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【異文化カルチャーシェア活・番外編】プロレス編その1

チェーンナーさん発のこの企画なんですが👇

私もバトンを頂戴しまして、2本記事をアップいたしました!

1本目は何を書くか焦らしておいてから、「寄席」について書きました。

2本目はプロレスについて書くのか?と思わせてから「クラシック」についての記事を書きました。

そんなふざけた書き方が良くなかったのか、2本目の記事のバトントスに失敗しまして…😫

その責任を取りまして、1本目、2本目の2回に渡って前座扱いしてしまった、小5以来の趣味「プロレス」について、ちゃんと書きたいと思います!

前回書きました通り、私は小学5年生に上がったばかりの1981.4.23、新日本プロレスの蔵前国技館大会の中継を見て、タイガーマスクに衝撃を受け、それまでのプロレス嫌いから、プロレス凄い!面白い!に、一夜にして変貌いたしました。

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私をプロレスファンにしてくれた初代タイガーマスクの繰り出す技ときたら、凄過ぎるものばかり!

空中殺法は、実はそれほど多用していないんですけど、それでもそれ以外の技の華麗さが相まって、常に対戦相手を翻弄し、タイガーのペースで試合をしていた、そういう記憶が残っています。

さてタイガーマスクを見てプロレスファンになった男子は私以外にも多数いまして、その頃は土曜日まで普通に授業がありましたから、金曜日に見たプロレスについて土曜日に語るというサイクルが確立されました。

「昨日のタイガーマスク、やっぱりすげぇよな!」

とか言って、砂場でプロレス(タイガー)の真似をするわけです(笑)

私もローリングソバットの真似をしましたが、どうしてもタイガーマスクのように華麗には出来ませんでした(←体育苦手なんだから当たり前)。

その内、タイガーだけではなく、藤波、猪木といったスター選手のことや、ハンセン、アンドレ、ホーガンといった外国人レスラーも覚えていきます。

私がプロレスを見始めた年に、新日本プロレスと全日本プロレスが、選手の引き抜き合戦に突入していったと知るのはもう少し後になります。

また本屋に立ち読みによく出掛けていた私は、プロレスの専門雑誌があることも知りました。
まだ週刊ではないので、月刊誌だった時代です。
「ゴング」「週プロ」も月刊でしたが、流石に月刊ではシリーズの流れを追いきれないということからか、名前を変えた「別冊ゴング」「DXプロレス」という月刊誌を発売していまして、何となく隔週刊的な感じでしたね📕


さて私がこの年にプロレスを見始めたお陰で、印象に残ったシーン、試合というのがいくつかあります。時系列順に書きますと…


①「谷津義章デビュー戦が全国生放送されるも悲惨な目に遭う」

1981.6.24、新日本プロレスは水曜スペシャル(夜7時半から9時まで)で蔵前大会を生中継するという攻勢に出ました。
目玉は、全日本プロレスから移籍してきたA・ブッチャーとタイガー戸口の新日本デビュー試合、またタイガーマスク久々のテレビ登場、そして大型新人・谷津義章のデビュー戦です。

週の真ん中水曜日の試合ですから、その日は昼間っから男子は盛り上がってましたね~😅

私もワクワクして生中継を見ていましたが、不思議だったのが藤波選手はブラック・キャットという、若手の壁的な、全日本で言えば百田兄弟のような位置付けの選手と試合をしたことです。

もっと豪華な外国人選手とやればいいのにと思ってたんですが、大人になってから裏話を知ってしまいました(実はタイガー戸口とシングルをやり、藤波が勝つ予定だったのが、戸口がゴネて…以下略)。

さて藤波選手の次に、そのタイガー戸口が出てきて、対戦相手は誰か?というと、キラー・カーン選手。

戸口はなぜ藤波選手との対戦を嫌がり、キラー・カーン選手ならOKだったのかを語りだすと長くなるので止めときますが(笑)、キラー・カーンさんはいい人ですよ。
数年前、新大久保駅に近いカーンさんのお店に行った時も、快く写真撮影に応じてくれました🎵

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そしてタイガーマスクの試合を挟んで、いよいよメインイベント、「A猪木&谷津vsSハンセン&Aブッチャー」です。

👆この通り、悲惨な結末を谷津選手は迎えたんですけど、テレビで生中継を見ていた時には、最初は谷津選手はなかなか頑張ってるな、でも新人だから限界かな?みたいに思ったんですが、3本勝負だったので試合途中でCMが入り、CM明けには谷津選手はリング上からいなくなっていて、猪木さんがなんとなくポーズで『俺1人で2人とやってやる』みたいに叫んで観客を鼓舞していました。

そんな混乱状態で生放送が終わったんですが、当然翌日の男子達は、「谷津っヤツ、弱ぇなぁ」みたいになっていましたね。私もそう思いましたが、今考えたら谷津選手には気の毒な試合だったと思います。


②「伝説の9.23田コロ生中継を見た!」

1981.9.23、新日本プロレスは又も水曜スペシャルでビッグマッチを生中継してきました。
この日の目玉はハンセンとアンドレの一騎打ち、全日本から移籍してきたタイガー戸口が遂に猪木さんと一騎打ち、そしてラッシャー木村率いる国際軍団の乱入です。

