部で部長をしたり、生徒会役員をやったりしてましたが、元カノさんに対する意趣返しみたいな意識も何処かにありました。
そんな元カノさんと完全和解をしたのは、高3の夏休みに、中学校の時の先生のご自宅に何人か招待された時です。
先生公認の下、アルコールを少し頂いたんですが、既に免疫のあった私はずっと起きていて、免疫のない同級生は次々とダウン💤
最後に残ったのが私と元カノさんでした。
その際、フラレて以来初めて(2年7ヶ月ぶり!)普通の会話をしたんです。
それ以来、何でも相談し合う男女の壁を超えた友人関係になり、今も567のせいでかなりご無沙汰ですが、会えば飲む仲です🍻
今更ながらの話も三十数年ぶりにしたりして(笑)
私の人生に欠かせない、異性の親友ってわけですね👫

では3つ目🤟

『女っ気
 一人暮らしの
 アパートに
 全く無かった
 30年前』

中学高校と広島で過ごした私ですが、大学は是非学風に触れてみたかった京都の某私立大の他、広島、関東の国立大等を受けたのですが、1勝4敗💧

唯一私に来てもいいよ💖と言ってくれた、広島の私大に通うことになりました。
最初は自宅から通っていましたが、なんと大学1年の初夏に、父に富山へ戻ってこいという、最後の転勤辞令が下りました。
となると、大学の転校なんてありませんから、私が広島に1人残って、卒業を目指すことになります。

両親は10月半ばに富山へと引っ越すことが決まり、私はアパートを探すことになりました。
大学に通いやすく(当時専用スクールバスが走っていた)近くにコンビニがあり、広島電鉄の電停も近い、五日市にアパートを借りて、大学卒業まで一人暮らしをしていました。

しかし❗
上に詠んだ通り、絶好の環境下にも関わらず、全く女運の無い私には、アパートに来てくれる彼女などいるわけもなく、1人寂しく自炊生活を送っていました。
そんな気持ちを詠んでみました。

以上です。

嗚呼、3句目がなんと侘びしい…😭

…森田公一とトップギャランの「青春時代」ではありませんが、青春時代の真ん中は胸に棘さすことばかりで、後からほのぼの思うもの、ということを三首読んでみて、改めて痛感いたしました😅

また時間があれば、川柳、俳句にも挑戦してみようかな❓

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ミエハル
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