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第四楽章~アンコール

前回、中学2年で吹奏楽部に途中入部してからの吹奏楽の思い出を駆け足で振り返ったのですが、中学、高校時代、吹奏楽部で体験した一番強烈な思い出は、前回の投稿では第四楽章にあたる、高2の夏です。

部長就任

私の高校の吹奏楽部は、基本的に3年生になる際、夏のコンクールまで続けるか、早々に引退して大学受験に備えるかを選ぶシステムになっていました。
なので、部長等の役員は、2年生に上がった際に改選することになっていました。

私は中学校時代、2年生からの途中入部ながら部長に指名され、部の運営に悪戦苦闘したため、高校で吹奏楽は続けたいけど、部長なんてなるもんか!と思っていました。
ですが高校1年生の時の部の雰囲気が、今だから言えますが、正直あんまり良いとは思えなかったんです。
そこで同期の男子数名と共に、俺達が2年生になったら、もっと風通しの良い部活にしようや!と、1年生の11月頃から密談していました。

その為には、今の部の雰囲気が良くないのは、男子と女子の仲が悪い、一つ上の先輩達の横の繋がりが全然ない、と分析し、まずは男子も女子も仲良く、楽しく明るい部活にしなきゃいけない、という点で意見が一致しました。

そしてこの改革グループは、2年生に上がる時期へ向けて話し合いを続け、いよいよ誰が部長になるべきか、という核心に辿り着きました。

私は、「俺は中学時代に部長やって苦労したから、辞退するよ」

と宣言しました。

そしてその改革グループにいたO君を部長に推薦しようと思っていたのです。

しかし改革グループの他のメンバーは、私に部長になれと言います(◎_◎;

なんで❓と聞いたら、お前が一番OBとか上の世代と上手く交流出来てる、独特のユーモアセンスがある、等々…💦

侃々諤々と話し合いを重ねたんですが、最後はダチョウ倶楽部ではありませんが、
「じゃあ俺が立候補する」
「どうぞ、どうぞ」
になりました(笑)

4月の新入生向け部活紹介が、部長職の最後の仕事になります。
その後、役員改選のミーティングが行われます。
先輩が、部長に立候補したい人!と呼びかけましたので、私は観念しつつ手を挙げました。

すると改革グループにいなかった同期がもう2人、立候補しました(*_*;

自動的に選挙戦になってしまい、私は想定もしてなかった所信表明演説をする羽目に(笑)

どうせなら、元々部長になるのには消極的だった自分よりも、積極的に立候補した2人のどちらかに部長になってほしいとまで思いましたが…

選挙戦の結果、無事(?)私が部長に選ばれてしまいました。

その他の役員も必要なので、立候補した2人には副部長や会計などの役員に就任してもらい、私が部長になった吹奏楽部が、船出することとなりました。

先輩方との軋轢

実は私、1年生の時の担任の先生の策謀(?)で、生徒会役員にもならされていました。
4月はその生徒会の仕事が忙しいんです。
生徒会総会とか、各部への予算配分とか。
その為、4月は部長になったとは言え、なかなか部活に最初から最後まで参加できる日が少なく、早くも副部長に色々頼む日々が来ました

また先述した通り、3年生は4月以降は自由参加みたいな感じでしたが、私の一つ上の先輩方は、結構残って活動しておられたんです。

ある日、生徒会の仕事後に急いで部活へ駆けつけると、私に聞こえるように
「部長が遅刻しとっちゃいけんね」
「部長は最初からいないとね」

という、3年生の先輩からの陰口が…(;´・ω・)

まだまだ青い17歳には、猛烈に効くボディブローでした。

先輩方の、私に聞こえる(聞かせる?)陰口はまだまだ続き、
「合奏の時に部長がいないのってなんなの?」
「ミーティング(部活の締め)で偉そうに何言ってんの?」

その他アレコレetc、etc…

部長なんかになるんじゃなかった、と後悔し、顧問の先生にも相談しましたし、先輩部長にも相談しました。

私を救って頂けたのは、まさしく顧問の先生の一言と、先輩部長からの手紙でした。

顧問の先生からは、
「8月のコンクールが過ぎたら、お前のやりたいようにやればいい。一年の半分以上あるじゃないか、頑張れよ」

先輩部長からは、俺はお前の味方だから、という手紙をもらったんです。

この顧問の先生からの言葉と、先輩部長からの手紙がなかったら、私は挫折して部長職を放棄して、吹奏楽部を辞めていたと思います。
この言葉に100%勇気!を頂き、先輩からの陰口はムーディー勝山の如く流すようにして、生徒会の仕事が一段落した後、部活に全力を注ぐことが出来ました!
今は天国にいる顧問の先生、そして行方が分かるようで分からない先輩部長、ありがとうございました。今でも吹奏楽が好きなのは、この時を乗り越えることが出来たからです。

吹奏楽部空中分解の危機

何とか私も部長として職務をこなせるようになってきた6月、インターハイの文化部版、全国高校総合文化祭の広島県予選がありました。
題目としては、広島県高校総合文化祭ですが、吹奏楽の部で1番になると、全国大会の総文に出られるのです。

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ですが選ばれるのは1校だけなので、流石に目指せ普門館とは言いつつも、1校に選ばれるのは無理でしょ?とばかりに、夏のコンクールよりはリラックスして、新体制での初の本格演奏に挑めました。

しかし!

