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【小曽根真The Trio】Makoto Ozone The Trio Concert  2002年9月8日 ふれあいプラザさかえ文化ホール

Makoto Ozone The Trio Concert
2002年9月8日(日)18:45-20:30 
ふれあいプラザさかえ文化ホール(千葉県印旛郡栄町)

Set List
01  Bienvenidos al Mundo (Makoto Ozone)
02  Round Midnight (Thelonious Monk)
03  Asian Dream (Makoto Ozone)
04  Samba D’Rivera (Makoto Ozone)
05  Three The Hard Way (James Genus)
06  Three Wishes (Makoto Ozone)
07 Where Do We Go From Here? (Makoto Ozone)
Encore
08 Doraemon No Uta (Syunsuke Kikuchi)

Makoto Ozone(pf)
James Genus (b)
Clarence Penn (d)

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会場についてみたら、まだ誰もいなかった。午後五時。ちょうど、開場の一時間前だった。千葉県印旛郡栄町。成田市の中心部から車で約三十分の、のどかな田園地帯の中に、今夜のコンサート会場ふれあいプラザさかえ文化ホールはある。遠くから公園で遊ぶ子供たちの歓声が聞こえてくる。しかし、どうしたものか。予定よりずっと早くついてしまった僕は迷った。なにしろあたりは豊かに広がるパストラル、思いつく時間つぶしとて何もない。近くにあるスーパーで腹ごしらえでもしようと、歩いて五分ほどのマルエツに向かう。ひとりハンバーガーをほおばりながら、僕はある思いにとらわれていた。そういえば、今日は金さんが並んでいなかった。そうだ、金さんは、昨夜(といっても日付は今日だが)ブルーノートがはねたあと、ボディ&ソウルで小曽根さんや三鈴さんたちと遅くまで話をしていたはずだ。今夜は開場ぎりぎりに現れるかもしれない。僕の脳裏に「よし、チャンスだ!」という言葉が浮かんだ。そうチャンス、一番乗りのチャンス。千載一遇のチャンスである。早々に食事を切り上げて、僕は小走りに会場の入り口へ急いだ。午後五時三十五分、まだ誰も並んでいない。やった!僕は心の中で叫んだ。今夜は、小曽根さんのコンサートへ一番乗りなのである。ちなみに、このホールもちろん自由席ではない。だから誰も並ぶはずがないのである。そうでなければ、開場三十分前に一番乗りなんてことはない。なにしろ、前日のブルーノート東京最終日は、午前八時過ぎには既に数人が並んでいたという。来年は徹夜がでるのではないかと、真顔で噂されるほどなのである。しかし、ズボラな僕が、来年突然がんばれるはずもない。もちろん、金さんがいるから・・・勝ち目もない。だったら、今夜一番乗りなのだ。なにしろ、前夜のブルーノートのライブは最高だった。心と体が震えた。そのすばらしいパフォーマンスに感謝し、そして今夜のコンサートに胸を高鳴らせつつ、ドアの前に並ぶ。小曽根真とザ・トリオのファンとしての、僕なりのけじめのつけかたのつもりだった。ところが、である。人は列があると並びたくなるのだろうか、あるいは日本人の特性か、すぐ後に来たずっと年長の男性が僕の後に並んだのである。僕は、ほんとうに一番乗りになってしまった。その場にふたりだけになってしまった僕たちは、おしゃべりをはじめた。

2番:今夜はどのくらいのお客さんが集まるんでしょうね。このホールには、以前寺井尚子さんも来られたことがあるんですよ。私、その時も聞きに来ました。
1番(つまり僕):よくジャズのライブはあるんですか?
2番:いえ、そういうわけじゃあないんですけどね。このホールにはスタインウェイのすばらしいピアノがありましてね。
1番:あっ、昨日小曽根さんが、ヤマハのピアノを搬入するとおっしゃってました。小曽根さん、いつもヤマハのCF-ⅢSというグランドピアノなんですよ。ブルーノートで使ったのとは、違うものをご本人が?運んでくるとおっしゃってました。
2番:えっ?昨日?昨日も聞かれたんですか?
1番:ええ、ブルーノート東京で。ほんとうにすばらしかった。昨日までは、ボーカルとギターが入ってたんですけど、今夜だけはザ・トリオの公演なので、楽しみにしてきたんです。
2番:もしかして、遠くからいらしたんですか?僕は、白井からです。ここから一時間くらいかな。
1番:僕は横浜からです。でも、姫路から来る人もいますよ。(注:金さん)
2番:へえ、そんな遠くから。へえ。


そんな話をしているうちに、ぞくぞくとフォーラムメンバーが集まってきた。会長、shiollyたちのグループ。そして、Cherryさん、えっちゃんご夫妻と金さんたちのグループ。そして、僕の相棒CHOOTさん。みんな笑顔で、昨夜のライブの感想を語り合う。はっきりいって、すごく濃い。


