月詠 みこと
質より量。日記というより脳みそラリー。雑然としています。
適度に自分の心をデトックスする目的で文章を書くことがあります。作品に昇華することで救われる感情があるのです。指差して笑われたら悲しいな、というものたちを有料で公開します。フナムシの裏側を見て喜べる人向け。
結論から言うと、この世界は「言ったもん勝ち」だと思っています。私はね。 いや、こんな出だしですみません。月詠みことと申します。 私はメイドカフェ、コンカフェなど所謂「萌え産業」に従事しております。好きだなあ、もっとやりたいなあ、という気持ちが、年々強くなってゆく。お給仕することも、店舗に足を運ぶことも、どっちも大好きなんです。そんな感じで、自分の中の辞め時を見つけられぬまま早8年弱くらい経過しました。(辞め時というのは、決してネガティブな意味合いではございません。やり切れた
酒を飲んだ後の風は気持ちいい。少し冷たいけど、寒くない。ちょうどよい気温をまたひとつ知れた。 店を出た帰り道、歩き始めて最初にぶつかった信号は、赤かった。青くなるまで、じっと待った。待ってる人がだれもいなくても、法律だから守る。そういう街だから。深夜でも信号を守る人が多いから。国全体が、わりとそうなんだけど、その中でも、この街は守る人が多い方だと思っている。日本人らしいよね。良く言えば、治安のいい街。だから嫌いになれないんだろうなあ。 この街に住んで、もう4年近く経つ。かの
突然死にたくなるときがある。わりとある。どれだけ楽しい一日を過ごしても、部屋がきれいでも、自分のことが嫌いじゃなくても、ちょっとしたきっかけで涙が溢れ出たり、はやく死ななきゃだめなんじゃないかと、かなしい気持ちが襲ってくる。 こういうとき「どんなに人間のふりをして暮らしていても、オマエは人間未満😅👊」と、過去の自分から突きつけられているような気持ちになる。わたしのだめな部分をわたしに晒しあげられることに耐えられない。 わたしは他人を騙すために自分を騙して生きてきたような感じ
高校生時代、当時の習い事の関係で、それなりにご近所付き合いがあった。近所の子どもたちは私のことを「憧れのお姉さん」として、無条件に好いてくれる、みたいな環境で過ごしていた。 とはいえ、生まれてこの方、ずっとコミュニケーションが得意ではなくて、それは年の離れた子ども相手でも、例外ではなかった。 子どもたちと特別仲良くなることもない中で、例外的に仲の良かった幼稚園児がいた。3、4歳くらいの子。なぜかとても懐かれていたから、可愛がっていた。よく膝とかに乗せていたような気がする。当た
私は自分の家庭に対しての感情が、かなりあやふやなんだけど、大前提として、いつだって感謝と愛情に溢れている。実家を出るまでは苦しいことも多かったが、その苦しさも、私が原因だったことがたくさんあったと思うし、今はもう、全て終わったことだから、べつにいいんだよ。 という感じでね、親も兄弟もひとりの人間だから、あくまで他人だからって思えるようになって、途端に関わりやすくなった。そのおかげなのか、拠り所みたいなものも無くなってしまって、それだけ困っている。いつからこんなに辛かったっけ、
時間、体力、精神など、余裕がなくなると日記は書けなくなることを学んだよ。こういう当たり前のことを当たり前だと学ぶ経験が、人生には必要だよ。 他者との関係を築き方を、年単位の時間をかけて変えてみたら、当然だけど関係性も変わってきた。こう、ぬるい温度を目指している。熱が上がると揉め事が起こりやすくなる気がする。やわらかく言うなら、誰とでも同じ距離で仲良くしよう、みたいな感じなのかな。 さらに言い換えると、広く浅く。元々そういう人に憧れているからそうしているが、自分はあんまり得意
飲みすぎ、食べすぎ、遊びすぎ。ひたすら人と会ったり飲み食いしたり、そんなことばっかりしていた。 私は要領が良くはないため、ちょっと予定を詰めるとオロオロする。そのくせして予定管理がまったく得意ではないため、気がつくと予定だらけになることがある。そんで、さらにオロオロしながら暮らしたりする。そんな感じで10月後半は、イベント多かったなー。今月はあと3回くらい人と会う。週5勤務なのにおかしいなと思う。 コンカフェに行く、酒を飲む、ラーメンを食べに遠方へ行く、ライブを見に行く、酒