順番的には、「ハンセンvsアンドレ」が最初です。

純粋な試合の動画を探していたんですが、どうも裏読みしたがる昭和マニアの作った動画ばかりしかなく、申し訳ありません。

こういう試合は裏なんか読まず、見たままのド迫力に感動すれば良いのです!
アンドレについては、古館伊知郎さんが実況されていた時の名フレーズが蘇ります🎤

「1人民族大移動」「人間山脈」「1人というには大きすぎ、2人と呼ぶと人口の辻褄が合わない!」

そんなアンドレにハンセンが挑むような形での試合でしたが、小学5年生なりに生中継を見て覚えているのが、とにかくアンドレに真正面から立ち向かっていけるハンセンは凄い!でした。
またこの試合の時に、ハンセンがアンドレをボディスラムで投げたんですが、アンドレはボディスラムを受けたがらないことで知られていて、この試合までは猪木、ハリーレイス、カネック、ローランボックの4人が公式記録だといわれていました(本当はもっといたらしいですが)。
そのためハンセンがボディスラムでアンドレを投げた時は、古館さんが「世界で5人目!」と叫んでいたのを記憶しています!
試合の最後はアンドレがレフェリーにラリアットを喰らわすというハチャメチャな展開になりましたが、リアルタイムでこの試合の中継を見れたことは、嬉しかったですね♪

その次は、ラッシャー木村率いる国際軍団乱入「こんばんは」事件です。

一般的には木村さんが、「こんばんは、ラッシャー木村です」と言ったことになってますが、この映像を見て頂いたら分かる通り、保坂アナの質問に答えて、「こんばんは」とだけ答えてるんです。
その後も心優しい木村さんは、丁寧に保坂アナの質問に「秩父で合宿してます」とか答えていくんですが、最初の「こんばんは」で場内を笑わせほんわかムードにしてしまったことに、猪木さんは不機嫌になりました💦
それを察したアニマル浜口さんが機転を利かせて、挑発的な言葉を浴びせていくんですが、なかなか場内のムードは戻りません。
動画の最後の方で、猪木さんと木村さんが我々には聞こえない言葉のやり取りをしていますが、多分猪木さんからのダメ出しがなされていたんじゃないかと思うんです。
「もっと挑発してみろよ!」とか「猪木、テメーを倒してやる!」くらい、言ってみろよとかじゃないかな…😅

良くも悪くもこの国際軍団の乱入により、ハンセンvsアンドレで盛り上がった場内は落ち着いてしまい、猪木vs戸口の試合は生中継時間内にキッチリ猪木さんの卍固めで決着が付きました。

その後国際軍団は徹底的に悪役になっていき、猪木さんを試合中に拉致したり、試合後に髪の毛を切ったり、憎まれ役に徹していました。
その頃純粋な私は、いつも木村なんかやっつけちゃえ!と思ってましたね(笑)


③「スタン・ハンセンの全日本移籍の中継を見た」

S・ハンセンは新日本プロレスで頭角を現し、この年(1981年)も新日本プロレスを大いに沸かせていました。
上記①②の印象深いシーンの両方に、S・ハンセンが登場していることでお分かりいただけるかと思います。

また新日本プロレスも全日本プロレスも、年末にはタッグリーグのシリーズを開催していまして、豪華な外国人レスラーが集結しているのが通例でした。
さてこの年、S・ハンセンは新日本のMSGタッグリーグに、D・マードックと組んで出場していました。
優勝の可能性もあったんですが、結果的にはアンドレ組が優勝しました。

そして新日本のシリーズが終わった数日後、全日本の最強タッグの最終戦が行われたんですが、ここにS・ハンセンが現れたのです!

このシーンは、当時土曜日の夕方5時半から中継されていた「全日本プロレス中継」で見たんですけど、何も知らない純粋な11歳男子の私は、素直に興奮しました!(≧∇≦)
ブロディ、スヌーカの後から、テンガロンハットを被ったハンセンが見えた時は、ええーっ!?と思いましたね~。
そして試合途中でテリーにラリアットを喰らわして戦闘不能にし、ドリー1人状態にしてブロディが勝つわけですが、当時純粋だった11歳男子の私は、ハンセンの卑怯さが許せず、もう弱弱しい姿ばかりだった馬場さんや鶴田さん、ハンセンを倒してくれ~と願ってましたね😅

翌年のお正月シリーズで、S・ハンセンは正式に全日本プロレスに参戦するんですが、シリーズ最終戦でのジャイアント馬場選手とのシングル初対決を前に、中堅選手(阿修羅・原、大熊元司、G小鹿等)をラリアットで次々と秒殺していきます。
もう最終戦の馬場さんは、ハンセンにボコボコにされて引退するんじゃないか?みたいな感じになっていたんですけど、これがジャイアント馬場復活というか、想像以上の大奮闘と言いますか、いい試合になったんです。

実況陣もジャイアント馬場が青息吐息とか、分が悪いとか、最初の内は酷いことを言ってますが、後半では馬場頑張れ、に変わっていきます。
この大会には新日本プロレスファンが、ジャイアント馬場がハンセンにやられるところを見に来ていたみたいですが、馬場さんの奮闘に最後は場内大声援となりました。

結果は昭和らしくあいまいな決着ですが、当時11歳の私、テレビの前で大興奮してました!(笑)


プロレスについて語り出したら止まらないのが、自分自身にも、皆様にもお分かり頂けたかと思います💦

自分がタイガーマスクに魅せられ、プロレスファンになってから1年も経ってない期間中の出来事だけで、こんなに文字数を消費してしまうのですから(笑)

タイトルに「その1」とか入れてますが…今後どうしようか、改めて検討いたします・・・m(_ _)m

書いちゃいました!👇その2です


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ミエハル
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