2番:みなさん、お仲間でいらっしゃるんですか。
1番:はい。いつも、一緒にライブを楽しんでいる仲間なんです。小曽根さんのフォーラムで知り合った仲間なんですけどね。


そこに、おもむろに千原さんが登場した。バックの中に、小曽根さんのファーストライブのパンフレット、そして最初期のアルバム(LPである)がたぶん三枚。会長をはじめ、みんな、おおっと声をあげる。小曽根さんの顔が、若い!(そして、ちょっとだけ細い)。


2番:それにしても、貴重なものをお持ちですね。それにしても、LPですか。
会長:このころは、LPとCDが一緒に出てたんですね。僕はCDやったんですけど。(以下略)


いやはや、あとは金さんのライブの報告やら、情報交換やらで、入り口前で大いに盛り上がってしまった。惜しくもブルーノートに来れなかったshiollyは、今夜のライブに対する期待と高揚感が顔にあふれているし、僕たちは僕たちで、前夜とは違った展開をさまざまに予想しあう。おせっかいにも、やがてアンコールの曲目にまで話題は及んだ。


ライブレポートに先立って、白井在住の2番の方(お名前をうかがいませんでした)に、心からお詫びをしたい。僕たち濃くなかったですか?怖くなかったですか?小曽根真ファンは、小曽根さん御本人同様とてもとても熱いですし、おせっかいなほど親切で見せたがりですから、是非これにこりずにまた話に加わってください。そして、とりわけ僕から申し上げたいことは、2番にならんでいただいてありがとうございましたということです。おかげさまで、なんとかかっこうがつきました。愚かな僕を救ってくださったのは、間違いなくあなたです。

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午後六時、開場時間となった。ドアのあちら側で、最終チェックをする人々が忙しそうに動き回る。と、突然会長が「なんか、男ばっかりやなあ!」。えっ?僕が発言の意図をはかりかねていると、すかさずCHOOTさん「たぶん、みんな町の職員の方だと思いますよ。ホールの手伝いに来ているね」。ああ、そう意味だったのか。会長は、女性が見えないのが少し不満らしい。それにしても、今夜の会長はいつもにもまして饒舌である。なにしろ、前夜のブルーノート、ファーストセットだけで帰ってエネルギーを温存している。昨夜の終演後、小曽根さんが「あれっ?会長はどこいったん?」といかにもその人がそこにいないのが意外だという顔をされていたが、「もう歳やさかい、朝まではようつきあわん」といい残して帰りながら、きちんと翌日に備えているところがただ者ではない。今夜は笑顔が咲きこぼれている。
 さかえ文化ホールは、キャパシティが千人ほどの実に立派なホール。「なんかなつかしい作りですよね」とCherryさん。両袖からのアプローチが作り込まれていて端正である。僕もふるさとのホールを思い出していた。かなりひろい舞台には、向かって左からグランドピアノ、ウッドベースとアンプ、そしてドラムスのセットが並べられており、極めてシンプルな構成。まもなく、ここから凄まじいまでの豊かな音楽が立ち上がるはずだ。フォーラムのメンバーは、ステージの前に来て楽器談義に花をさかせる。再びCherryさん。すかさずドラムスに注目して「昨日の波うつシンバルどうしたんでしょうね。やっぱり、あれクラブ用なのかな?」。そう昨夜のブルーノートで、クラレンスは波うつシンバルを叩いていて注目された。今夜はプレーンなものに変えられている。おそらく、会場の広さに応じた楽器を使い分けているのだろう。「おっ、今日はPA入ってへんね。生音が聴けるわけや。うれしい!これは期待できるでえ」と会長。生音にこだわりつづける会長は、穏やかだが確実に昂揚しているのがわかる。みんなウズウズしているのだ。


実はこの夜、開演が少し遅れた。(実は小曽根さんたちが開演時間を間違えていたのだ。会場近くのマルエツを三人で探索していた由である。)セカンドベルがなってから、開演まで数分あったのである。しんと静まった会場のなかで、男女ふたりの会話だけが続いてた。男性は…聞き慣れた関西弁。音楽のはなし、ジャズのはなし、小曽根真のはなし、終わるところを知らない。かなり、いやすごく目立っている。僕の隣の席に座ったCHOOTさんが、にこにこしながら「あれ、会長だね」。僕が頷くと、おもむろに身体を後ろに向けて、二列後ろに座る会長に向かって「会長、うるさい」とひとこと。「えっ、そんなに目立ってる?」と会長はあたりをきょろきょろ見回す。もちろん、笑顔である。そんなに確認せんでも目立ってますって!さらに、かなりマニアックな小曽根真の話の内容を、回りのオーディエンスのほどんどが注意深く聞いていたことは確実である。もちろん、耳ダンボにしなくても、自然と、いや強制的に、聞こえてくるのではあったけれども…。そうこうするうちに、小曽根さん、ペンちゃん、ジーちゃんの三人が舞台に登場。オーディエンスに大きな拍手で迎えられた。

