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風呂を出て、人に会う

文・ハネサエ.OTONAMIE

年々、体力なのか気力なのか、はたまた根性なのか、ただのやる気なのか、そのあたりの頑健ななにかが枯渇していっている気がする。

毎日小学校へ通っているうちの3人の子どもたちが、私の8000倍くらい立派でめまいがする。
私はもう、毎日7時30分に家を出て、重たい荷物と水筒を持って、1キロ以上ある道のりを歩くとか絶対にできない。
暑い日も寒い日も、晴れの日も雨の日も、判を押したように外に出るなんて考えられない。ほんとうに立派で直視できない。するけど。

*

先日、いせ若者就業サポートステーション(以下、いせサポステ)の取材に同行させてもらった。
社会に出ていく過程についてお話を聞いていく中で、「信じられない」と思うと同時に自分の中の頑健なエネルギーの不在を改めて思い知った。

担当の浦田さんという男性が、「まずは2週間に1度の面談に来られるようにするところから」と話していた。
まるで大人みたいな顔をしてそれらしく頷いて聞いていたけれど内心は「うそ、そんなことできない」と思った。

「2週間に1回なんて、そんなのもう、毎日じゃん」と咄嗟に思うくらいには私のカレンダーはぶち壊れている。
私の毎日は、子どもたちに振り回されているか、ウトウトしているか、オロオロしているか、風呂に入り渋っているかだ。
私のあずかり知らぬところで時計は針を進め、カレンダーは日々をめくっている。ハッとして顔をあげたら知らないうちに10日くらい経っている。
月末に請求書を発行しながら、私はいったいいつ仕事をしたんだろう、と毎月首をひねっている(フリーランスのライターをしています)。
たぶん、オロオロの、オロとオロの間とか、ウトウトのウとトウトの間とかに何かしら働いているんだろう。正直言ってあまり仕事に関する記憶がない。とにかくそんな調子だ。

そんなだから、決められた日に、決められた場所に行くのがほんとうに緊張する。1度ならその緊張感でなんとか乗り越えることができる。
しかし、それが2週間に1度と、定期的になったとたんに腰が抜けそうになるのだ。私の腰が「無理だよ」と泣き言を言って、ぺたんと尻もちをつく。

ところが、いせサポステではそれを起点として、多くの人が様々な課題を解決して新しい環境へ羽ばたいているのだという。
みんな風呂に入り渋ったりしないんだろうか。入り渋って、やっと入ったら今度は風呂から出渋って、ついには湯船で寝てしまうということはないんだろうか。
それだけみなさん働く意欲に満ちているということなんだろうか。
そんなふうに、「2週間に1度の面談」のワードだけで、私はひっそり動揺した。

*

1時間ほどあれこれとお話を聞いて、最後に「ハネさんなにかほかに聞きたいことはありますか」と同行者の男性が言った。
私にはどうしても浦田さんに聞きたいことがあったのだ。
よくぞ尋ねてくれた。

我が家には日々、どういうわけか校区内外からいろんな子どもが遊びにきていて、私はそのうちのひとりをある事情で案じている。詳細を書くことはできないのだけれど、彼女のことを大切に思うほど、漠然と「これでいいのだろうか」、と胸の奥に引っかかるものがある。
取材の途中、浦田さんのとある経歴を聞いていて、浦田さんなら分かってくれそうだと思ったのだ。
就職支援とは全く関係のない話だが、それを前置いてでも、私はどうしても聞いてみたかったのだ。

「我が家は、私は、今のままでいいんでしょうか」

「聞く限り、今のままでいいと思います。きっとハネさんの家はその子にとって安心できる場所なんだと思います」

浦田さんはまっすぐな目でそう言った。
その瞬間、私の中に膨らんでいた風船がパンと割れたみたいに、いろんなものがあふれてしまった。
胸の奥に溜まっていた小さな澱(おり)はいつしか大きな塊になっていたらしい。
ほどけた塊を拾い集めて、言葉にすると、浦田さんは落ち着いた様子で「うんうん」と聞いてくれた。
ちっとも悩んでいるつもりはなかったのに、悩みだなんて思ったこともないのに、それらはばらしてみると無数の不安の粒だった。

気持ちとは裏腹に涙があふれて、それでも浦田さんは落ち着いた様子で切れ切れにこぼれる私の話を聞いてくれた。差し出されたティッシュで眼をぎゅうと押さえつけて、顔をあげると、浦田さんはやっぱりまっすぐこちらを見ていた。
そうか、浦田さんはこうしていろんな人の、小さな不安を一緒に拾い上げるお仕事をしているのだ。
だから困ったりもせず、励ましたりもせず、無理に笑わせたりもせず、こんなにただ真っ直ぐな目で頷いてくれるのだ。

*

家に帰った私は、「ああ、浦田さんにまた会いたいなぁ」と思っていた。なんだかとってもいいお湯に浸かったあとみたいに、心地よかった。
不安がすべてなくなったわけではないけれど、浦田さんが言った「大丈夫」が心の中に支柱を一本立ててくれたような気がした。
いせサポステに通っている人はいいなぁ、また浦田さんに会えるんだなぁ、と思って気が付いた。

ひょっとして、こんな、なんの丈夫さもない軟弱な私だって会いたい人に会うためならば、ちゃんと風呂から出られるのでは。さっと頭を洗って、しゅっと身体と顔を洗って、湯船に浸かって、髪を乾かすことができるのでは。

風呂に入り渋ることも、風呂から出渋ることもない人からすると、なんの話をしているのかと思われそうなのだけど、そういうことだ。

外に出るということは、社会に出るということは、人に会うということなのだ。
会いたい人がいれば、風呂場のドアは簡単に開くのかもしれない。

*

いせ若者就業サポートステーションでは、2週間に1度の面談を経た後、系列の農園やカフェなどで働く機会を用意することもあるのだという。
そこは、職場というより「居場所」なのだと浦田さんは言った。
そして、その居場所からまた、新たな場所へと巣立っていく。

きっとその入り口が「人に会う」だ。

つまり何が言いたいかと言うと、いせ若者就業サポートステーションは「人に会う場所」だ。

そして、そこからまた、新しい人に会う場所。

浦田さんはその入り口で、今日も誰かを待っている。

*

実は、とあるご縁で、近いうちに今よりも外に出る環境に身を置くことになりそうだ。
ご縁がつながれば、風呂に入り渋っている場合ではなくなる暮らしが始まる。
ほんの少し想像するだけでとめどなく緊張しているのだけれど、どうかそこに会いたい人がいますようにと思っている。

風呂を出て、人に会う。
新しい毎日が待っている。


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