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最後のおじいちゃん孝行
【AYA世代息子のALL闘病日記.81】
8月。お盆真っ最中に義父が光のもとへ還りました。
息子にとっては父方のおじいちゃん。
おじいちゃんは3年前から肺がんを患っていましたが、放射線と抗がん剤治療を受けて以降、その副作用によるダメージが大きかったようで、
急に体力、免疫力が低下してしまいました。
「こたが退院するまでは、頑張らんといけん。」
と気力、体力を振り絞って毎日を大事に過ごしていました。
放射線や抗がん剤の治療って、がん細胞も叩いてくれるかもしれんけど、当然正常な細胞も駆逐してしまうんですよ。
おじいちゃんの闘病と息子の闘病。
どちらも同じがんの治療だけど、治療の意味や必要性も含めていろんな違いがあるなと感じています。
2人を毎日間近でみていて、自分が、または大事な家族ががんになった時、どんな治療をしたいのかイメージしておくことってすごく大事なんじゃないかと思いました。
おじいちゃんは元々、放射線や抗がん剤治療を望んではいなかった。
民間療法もいまいち。
医師からの薦めもあり、「全く抗がん剤を使わないのもどうか…。医者が言うようにやっぱり1度はかけてみた方がいいかな」と。
がんがあることがわかっていながら、全く治療しないことに「本当にそれでいいのか自信がなく、心が揺らいだ」と言っていました。
抗がん剤で病巣の拡大を止められると期待して副作用も含め納得の上で治療を受けたんです。
だけど、結果、放射線治療による肺炎を起こしてしまいました。
そのダメージは予想よりも強くおじいちゃんの体力・気力は大きく奪われてしまいました。
おじいちゃんは、抗がん剤や放射線治療したことを後悔していたんじゃないかな。
「抗がん剤はもう二度とイヤだ」と口にしていた姿が忘れられません。
そして、「もう抗がん剤治療はしない」と決めたおじいちゃんは、大学病院から提携先の療養型の病院に転院になりました。
転院の時の搬送は退院した息子が担当。
退院後初の大きなお手伝いがこの転院の付き添いでした。
8か月ぶりに自分の愛車の助手席におじいちゃんを乗せて転院先までのドライブ。
おじいちゃんは、道中、息子にいろんな昔話をしてくれたそうです。
いままで、聞いたことのなかったおじいちゃんの若かりし頃の想い出話をいっぱい語ってくれたと。
おじいちゃんは、孫の運転で病院まで送ってもらって嬉しかったんじゃないかな。
「こたもなんとか山を越えてくれたし、車も運転できるようになった、これで一安心」って、なんか、見届けた感がしたんじゃないかと思う。
この頃にはだいぶ歩けなくなっていて、車からの移動も車椅子を使いました。
息子がおじいちゃんの車椅子を押している。
その様子を見ていて、息子が社会復帰していく未来も観えた気がしたし、
反対におじいちゃんのこれからも観えた気がしました。
それから1カ月とちょっとで、おじいちゃんは虹の橋を渡っていきました。
潔かった、、。
まさか、こんなに早くお別れすることになるなんて、、、
家族の誰もが大していろんな準備もできないままに、逝ってしまった。
逢いたい人に逢えないというコロナ禍のせいで
家族みんなに看取られながら、というのが叶わなかったのはとても悔しいけどね。
家族で夜伽をしながらおじいちゃんが眠っている棺をみて、「もしかしたらオレが入っとったかもしれん」と呟く息子。
「うっかりこたが入ってしまわんように、おじいちゃんがちゃんと順番守れよって先に入ってくれたんやねー」
こんな話をしながら、みんなでおじいちゃんを囲みました。
↑おじいちゃんに声をかける息子。
最期におじいちゃん孝行ができてよかった。
長い人生を生き抜いてきた年長者と、まだまだこれから!という若者では、死生観も大きく異なるし、とりまく家族の心情や意向ももちろん違う。
病気や治療の方針、考え方、大事にしたいものは何か、残りの人生をどう生きたいか、等々
息子からだけでなくおじいちゃんからもリアルに学ばせてもらった。
おじいちゃんも沢山のご先祖様のお迎えに、さぞ安心したんでしょう。
凛とした中にも柔らかな鈴の音に導かれて、きっと酒盛りしながら旅に出たんだろうなと感じる、お盆となりました。
猫が大好きだったおじいちゃん。
ユキは私たちがしっかり可愛がりますので安心してね。
ありがとう。