午後六時四十五分だった。小曽根さんは、華やかな柄のプリントされた長袖のシャツ。ジーナスは、オレンジ色のポロシャツ。そして、クラレンスは黒のTシャツ姿。三人とも微笑んでいる。まずは、小曽根さんのMCから。「こんばんは!」。オーディエンスも「こんばんは」返す。「今日ははやめに楽屋に入って、さっきそこのマルエツでカツオのタタキ買ってきて楽屋で食べてたんですけど(笑)、とってもおいしいですね。さっき、マルエツで会った方ここにいらっしゃってますか?」小曽根さん、手をあげながら人を探すポーズをする。「僕は、この7月に“Treasure”という新しいアルバムを出したんですが、今日ここにいるジーナスもクラレンスももちろん参加してくれたんですけど、それとは別に、今年ドラムスのクラレンス・ペンがリーダーアルバムの“Saomaye”を出して、今夜はこの二枚のアルバムを中心に、いろいろな曲を聞いて頂こうと思います。まず最初に、去年The Trioで出したアルバム“So Many Colors”のために書いて、そして“Treasure”にも入れた曲、“Bienbenidos al Mundo”から聴いてください。小曽根さんは、MC用のマイクを切るようきちんと指示を出して、ピアノの前に座った。YAMAHACF-3S。今夜のコンサートために、ここに運ばれてきた。前夜、四十を過ぎたんだから、これくらいの贅沢は許されるだろうと小曽根さんは語ってくれた、そのグランドピアノである。


01 “Bienvenidos al Mundo”
 僕はいったいこの曲を何度聞いたことだろう。はじめは、昨年のブルーノート東京、The Trioだった。秋から今年の春にかけて、橋本・津・横浜では小曽根さんのソロで。今年の八月には、ゲーリー・バートンとのデュオで。そして、再びThe Trioでこの曲が聴けるのだ。しばしば、ライブの第一曲として選ばれてきたこの曲は、常に小曽根真の今を語ってきた。昨年の暮れ、バーンスタインに取り組んでいたころの演奏は、それこそ不協和音が嵐のようにとびかっていたし、今年の春“VIRTUOSI”を出したばかりの演奏では、転調のフレーズがバロックでなく印象派であったりした。その時、その時の、小曽根真の課題と思索が端的に語られるこの曲である。この夜のThe Trioの演奏は、まさにWelcome backという感じ。そして、今年のツアーの集大成の趣である。連日のライブで疲れていないはずはないが、三人はいきなりトップギアに入れる。この三人に、妥協という言葉はない。聞き慣れた主旋律を小曽根さんが奏でる。ホールいっぱいに、ピアノの音が拡がった。PAを通さない生の音である。今夜のジーナスのピチカットは端正の極み。高音から低音まで自在に動く指がただ美しい。そして、クラレンスの、ほとんど上半身が揺れないみごとなスティックワーク。Tシャツ越しに、ドラムスを叩くために鍛えられた筋肉が見え隠れする。ドラムスとともに、印象的に使われるカウベルとトライアングルの共鳴が見事である。一曲目からフルスロットル。これがThe Trioの現在である。


02 Round Midnight
二曲目は、雰囲気ががらっと変わって、セロニアス・モンクのスタンダードナンバー。“Saomaye”に、The Trioでの演奏が収録されている。この曲は、今年のツアーでしばしば取り上げられており、僕も前日のBNTのファーストセットで聴いていた。ラテンのリズムを用いて、都会的でスタイリッシュな演奏。しかし、頻繁にアイコンタクトをとりながら進んでゆく演奏は、ほとんど格闘技なのである。小曽根さんのソロから、ジーナスのベースへ。ここでも、神業とも思える素早さで、弦がはじかれ、高音から低音まで正確に音が立ち上がってくる。リズムはボッサノヴァが貴重なのだが、突然サンバがアタックされたかと思うと、またボッサに戻る。小曽根さんとジーナスはずっとにこやかに見つめあっている。お互いを信頼しながら、しかし緊張感をもって相手の出方をみる。ジャズの楽しみに満ちた、インプロヴィゼーションが続く。やがて、ソロはクラレンスのドラムスに移る。得意のブラシでサッサッと。およそドラムスの奏でうる極小から極大の音までが試みられている感じだ。ブラシとスティックを自在に使い分け、しかし掌でドラムスを叩いてネイティヴな感じを出したかと思うと、そのまま掌でドラムスを撫でるようにして静かなエンディング。このあたり、昨夜の演奏とはもう全く異なっているのだ。終演後、小曽根さんに質問してみた。「昨日のエンディングは、サンバになったり、ワルツになったりして、それも確かにすばらしかったけど、今夜はまたまったく違う終わり方ですばらしかったですね。あれって、演奏する前に共通の了解っていうか、何か見えてるんですか?」小曽根さん「いや、全くどうなるか予想もつかないんですよ。だって、みんな何しよるやらわからんからね。今日は、僕が二小節やって、ジーナスも二小節やって…。ほんとに、毎回違うから……」。僕は、野暮な質問をしたことを恥じた。僕だって、そのことを直感で知るからこそ、今夜ここにいるのだった。僕は、小曽根さんの言葉を聞きながら、ジャズプレイヤーの人生のことを考えていた。

