メイド/コンカフェの定義って、なんだろう?
結論から言うと、この世界は「言ったもん勝ち」だと思っています。私はね。
いや、こんな出だしですみません。月詠みことと申します。
私はメイドカフェ、コンカフェなど所謂「萌え産業」に従事しております。好きだなあ、もっとやりたいなあ、という気持ちが、年々強くなってゆく。お給仕することも、店舗に足を運ぶことも、どっちも大好きなんです。そんな感じで、自分の中の辞め時を見つけられぬまま早8年弱くらい経過しました。(辞め時というのは、決してネガティブな意味合いではございません。やり切れたなってくらい、自分の中で何かを残せたら辞め時だと思うのですが、欲深いので、結果にずっと満足できないのです)
まあ、そうやってぼんやりとこの業界?(品のある適切な言い方ってなんでしょうね)を見つめてきました。メイドカフェ、コンカフェ文化が展開されてきた歴史、ざっくり20年くらいあるのかな。その全てを見たわけではありませんが、私なりに噛み砕いてきたこと、思うこと、もちろんあります。そしてこの8年で、たくさんの変化がありました。業界にも、私個人にも、きっと各店舗さんもそうなんじゃないかな。
今回、このテーマを掘り下げようと思ったきっかけはですね、SNSを中心に「メイドカフェはコンカフェなのか」、「キャストドリンクがある店はコンカフェ/メイドを名乗るべきか」みたいな議論を見かける機会が増えたからなんですよ。ここ1年くらい、そんな感じのツイートを見かける機会が多かった(体感)のですが、最近は特に、です。
これ、あんまり楽しい話題じゃないなあ、と、苦手意識がありましたが、なんとなーく考え続けていました。自分なりにだらだら書いてみたかったんですよ。文字にするとすっきりするから。もう考えてるだけじゃ、余計に混乱するからね。可視化した方が良いかなと。そもそも万人に納得の行く答えが出にくい話題でもあります。私は元々「人それぞれ」で良いんじゃない、と思っていますが、せっかくなんで文字起こし。
いろんな視点で考えてはみたのですが、とりあえず率直な感想としては「悲しいな」です。メイド/コンカフェ論争には、必ずコンカフェを否定する人が現れるから。今の私は結構なんでも大丈夫な方なので、うーんと思うんですよ。いや、まあ、しょうがないことなんですけど。
多分このテーマ、意見は割れてばっかりなんでしょうね。メイドカフェとコンカフェに、細かい定義がないし、こっち以外認めねえ!!みたいな人も多いので。
まあどちらも言葉上は同じ、と言うか、メイドカフェはコンカフェに内包されるべきなんですがね。
私はコンカフェについて「名前の通り、コンセプトのあるカフェ。店員が話しかけてくれるところも多い。」くらいざっくりした枠組みだと思っているので(というか多様化しすぎていて全てをうまく表してくれる言葉がない)、メイドカフェって「メイドがコンセプトのカフェ」ではあるよなあと。いや、そんな単純な話じゃなくて、言葉たちがもっと細やかなニュアンスを含んでいることは分かっていますが、言葉上はね。言葉上はそうなのに、こんなにTLが荒れるということは、そこにしっくりこない人が沢山いるってことですよね。なんて繊細な文化なんでしょう。言葉ひとつで悩む人々、文化、もはや美しいな。(馬鹿にしてるわけじゃなく本心です)
まあ、言葉上の意味合いの話は、多分誰もしてないんですよね。逆に、概念として「メイドカフェ」と「コンカフェ」には、そこまで大きな溝があるのかしら。本当にそうなのかしら。と、お聞きしたい。
自分語りで申し訳ないのですが、私は
A.メイドカフェ
B.メイドバー
C.コンカフェ
等、いろんなタイプの店舗でお給仕したことがあります。それ以外の接客業は、ほぼ経験ありません。で、元々はバリバリのカフェ派(メイドカフェ原理主義者)だったこともお伝えしておきます。かなり右寄りのオタクだという自覚が、しっかりとありました。それこそ、アンチキャスドリ!!ガチ恋オタクは撲滅!!みたいな感じの思想、なんかたくさん持っていた。思い出せないくらい多かったような気がします。相当めんどくさかったと思うし、周りのご主人様もメイドさんも迷惑だったんじゃないかなってレベルでしたね。