この後、1年生の大量退部事件が起きました。

特に打楽器は深刻で、写真を見て頂いたら分かる通り、これだけの打楽器メンバーがいながら、1年生が1人だけしか残りませんでした…。

勿論、吹奏楽部の部員数も激減。
このままでは吹奏楽部が、自分のせいで潰れてしまう!空中分解してしまう!

再び部長としての不甲斐なさを感じた私は、それまで担当していたバリトンサックスから、打楽器への移籍を申し出ました。
1年生が大量に辞めてしまったのは自分の責任ですと、顧問の先生に進退伺的なことも話したのですが、むしろ励ましていただき、今残っている部員は、本当に吹奏楽が好きな部員だよ、だからこれからコンクールに向けて、再構築していこうや!とのお言葉を頂きました。

先生にそこまで励まして頂いたからには、夏のコンクールで金賞を取って恩返しするしかない!

と決意し、私は打楽器に移籍した後、既に引退していた打楽器3年生の先輩に復帰を懇願し、基礎打ちから教えてもらいました。
打楽器には復帰して頂いた先輩の他、中学時代に打楽器だったけど高校ではホルンを吹いていた同期の女子にも打楽器Uターンしてもらい、何とかコンクールに挑めるだけの人数が、打楽器に揃いました。

改めてコンクールで演奏する曲で、誰が何を担当するかを話し合って決めたんですが、複雑な鍵盤系は経験者が務める、急に来た初心者の自分は、ティンパニーと初心者でもOKな小物楽器を担当することとなりました。
ティンパニーを担当することとなったからには、耳を鍛えなきゃいけません。
毎日部活の前半では、先輩に手首をスナップさせて叩く基礎打ちを習いながら、後半ではティンパニーの音を覚えるため、一つ音を叩いてはこの音は譜面上のド、という具合に覚えていき、4つあるティンパニーの音階別の役割を学びました。

兼田敏先生

コンクールまで残り1か月を切った7月下旬に、なんと顧問の先生のご縁で、吹奏楽界の偉大なる指導者であり、前年の課題曲「嗚呼!」を作曲された兼田敏先生が、我が高校のために一日レッスンをして下さることになりました。
この時点で私のティンパニーの出来と言えば、まだ富士山登山でいうと3合目辺り(苦笑)
とても兼田先生のお耳に入れるレベルまでには到達していませんでした。
ですが兼田先生、私のティンパニーの叩き方を見てすぐ、
「ティンパニーの方、ただボーッと立って叩くんじゃなくて、もっと自信を持って、格好付けて目立ってやる!の勢いで叩いたらどうだい?」
と、アドバイスを下さいました。

目から鱗ってのはこういうことですね!

兼田先生のその言葉がとても心に刺さりまして、その日以来ティンパニーの出来栄えは別として(笑)、プロがやるように、オーバーリアクションで叩くように試みてみました。
すると、実力は大して上がってないのに、上手くなったような気がするんです(^^ゞ
言葉のマジックですね🎵

その兼田敏先生も早逝されました。ご冥福を祈りたいと思います。

コンクール、そしてその後

いよいよ夏のコンクール本番を迎えました。
その年の会場が、何故か東広島市の某公民館という、なんでやねん!な会場でしたが、私はこういう舞台で頑張ることが、全力を尽くすということだと思い、本番では目一杯頑張りました。

結果は残念ながら県大会止まりの銀賞でしたが、審査員の先生方の講評を見ると、ここが惜しいとか、あの部分が惜しいとか書いてあり、この年のゴールド金賞到達レベルのA評価6つまであと2つという、A評価4つの結果でした。
銀賞ではありましたが、先生方の講評は前向きな言葉ばかりでしたので、このまま頑張れば、もっと上位に進出出来る!と思いました。
顧問の先生にゴールド金賞を贈ることは叶いませんでしたが、私の人生でここまで吹奏楽に打ち込み、燃焼し尽くした年はありません(苦笑)

ちなみにこの年にコンクールで演奏した曲は、課題曲「風紋」、自由曲「オーストラリア民謡変奏曲より第3楽章、第4楽章」です。

「風紋」に捧げた17歳の夏、私には一生忘れられない体験です。

ちなみに私はコンクールだけじゃなく、そのまま打楽器に残りまして、実は密かに憧れていたドラムも、叩く機会に恵まれました。

我が母校は毎年3月に定期演奏会を行っていまして、3部構成の内、第3部にはOBも参加出来るんです。
私は毎年のように定演に乱入してはドラムを叩いていたので、きっと二つ下の後輩からは、「ドラムの人」と思われているでしょう(笑)

最後に、私が生徒会役員も兼務しながら部長職を務めさせて頂き、3年生に上がって新1年生に吹奏楽部のプレゼンをして部長職から引退する際、顧問の先生から言われた言葉が、今も忘れられません。
「お前、1年間本当によくやってくれた。もう少し部長でいてくれないか?」
これは流石に辞退しましたが、この顧問の先生から頂いた言葉で、部長として苦しんだ1年間が報われたように感じました。

顧問の先生は惜しくも天国に旅立たれてしまったのですが、私はまだまだ吹奏楽が好きですし、機会があればサックスを吹きたいです!先生、天国から見守って下さいね。

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ミエハル
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