小曽根さん、「ここにいるベースのジェームズ・ジーナスとドラムスのククラレンス・ペンは、これまでThe Trioとして一緒に音楽を作ってきた、かけがえのないパートナーですし、僕の音楽にとっては絶対になくてはならない人なんですが、同時にひとりひとりが高い音楽性を持つミュージシャンとしても活動しています。クラレンスは、もちろん非常にすばらしいドラマーですが、同時に優れたコンポーザー、アレンジャーでもあります。その音楽を集大成して、彼のリーダーアルバムを作れたらいいなと思っていたんですが 、ユニバーサル・ミュージックさんがそれなら作りましょうと言ってくれて、できあがったのが、“Saomaye”です。クラレンスは、非常にクリエイティブな人間で、この“Saomaye”も彼の造った言葉なんですが、このことについて彼に説明してもらいます。あっ、ちょうどこんなところにマイクが…」。(笑) ドラムスの右脇に、さりげなくセットされていたマイクを、彼は満面の笑顔で受け取り、静かに話し出す。「“Saomaye”は、たとえば“家族”とか”愛”とか、ポジティヴなエネルギーの連鎖のことを言います。今、こうしている間も、オーディエンスのみなさんからパワーをいっぱいもらい、それに反応して僕たちがまたパワーを返していくといったような…」。彼のきまじめな笑顔が、いかにもチャーミングである。クラレンスの英語を、小曽根さんがひとことひとこと丁寧に訳してゆく。二人がお互いをリスペクトし、大切に思っているということが切々と伝わってくる。「次の曲は、去年、僕たちが出したアルバム”So Many Colors”に入っている”Asian Dream”という曲を聴いていただきます。この曲は、もともと三拍子のワルツだったんですが、クラレンスが四拍子のスローなボッサノヴァにアレンジしてくれました。“Saomaye”の中では、リシャール・ガリアーノというフランス人のアコーディオン奏者がすばらしい演奏を聴かせてくれていますが、今日はThe Trioでやります。聴いてください。」

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03 Asian Dream
今年のツアーで常にとりあげられてきたこの曲が、今夜も演奏される。小曽根さんのリリカルなピアノが冴える。蕭々と降る夏の終わりの雨が似合う曲を、ラテンのフレーバーで味付けしたこの曲は、連日多くのオーディエンスを感動させてきた。ピアノのソロから、ベース、そして再びピアノへ。小さな音のひとつひとつが、クリスタルのように繊細な輝きを放つ。楽器の生の音が聞けるホールに適したこの曲は、センチメンタルな旋律、そしてひとつひとつのノートが、微妙に残響して心地よい。ホール全体に、おだやかな時間が流れはじめる。


04 Samba D’Rivera
今夜のThe Trioは、ジェットコースターである。前曲でα波が誘導されたかと思うと、次は”Treasure”から、このごきげんなサンバ。もう、楽しい!楽しい!こうなったら、僕たちオーディエンスも、The Trioにとことんついてゆきますよ。生真面目に居住まいをただして聴いていた今夜のオーディエンスたちも、ところどころで身体を揺らし、足でリズムをとりはじめる。ステージ上の三人のパワーは全開。飛びかからんばかりの流線型のスタイルでピアノに向かう小曽根さんの踏みならす床の振動が、会場全体に楽しい雰囲気をプレゼント。僕の隣に座る女性(もちろん知らない人)も、ついにスイング。右隣のCHOOTさんはあたりまえのようにノリノリである。小曽根さんのピアノから、例の!ジーナスのベースソロ。大きな体を揺らしながら、歌うジーナス。ベースが歌い、彼自身も歌う。軽快なピチカットが、僕たちに勇気を与えてくれる。そして、ペンちゃんのドラムスがドスンドスン、カウベルがカンカンと加わって、とてつもなくご機嫌なエンディング。小曽根さんにこんな曲を書かせるD’Riveraというおっちゃんは、どんな人なやろ?もちろん、僕は「ブラボー!」と叫んでいた。毎日毎日この曲を聴きたい。毎日数回聴きたい。とはいえ、もう僕はこの曲のフレーズが、自然に口をついて出てくる状態なのだが…。昨日は、信号待ちのときにこの曲を思い出し、サンバを踊りたくなって困った。ことほど左様に、小曽根さんのサンバの感染力は絶大である。