なので、キャスドリがある店はコンカフェじゃない、みたいな意見を仰る方の気持ちはすごくわかる。メイドカフェとコンカフェを一緒にするな、と思うメイドさんがいらっしゃるのもすごくわかる。私は毎日お酒飲みまくりメイド系コンカフェ(自称メイドバー)の店長メイドなので、もうずっと耳が痛いのですが、気持ちは本当によく分かります。本来、なんも言えん立ち位置のメイドなのが辛いけど、全立ち位置を一度経験したことがあるのも、私の強みでもあります。
まず、A.B.などのメイド寄りのメイドさん(伝わりますか?もうややこしいよね)って、メイドさんにしか分からない不思議な信念、プライドのようなもの、持ち合わせている方が多いです。ご主人様にお仕えする、つまり「してさしあげる側」なんですよ。カフェ系出身の私にも、この精神は強く残っています。高圧的に接すること、どうしてもできないんです。ネタでいじることはありますが、それもお仕えすることの一種だったりします。そうすると喜んでいただけるから、嬉しくてやってることなんです。ご主人様として敬う気持ちだったり、尊重する気持ちを絶対に忘れない。どんどんそうなってゆくんだから、不思議ですよね。メイドさんって、そういう生き物でございます。(書きながら、スタンフォード監獄実験を思い出しました。別にメイドさんぽくなるのはメイドさん側だけで、ご主人様はどんどんオタオタしてくるから、全然違う話なんですがね)
で、A.B.メイド寄りのメイドさんがC.コンカフェと一緒にされたくない理由として、所謂コンカフェキャストの方は、そういう気持ちがまったくない人もいるからなのかな、と思います。コンセプトがメイドじゃない場合、また別のものになるから、それは当たり前の話なのですが。いや、ないどころか、キャスドリ入れなきゃ会話できると思うなよ、会いにきたっていうならお金で示せ、みたいな事を言う方すら、たまに見かけます。私なんかは、ぎょっとしちゃいますね。あなたにそこまでの価値がないだけでは?と思ってるけど、怖いからツイートできないまま大人になった。そもそもお客さんに対して高圧的なのは、色々抜きにしても接客業として如何なものか、と私は思うんですけど、まあしょうがないんですかね。それで許されてるんだもの。もはやアイドルとかコンカフェとか、そんなのばかりじゃないですか。めちゃくちゃだよね。立場が逆転してるんです。そもそもの基盤が違うので、そりゃ気に食わないでしょうよ、と思う。
で、よく知らない人たちは、悪い部分をピックアップして叩きます。最近だと、ぼったくりコンカフェみたいな言葉をよく耳にしますね。高額なキャスドリやらシャンパンを入れないと全く会話できないとか、そういう形態のお店。キャスドリ飲酒しまくっている私ですら、そういう形態のお店と一緒にされるのは、やっぱりちょっと嫌です。私のお給仕するお店では、キャスドリが無くたって、お話はできますから。コンカフェのルーツや接客について理解して働く方は、どれくらいいるんだろう。と、不安になってしまうのです。同業者としても、顧客としても。ただ若くて可愛い女の子を集めてコンカフェです、と言い張っても、そこに愛はあるんか?というやつです。知らんけど。
(とはいえ、私は所謂ぼったくりと呼ばれてしまうようなコンカフェに行ったことはないので、今度足を運んでみようかなと思います。店舗の話ですから、目で見ないと分からないことが、たくさんある気がします。行かないで批判するのは愚かな行いだから…)
きっと、コンカフェと一緒にしないで、と思っているメイドさん方は、先に述べたような不安要素が、強い怒りに変わっているような方もいるのでは、と思います。一部、悪いイメージの店舗があることにより、やっていることが全く違う店舗まで、嫌な印象を持たれてしまうこと、そんなの誰だって嫌です。A.B.タイプの店舗は、長く続けている方も多くいらっしゃるので、なおさらそうなんじゃないかな。
でもね、真剣にお店のことを思いながらC.コンカフェで働いている方だって、もちろんたくさんいらっしゃいます。限界までお酒を飲むような店舗さんでも、真剣にお客さんや自分と向き合って、素晴らしい時間を提供してくれている場所がちゃんとあります。体育会系飲酒コンカフェの多い街・新宿で2年以上お給仕して、そう感じました。必ずしもキャスドリが文化を汚しているというわけでは無いのです。この場合、悪になり得るのは「メイドカフェやコンカフェのルーツをろくに知らず、リスペクトもないまま、ただお客さんからお金を搾取するようなやり口で営業しているような店舗」なんじゃないですか。(そんな極端なところ、私の行動範囲ではあまり見かけませんが。)
