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第5話:少しずつ衰えていくということ
カエル「シェアハウスでの生活は、彼女にとっても楽しめるものになっていたし、周りの人たちも彼女と共に笑い合える日々が増えていったよね。」
ミーちゃん「そうね。小さなトラブルはあったかもしれないけど、それは普通に生活しているからこそのものばっかりだったわ。彼女にとって、当たり前の日常生活がそこにあったんだと思うわ。」
確かにNみさんは、すっかりシェアハウスでの生活に溶け込んでいた。腹を割って話し合える友人もでき、一緒に食事をし、笑い、喧嘩しながら、本当に当たり前の生活をそこでされていた。
カエル「覚えてる?彼女は年齢相応に、歯が弱っていたんだけど、大好物はすき焼きだったね。お寿司なんかの魚じゃなくて、お肉が大好きだったね。それも牛肉!」
ミーちゃん「そうね、それはシェアハウスに来る前からずっとだったわ。一週間に一回はすき焼きを食べていたもの。」
カエル「そんなに?他には何が好きだったの?」
ミーちゃん「そうね・・・あとは大福とかお饅頭とか。でも、お肉が一番だったわ。塩胡椒で焼くんだけど、彼女左半身に麻痺があったのに、自分で台所まで歩いていって焼いていたのよ。信じられる?」
カエル「本当に彼女はすごかったね?その辺りはNみさん回想録の時にもっと詳しく話そうか。僕にもミーちゃんにも、信じられないくらい面白いエピソードがNみさんにはあると思うよ。」
ミーちゃん「そうしましょう。」
そんなNみさんの日常生活であったが、少しずつ彼女にも変化が訪れていた。それは誰にでも訪れ平等にやってくるもの・・・すなわち老化であった。
あれだけ、お肉やお饅頭と言っていたNみさんも、少しずつ食が細くなっていった。提供されたご飯の摂取量が低いのはもちろんだが、嗜好品の摂取量も徐々に減少していった。
そして、普段はずっと起きて生活していたのが、少しずつ横になって過ごすことが増えてきたのである。
ミーちゃん「なんとかしなきゃ・・・って必死になったわね。」
カエル「そうだね、あの頃の僕たちは試行錯誤の連続だったね。食べ物の工夫や時間の工夫はもちろんのこと、気分や場所の変化やイベントにも気を回していたね。」
実際、彼女の好物や食べやすいもの、時間帯や食べる場所にも気を配っていた。この頃、彼女は自分で食べることができず、介助によって食事をされていた。
彼女自身、混乱している様子も見られ「なぜ、食べれないのか」と苦しんでいる様子も見受けられた。
それこそ、彼女の好きなお肉やお饅頭はもちろん、食べやすい形状でのプリンやゼリーなども試していた。
その中で、唯一と言っていいほど、なんとか食べことができたのは「素麺」であった。それも結構な高級素麺でないとダメなのが、Nみさんらしかった。
少し柔らかめに茹でた素麺を、一口ずつパスタのようにスプーンの上に乗せ、Nみさんの口に運びます。無意識にベロで押し出そうとするので、うまくスプーンをベロの上に乗せて、フォークでするっと乗せると、しっかりと食べることができます。
いまだに原因は不明ですが、認知症状の進行による、摂食拒否もあったんだと思います。おそらく、ご本人の「食べる」という気持ちと行為がリンクせず、吐き出しや拒否という形になっていたんだと思います。
カエル「それでも、やっぱり徐々に食べれなくなったよね。本当に辛い時期だったと思う。」
ミーちゃん「そうね。ただでさえ痩せ気味のNみさんが、少しずつ痩せていくのを実感したわ。」
カエル「そんな時だよね、Nみさんから娘さんの話をよく聞くようになったのは。」
Nみさんには、故郷を飛び出す時に連れていった娘さんが一人いた。Nみさんからは「もう結婚して嫁にいったんやから関わりたない」としか聞いていなかった。
様々な事情が彼女たちの間を難しいものにしているのは容易に想像できた。
カエルとミーちゃんは、今までの情報をしっかりと集め分析し、娘さんが住んでいる場所を見つけることができた。
カエル「隣の市で、飲食店を旦那さんと経営してたんだよね。」
ミーちゃん「そうそう、結構評判の店で、SNSでもフォロワーさんがいっぱいだったのにびっくりしたわ。」
カエル「僕たちは今のNみさんの状態を見て、そう遠くないうちに最期のお別れが来るかもしれない・・・って考えて、Nみさんの気に掛かっている娘さんとの再会を果たそうって考えたんだ。」
ミーちゃん「そうね、私との話の中でもNみさんは娘さんのことをかなり気にかけている様子だったし・・・。」
カエルとミーちゃんは、Nみさんに「娘に会いに行こう。」と話しかけます。
カエルもミーちゃんも、この話をすんなりNみさんが「うん」というとは思っていません。今までの感じからすると、説得に時間がかかるだろうな・・・というのが本音でした。
ところが、予想外にもNみさんからは「行こうか」という答えが返ってきます。
カエル「あの時はびっくりしたね。あんなに簡単に行く気になってくれるとは思わなかったから。」
ミーちゃん「そうよね、もしかしたらNみさん自身も自分の命の残りについて考えるところがあったのかもね。でも、その後も大変だったわね。」
カエル「そうなんだ。僕はNみさんの余命が短いことが、それまで絡まっていた親子の糸を、解決するものだと勝手に思っていたんだ。」
ミーちゃん「私だってそう思っていたわ。」