「クラレンスと同じく、ベースのジェームス・ジーナスもコンポーザーでもあるんですが、次の曲は、その彼がアルバム“So Many Colors”のために書いた曲です。“Three The Hard Way”をおおくりします。」


05 Three The Hard Way
 ベーシストのジーナスらしいブルージーなこの曲は、長いベースのソロではじまる。冒頭はとても静かな印象だが、ジーナスは大きな身体を躍動させて低音で語り出す。小曽根さんは、ピアノの内部に腕を入れて、弦に直接触って音をゆらす。そこに、クラレンスのシンバルが静かに加わり、不安と憂愁との入り交じった都会的なこの曲の姿が浮かび上がってという構成。クラレンスのカウベルとドラムスが、さらに音の深みを増す。ジーナスのプレイはいつもすばらしいが、今夜の端正な音づくりは秀逸のひとことで、彼のリードによってThe Trioは一体感を、そのあり方を進化させてゆくようだ。アップテンポな曲でなくても、音像が目の前に立ち上がり、立ちはだかり、オーディエンスを包み込む感じは、この三人でなければできないことだ。僕たちはこの曲で、ニューヨークの街角のイメージを堪能した。


06 Tree Wishes
一転して、アップテンポな曲。タイトルに“Tree”とつく二曲が連続することで、今夜のThe Trio三人だけのライブにかける小曽根さんたちの意志を、より強く感じとることができる。都会的でスタイリッシュなこの曲は、今年のツアーで最もよく演奏された曲のひとつだろう。それだけに、それらの演奏の集大成として、ひとつひとつの音が輝き冴え渡るのでもある。小曽根さんは、再び獲物を狙うジャガーのように流線型。ジャガーやチーターは、最高速を出せるのはほんの数秒だが、このピアニストは何分も、いや何十分も最高速で走り続けるから恐ろしい。そのピアノに挑発されて、クラレンスのドラムス、ジーナスのベースが乗りに乗る。ドラムス、ピアノ、ベースとソロパートが回されてゆく。そしてクラレンスによる秀逸なリズムの変調。このアタックが、曲の後半のインプロヴィゼーションを誘発するのだ。さまざまなドラマーのプレイを見てきたが、クラレンスほど上半身が安定しているドラマーはいないと思う。身体はほとんど正面を見据えて微動だにしないが、サウンドは、シンバルとドラムはおろかカウベルやトライアングルまでもが重層的に響いてくるのである。見事なスティックワークと水面下の強靱でしなやかな下半身の動きが、この個性的な演奏をささえる。このThe Trioは、視覚によっても、僕たちを感動させる。前夜、BNTで二度聞いたこの曲ともまた異なる栄町バージョン。オーディエンスもソロパートが終わるたびに、拍手をおくり、声をかける。熱狂のうちのエンディング。僕は、今日二度目の「ブラボー!」を叫んでいた。いや、最高である。

「いつもなら、こういうアップテンポな曲でお別れするんですが…。もうみなさんご存じのように、去年の9月11日、(僕たちはブルーノート大阪でライブをしてたんですけれど)、ニューヨークであのテロ事件が起きてワールド・トレード・センターが崩れ落ちてしまった。ちょうど、去年のツアーは、去年出した“So Many Colors”というアルバムの曲を中心にしたものだったんですが、この“So Many Colors”というのは、このタイトルには、世界の人々が肌の色や宗教の違いを超えて、心を通わせ、平和な世界をつくりあげたいという願いがこめられていたんですね。しかしまさに、そのツアーの最中に、あまりにもひどいあの悲劇が起きて、僕たちはたいへんな衝撃を受けました。そして今またアメリカが報復の戦争をはじめようとしている。でも、こういう報復の連鎖は、誰かが声をあげて止めさせなければならないと思うんです。今日も東京から来るクルマの中で、彼らといろいろ話してんですけれど、やはり解決の糸口は、ひとりひとりの個人の心の中にあるんじゃないかと思う…そう言っていたんです。僕たちも、音楽をやりたい、やろうとしてずっと頑張ってきたんですけど、でも長くやっているうちに、さまざまな誘惑があったり、別の興味が出てきてしまって、時として最初の目標を見失ってしまうこともあるんですね。でも今、僕たちももう一度原点に戻って、音楽によって自分たちのメッセージを伝えよう、そういう思いを大切にしていかなくてはならない、そう思っています。最後に聞いて頂く“Where Do We Go From Here?”は、そんな思いをこめた曲です。聴いてください。」