私もね、自分はメイドだという気持ちを強く持ったまま、毎日めちゃくちゃキャスドリ飲酒をさせていただいております。めんどくさい自分ルールも、ある程度健在です(めんどくさいので、敢えて人様には語りませんが)。もちろん、カフェ系店舗でお給仕していた時代から変わった部分はたくさんありますが、自分の思うメイドとしての芯が存在すれば、それはメイドです。多分。そう思うことにして、自分を信じてお給仕しています。
まあ、だらだらと綴っておりますが、これだけいろんな人の気持ちを掻き乱すきっかけになったのって、このメイド文化なんですよね。すごいことだと思いませんか。つまりね、メイドカフェとコンカフェの線引きをする前に、大前提として全てメイドから派生した地続きの問題なんですよ。よく似ているけど違うもの、一緒にされるのは嫌、どこからどこまでがメイド・コンカフェの領域なのか。これらを考えることも、発信することも、素晴らしいことですし、悩む人がいるのも、まあしょうがないことなのかもしれないが、あえて線引きをしていくのってちょっとおかしいと思ったんですよ。だって元々「メイド」という文化から派生した結果なのですから。それだけ多くの人に文化が浸透していった。素晴らしいことじゃないですか。先人たちが積み上げてきたものが、形を変えて、枝分かれしていったんですよ。ラーメン屋とか宗教とか空手とかもそうだし、文化ってそういうものなのかな。メイド文化をラーメンと並べていいのかはさておき。
で、派生してきたってことは、全部やっぱり「萌え産業」って括りでいいんじゃないか、というスタンスを取っています。私はね。ぶっちゃけますと、線引きするのは無粋なのでは、と思うのです。線引きすることによって衰退して行くことが、何よりも大きな損失なのではないか。(これが今回一番言いたかったこと。)悲観的に受け取ることは、いくらでもできますがね、前向きに捉えるなら「ここまで発展するまで、文化を守ってくださった方、全てにありがとう」かな。全ての萌え産業クラスタにリスペクト👆というやつ。今、頭を悩ませている人々、みんなメイド文化が好きな人たちだと思うんです。その勢いで線引きした結果、文化ごと衰退していくようなことがあった場合、とても悲しくないですか。嫌なものは嫌、見たくないものは見ない。思うことも言って良いから、排除しようとしない。こんな感じで対処できないのかな。
これは持論ですが、本当にダメなものは淘汰されてゆきます。心配しなくても、必ず無くなります。日本は法治国家ですから、ある程度守られてるし。ダメっぽいな〜という場所が無くならない場合は、ある意味必要なんでしょうね。歯車って、我々が思うよりも複雑に噛み合っております。目に見えない需要があったりするのかも。
汚いアヒルだと思っていたら、美しい白鳥に育つようなパターンもあります。ぼんやり眺めていれば良いんじゃないか。
これらを総合して、私は「言ったもん勝ち」と表現いたしました。定義がなく、線引きする必要もなく、既にいろんなお店が出てきてるんですから。店舗にジャグジーが設置されていようが、高額ドリンクをあげなきゃ会話ができなかろうが、コンカフェと名乗ったらコンカフェですよ。
コンカフェの「コンセプト」という言葉は、概念になりつつあります。コンセプトがない店舗(バー)などにも、コンカフェっぽさを感じること、ありませんか?私はよくあります。漠然と存在するその空気を感じたりして「おお…」となります。それが嫌か・嫌じゃないかで言ったら、まあ嫌、というか不思議な気持ちになるんですけど、楽しかったりもするので難しい。まあ、現状を否定しているだけでは、時代に取り残されてしまいます。私は現役のメイドなので、それだけはご勘弁。文化と共に進化してゆかねば、取り残されてしまいます。
私はまだこの文化に触れていたいし、店舗に足を運びたいし、お給仕を続けていきたいのです。価値観のアップデートを怠らず、大切なものは見失わず、多様性を認めてゆけたらいいな。わくわくするような発展を願っているし、そこに少しでもお力添えしたい。メイドカフェもコンカフェも、全部大好きだからね。
ここに投げられたお金を、酒代に使ってしまうような私で、申し訳ありません