カエル「だから娘さんに電話するときは、あっさりOKをもらえるものだと思っていたんだ。」
ミーちゃん「そうね、私もそんな風に言ってもらえるものと思っていたわ。」
カエル「娘さんの返事は、断固としたNOだったんだ。僕たちが思っているより二人の間は拗れていたし、そこに至るまでの問題もたくさんあったんだ。」
ミーちゃん「そうね、それは本当に私たちでは計り知れないものだったわ。
カエル「でも、僕たちは諦めれなかったね。いいか悪いかは別として、娘さんの気持ちよりNみさんの気持ちが最優先だった。アポイントが取れないなら突撃しちゃえって。」
ミーちゃん「あの時はそれしか方法がなかったもの。でもね、あの時のことがあったから、Nみさんは最期まで死ぬのを待つんじゃなくて生き抜けたんだと思うの。」
カエル「そうだね。彼女の生きる力になっていったのは間違いないと思うよ。」
ミーちゃん「Nみさんの体調の良い日を選んで、三人で車で向かったのよね。」
カエル「娘さんのお店の近くに車を止めて、まず僕が挨拶に行ったんだよね。とてもドキドキしたのを覚えているよ。」
カエルがドキドキしながらも、そのお店に近づいていくと、中には優しそうな男性が立っていた。
カエル「あぁなんて優しそうな人なんだってのが第一印象だったよ。事実印象通り、かなり優しい人だったんだけどあ。」
ミーちゃん「そうね、彼がいてくれてよかったわ。」
カエル「で、実はNみさんが住まれている施設のスタッフなんですけどって言ったら、すぐにわかってくれて。でも、その時に、店の中には娘さんの姿は見えなかったんだ。」
あいにく、娘さんは、自分の娘さん・・・つまりお孫さんの運動会に出席されていた。終了時間もまだまだ先で、Nみさんが待つには体力の心配があった。
カエル「そしたら、少しの間、旦那さんがNみさんと話してくれて。いつもは気丈なNみさんの表情が、お母さんのものになっていたのが印象的だったね。」
ミーちゃん「そうね。結局娘さんには会えなかったんだけど、Nみさんがちゃんと旦那さんに、娘をよろしく頼みますって言っていたのが印象的だったわ。」
カエル「そうだね。そしてお孫さんの写真を見ている時のNみさんは、間違いなく”おばあちゃん”の顔になっていたね。あとでそのことを伝えたんだけど、照れくさそうに笑っていたよ。」
その日は、娘さんに会うことは叶いませんでしたが、旦那さんに会うことができ、また自分にも孫ができていることを知ることができたのは収穫でした。Nみさんに新たな目標ができます。
カエル「お金を貯めて、孫の嫁入り道具を揃えるんや、というのがNみさんの口癖になったね。お孫さんは小学生の女の子だったから。」
ミーちゃん「そうね、すごい気持ちが上向いたのを覚えているわ。しっかり素麺を食べられるようになったし。」
しかし、ドラマのように気力が続くわけではありません。彼女の症状はやはり深刻なものになっていきます。ほぼ食事を食べることはできず、水分も摂れません。点滴に頼る日常がやってきます。
カエル「あまり長い時間をかけて様子を見ることができない状態になったよね。娘さんに会いに行った日の帰りも、結構高級なレストランに寄って大好きなすき焼きを頼んだのに、ほとんど食べられなかったし。」
ミーちゃん「そうね、あの時にNみさんに話すことがとても辛かったのを覚えているわ。」
それでも二人はNみさんに、これからの話をします。それは専門職としての使命だと信じているからです。
娘さんの関わりが期待できない今、ご自身の未来を決められるのはNみさんだけです。身体的にも精神的にも下向きな彼女に、人生の決断を求めることは、二人にとっても辛いことでした。
ですが、Nみさんの命に真剣に向き合うということが、二人を動かします。
カエル「あのね、Nみさん聞いてもらえる?Nみさんは、今ほとんどご飯を食べてないし水分も摂っていないでしょう?これは身体を動かすガソリンが入っていないということなんだ。」
Nみさんは真剣な表情でこちらを見て頷きます。
ミーちゃん「ガソリンが入らないと、エンジンが止まってしまうの。人間の場合は”心臓”ということになるわ。」
Nみさんは表情を変えずに、静かに頷きます。
カエル「だから今から話すことから、Nみさんに選んでほしい。どの道も正解だからね。」
Nみさんは「わかった」と頷きます。
カエル「一つは、これは自然な老化だと考えて、今まで通り食べられる時に食べられるものをという方法。点滴でフォローはするけど、いつまでもできるものじゃないんだ。いずれ血管が使いにくくなって、点滴もできなくなってしまう。あるがままの状態で過ごすということなんだ。」
ミーちゃん「そしてもう一つは”胃ろう”という方法なの。これは胃に直接道を作って、栄養と水分を摂取するっていう方法。もちろん、口から食べることもできるわ。ただ、栄養と水分が摂取できるといっても、確実に吸収されるかどうかはNみさんの体次第だから、確実に良くなっていくとは言えないんだけど・・・。」
Nみさんは少し考えたあと、「胃ろうにするわ」と答えられました。
正直二人はびっくりしていました。Nみさんの今までの気性や考え方からすると”自然な形”を望まれると思っていたからです。
「孫の結婚式見るまでは死ねんやろ?」
Nみさんは笑ってそう言います。
-----次回予告-----
次回、カエルとNみさんが市民病院にて”胃ろう”造設のために奮闘します。