07 Where Do We Go From Here?
今年のツアーで、常に最終曲として演奏されてきたこの美しいバラードを今夜も…。小曽根さんの言うように、メッセージ性が高いこの曲だが、小曽根さんのコンポーザーとしての才能が、思いをひとつひとつの音符に結晶させ、音楽として凄まじいまでの説得力を持つ。例え言葉は通じなくても、この曲を聴けば、世界中の人々がある同じ思いにとらわれるはずだ。「愛」「家族」「平和」「安らぎ」…。ジャズというジャンルに留まらずグローバルミュージックを指向する小曽根真の真骨頂がこの曲なのだ。小曽根さんは、旋律をひとつひとつ丁寧に、ゆっくりとメロディアスに弾いてゆく。世界に通じる「うた」がそこにはある。演奏が進んでゆくごとに、会場は静寂の度合いをまし、だからこそ一音一音が直接的にオーディエンスの心に深く静かに沈潜してゆくのだ。今年のツアー中、どれほど多くの人がこの曲に涙したことだろう。そして、そのオーディエンスの思いが集積してゆくからこそ、小曽根さんの奏でる旋律がますます鈍く輝き出すのだろう。演奏中の小曽根真の耳は、自ら奏でるピアノの音だけでなく、オーディエンスの静寂の深さをも聴いている。オーディエンスは、この美しいバラードが間もなく終わってしまうことを、心から惜しんでいる。その思いが、会場いっぱいに拡がっていった。そしていよいよ、最後の音が弾かれたのである。ホール全体に、美しい残響が広がりやがて消えようとする。小曽根さんも、ジーナスもクレランスも、そしてオーディエンスたちも、その音の消え去る瞬間を聞こうとしていた。とそのとき、とても残念なことだが、気の早いオーディエンスの一部が拍手をはじめたのである。僕ははっとした。お願いだから待ってくれと思った。この美しい宝石をだいなしにするものだと憎らしくもあった。しかし、である。拍手はパラパラと鳴っただけで、すぐに静寂に吸い込まれていった。誰一人として、その拍手に追従する者がいなかったのである。それほどまでに、ほとんどのオーディエンスが、高い緊張感を小曽根さんと共有して、彼の指先を注視し残響の消え去る瞬間を聴いていたのであろう。もちろん、小曽根さんに心の揺れは感じられない。微動だにせず完全に音が吸い込まれる瞬間をコントロールしている。小曽根さんの指が鍵盤から離れるまで二三秒あっただろうか。腕を自ら膝の上に戻すと一拍おいて、割れんばかりの拍手が天上から降るように鳴り響いた。それはとても、感動的な瞬間だった。小曽根真は、オーディエンスの小さなミステイクを、全く妥協のない高い精神性に満ちた演奏で帳消しにしたばかりでなく、僕たちオーディエンスにすばらしいレッスンをしてくれたのだと思う。

いったんステージの袖にひっこんでいたThe Trioの三人は、アンコールを求める拍手と歓声に呼び戻された。「今日のお客さん、あんまり静かに聴いてくださってたから、アンコールないんじゃないかと思って、楽屋に向かって歩き出したところでした…」と小曽根さん。確かにはじめは客席がとても堅い感じだったのである。あまりに正直すぎるジョークにオーディエンスがどっとうける。「実は最近おもしろいプロジェクトがありまして…」。この言葉を聞いて僕たちファンは熱狂した。「あれだ!あれだ!」。僕は隣のCHOOTさんと目配せしあう。だって、もう前夜のブルーノート終演後からこの話題でもちきりだった。Cherryさんなんか、火曜日に直接小曽根さんにリクエストまでしたらしい。その曲が演奏されるのである。まだこの曲をライブで聴いた人は誰もいない。CDだって、関西地域の、あるいは関西地域に友達を持つ一部の人しか持っていないというあの噂の曲なのである。実は、前日のブルーノート東京のセカンドセット、アンコールの二曲目の“Three Wishes”で、この曲の主旋律がフィーチャーされていた。しかし、あまりにも熱狂的な反応があったためか、小曽根さんは曲名紹介を断念。「これから演奏する曲は、たぶん日本人だったらみんな知っている曲です。もしわからなかったら、後できいてください」とのメッセージを残し、ピアノに向かった。

08 Doraemon No Uta (Encore)
 間違いなく、オーディエンスの前では初めての演奏だと思う。だとしたら、ワールド・プレミア、感激もひとしおである。大阪のサントリーミュージアム天保山で開催中の「ザ・ドラえもん展」にアーティストとして参加したThe Trioのジャズバージョン“Doraemon No Uta”である。アップテンポのリズムで始まり、やがて小曽根さんがピアノで主旋律を奏でると、怪訝に思っていた人々にも曲名が伝わった。笑顔とため息がもれる。二列前にいた、小学生の男の子が身を乗り出し、お父さんに何か耳打ちしている。みんなわくわくドキドキしながら笑顔でスイングなのである。三人のインプロヴィゼーションは妥協を許さぬ本格的なもの。小曽根さんはファンキーでやんちゃな少年のイメージ。一歩もひかじとジーナスとクラレンスが、渾身のテクニックを見せつける。しきりにアイコンタクトをとって、まずは彼ら自身がこの演奏を心から楽しんでいるのだ。再びピアノがドラえもんのうたの主旋律を奏でて、昂揚感と熱狂と笑顔のなか、華やかなエンディングを迎えた。ブラボー!ブラボー!ステージの上で、三人が肩を組んで拍手を受けるなか、小曽根さんが、「(曲名)わかった?」と客席に叫ぶ。前列の人々がうなずいて、ついに曲のタイトルは紹介されないままこの日のコンサートは終わった。拍手が前から、後ろから、天井から襲いかかるところからも、このホールの音響がいかに優れているかわかる。まただからこそ、小曽根さんのピアノの生の音が生き生きしていたのでもある。きっと会長、喜んでいるだろうな。

会場がゆっくりと明るくなって、後ろを振り返ったら、ちょうど会長とshiollyが「よかったねえ」と叫ぶように言っているところだった。偶然、声が揃ってしまったらしい。それがおかしくてみんなが笑う。「よかったねえ」。僕もCHOOTさんも、その幸福な笑顔の輪の中に加わった。Shiollyは顔が紅潮して目がうるんでいる。会長はといえば…自分では冷静にふるまっていたつもりだそうだが…これまた至福の笑顔で、速射砲のようにしゃべり出した。「いやあ、ドラえもん聴けただけでも来た甲斐があった」「これ、これ、これなんや。千人くらいまでのホールやったら、ピアノは生音で十分なんや。ほんまに今日は生音がきれいやったねえ。他のホールでも絶対こうしたらええと思うわ。まゆこさんんにも言うとかなあかん。いやほんまによかった」。このあと、PA談義、各地のホール、ライブハウスの音響の批評などが延々続いたのだが、ここでは残念ながら割愛させていただく。(興味のある方は是非ご本人にお問い合わせください。)ともかく会長と僕たちは、小曽根さんのピアノの、その原音のシャワーを全身に浴びて、カタルシスの極地を経験していた。清められ、若返り、美しくなっていたのである。ロビーで、金さんやCherryさん夫妻、千原さんらと合流すれば、また新たな言葉が次の言葉をよんで、僕たちは世界をはじめて知った子供たちのように、小曽根真とThe Trioのことを語った。


ロビーには、サインを待つ人々の長い列。間もなく小曽根さんたちがあらわれて、大きな拍手で迎えられた。とてもすてきな瞬間。新しく愛を語り始めた人に出会うと、僕たちも小曽根さんに出会ったあの大切な日のことを思い出せる。音楽と、ミュージシャンたちと、限りなく近い場所にいることのできる幸福。拍手だけでなく、言葉と時には掌のあたたかさで、ミュージシャンたちに直接感動を伝えることの出来るジャズならではの世界。小曽根さんは、この時間をとても大切にしているように見える。だから、どんなに疲れていても、ひとりひとりと丁寧に言葉を交わし、サインをしてゆく。これも小曽根真の僕たちに対するレッスンであり、作品のひとつなのである。いつもは、なんとなく気恥ずかしくて列に加わらない僕なのだけれど、小曽根さんにどうしても聞いてみたいことがあって(既述)、列の最後尾に並んだ。Shiollyと金さんの間である。Shiollyは、小曽根さんと少し話したあとますます元気になって、ペンちゃん、ジーちゃんと次々に携帯電話で写真を撮る。彼女の友達が、「いや私ははじめてだから…」と言って遠慮しても全くひるまない。一緒に写真に入ってその場でみんなにそれを見せている。喜びが大輪の花のように咲いている感じだ。最後に金さんが、三人にサインをしてもらってから、こうつぶやいた。「今年の夏が終わった」と。誰もが知るように、この人のこの言葉はあまりにも重い。とりわけ、今年の夏は、ゲイリー・バートンとのデュオ、そしてThe Trioのツアーと連続して追いかけている。なにしろ、前夜ブルーノートで、ギタリストのアダム・ロジャーズが「あっ、彼にお別れを言わなくちゃ」とわざわざ握手に行ったほどなのだ。(僕は光栄にも、ふたりの記念写真のシャッターを押させてもらった。)北上、千葉、東京、名古屋、大阪、神戸、福岡…。全国行脚の後のこの一言である。その言葉を聞いた小曽根さん、すかさずこう言った。「金ちゃんの夏、日本の夏やな。あっ、誰もわからへんかもしれんけど…」。わかりまっせ、小曽根さん。若い人々のために解説しておこう。その昔、夏になると定番になったCMがあった。関西に本社を置く殺虫剤メーカーのそれは、打ち上げ花火の映像に「金鳥の夏、日本の夏」というメッセージがかぶる。つまり小曽根さんの発言は、関西系の完全なるおやじギャグなのであった。もう笑った、笑った。みんな笑っていた。金さんと小曽根さんとの間に流れる、濃い川に流されるところだった。これが、神戸生まれの世界的ジャズピアニストのもうひとつの姿なのでもある。いかしてるぜ、おっさん!こうして笑顔の記憶と共に、僕自身の夏も静かに終わりを告げた。

去年のブルーノート東京の最終日、僕は感動がやまぬまま、しとしと降る雨に濡れながら、渋谷から蒲田まで歩いた。いつのまにか、夜が明けていた。頭の中には、聞いたばかりの“Asian Dream”が流れていた。もうあれから、一年の時が過ぎ去ったのである。あのすばらしい夜の直後、ニューヨークでは悲劇的なテロ事件が起き、世界の歴史が変わったといわれた。いくつかの戦争があり、テロは限りなく連鎖し、また世界は戦争への衝動に揺り動かされている。ワールド・トレード・センターの犠牲者の遺族の悲しみも、まだまだ癒されていないというのに…である。しかし、故郷神戸の大震災、そして今住むニューヨークへのテロというふたつの悲劇に直面することを運命づけられたこのピアニストは、世界中を旅し、さまざまな都市の空気を呼吸し、多くの楽曲を書き、優れたターティストとコラボレーションをすることで、困難な一年を生き延び、思索し、自らの表現手段音楽の形で、僕たちに勇気と希望とを届けてくれた。漫然と生きる一年は短い。だが、小曽根真の一年は、あまりにも濃密で重い。それは、二枚のCDと、数十回のライブパフォーマンスに結実したものだが、一方は歴史的名盤として、そしてもう一方は僕たちファンの記憶に刻まれて生き続ける。僕自身が、彼ほどの濃密さで一年を生きたという自信は全くないが、この一年を小曽根真の音楽とともに過ごせたことを誇りに思うばかりだ。

最後にとても個人的なことを書かせていただきたい。我が家の長男が、小学一年生の二学期から突然学校に行かなくなった。去年の九月のことだった。十分な表現力を持たない子どもだから、親も子もなすすべを知らぬまま、苦しみ、傷つき、もがいたものだった。何が彼を不安にさせ、自信と夢を奪い、傷つけてしまったのか、いまだによくわからない。正直に言うが、自分の子どもなのに、素直に愛していると思えない瞬間が何度もあった。ところが、その息子が、今週になって突然また学校に通い始めたのだ。なぜ精神を病んだのかがわからないように、なぜ突然回復したのかもわからない。ただ言えることは、一年の時が、子どもの心の傷を癒し、成長するのに十分な時間だったということだけだ。これから彼がどうなるか未知数だが、希望ははっきりと見え始めたように思う。この間、このフォーラムで知り合った仲間達をはじめ、多くの人々の言葉と行為に支えられた。そして、なによりも小曽根さんの音楽が、愛と勇気を与えてくれたのである。この場をかりて、心からお礼を申し上げたいと思う。悲しいこともあった。一年前、突然仕事を辞めたかつての同僚が、この夏自死を選んでしまったということを、つい先日聞かされたのである。彼の絶望への道のりも、また一年であった。いつか映画を撮りたいといっていた、気のいい男だった。彼の真情は今となっては計り知れないが、希望が簡単に手に入る時代ではないようだ。生意気なことを言うようだが、四十歳を過ぎると、幸せと不幸とが一どきに来てもなにも不思議ではなくなる。希望と絶望が、紙一重であることも受け入れなくてはならない。でもだからこそ、いつの希望の側に賭けていたいとも思うようになるのだと思う。僕にとって、小曽根真の音楽は、この不可解な人生そのものだ。ちょっとかっこよく言えば、迷ったときに希望の側に賭けるための勇気をくれる生活必需品なのである。だから、小曽根さん、これからもすばらしい音楽を書き、演奏し続けてください。僕たちは、あなたの音楽がなければ一日も生きていけない人種なのです。この一年、あなたに何度励まされたかわかりません。小曽根さんとこのフォーラムの仲間達に、心からの愛と感謝とをこめて…。

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チラシ提供 shiolly

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