体が疲れすぎてしまったようで、逆にうまいこと眠れなくなった。前は立ち仕事しかしてなくて、今よりも狂った稼働時間だったはずなのに、今日は一日中立っていたら、腰も足も喉も、すべてが疲れた。もちろん、それ以上に楽しかったんだけどね!やることが目の前にある方が楽しくて、人と話すと元気が出る。そういう性格で本当に良かったー。 寝れないから、ツイステをやったり、猫の写真をたくさん見たりしていた。ここ最近はXで動物の写真を見ることが、日常のささやかな喜び。いや、ささやかの閾値は超えたかも
新宿に用を済ませに行ったついでに、よく飲んだ。久しぶりに朝までやったけど酔ってないし、まだ元気で困った。 お酒を飲みながら「普通」について話して、少し凹んだりした。普通が嫌だ、みたいな話じゃなくて、なにがマジョリティ/マイノリティなのかよくわかってないのに、自分はマイノリティだという扱いを受け続けた気がすることに、しょんぼりする。なんとなくずっと手に入らないから憧れているんだと思う。学生時代の将来の夢はSEとか言ってたんですけど、そうはなれなかったし。 酒ひとつとってもね
焼き肉を食べに行った。事前に行きたい店の目星をつけ、友人と休みを合わせた。真剣な焼き肉デート。結構ずっと楽しみにしていた。 数日前に店を予約してから、さらにソワソワしていた。人気店だから、もう予約で埋まってるかな……とか日和ってたんだけど、予約が取れた。嬉しい。嬉しすぎる。 我々は上質で分厚いタンを求めて、この店を選んだ。入店後、すぐにタンを注文したよ。 分厚いタンがこんなに…………?!?!?! やったーーーーー!!!!!!!!! あの、もう少し自慢させて!!!!!!
日記を書く習慣は、自分にとって良いこと。と、ここ数日やってみて思った。 文章をたくさん書きたい、という気持ちが、メイド博以降強いから、日々、日記を書くのは苦じゃない。とにかく量をこなす脳筋訓練が向いていることを、学生時代から知っているため、その手法を取りたい、というのもある。何冊も問題集を解くような感じだな。 noteに書けるようなことはないなーと思っていたけど、そもそも大したことを書かなくてはならない法律はないため、日記を書いたって良いんだよな。 趣味や日常をあまりツイ
昨晩は鍋パした。鍋の残りはカレーうどんに変身した。今日の昼飯。いいよね。カレーうどん。たまに食べるとうまいんだ。 1ヶ月ほど、異常に旺盛な激・食欲に悩んでいたが、ここ数日、朝顔みたいにしぼんでいった。毎日、お腹は空くけど、なにを食べるのがちょうどいいか迷っちゃう。 私は丁寧風の食事を作るのが好きなんだけど、それは食事へのこだわりというよりは、丁寧への憧れによるものだ。丁寧なインテリアを考えるよりは、丁寧な料理をする方が楽しいから、やってるだけ。お手軽な「生活」への達成感のため
自分の見た目について考えたけど、やっぱりあんまり、好きじゃない。嫌いでもないけど、美しく感じないため、写真を見ると、なんとなく嫌な気持ちになる。ので、あんまり写らないし、撮らない。撮影、頼まれたらうれしいから、たまにやるけど、そうじゃない限りは、やろうと思えない。メイドさんたちは、自分のビジュアルを、前面に出して、グッズ制作や撮影などを行うけど、しっかり美しい人が多くて、なんだか羨ましい。あれは、どういう気持ちなんだろう。きれいな自分を見てほしい、という気持ちなのか、等身大の
「愛は他人と」ってキャッチコピー、良くないか? 最近YouTubeとかの広告で、時折見かける。 Tinderの孕む、純度が高いいやらしさを、うまいこと漂わせて、かつ「その通りだね」というフレーズで殴られる。かなりまとまっていて、うつくしいと思っている。 ついでに、広告に出ている有名人たちも、絶妙なラインナップで、なんか笑ってしまう。 愛は他人と、それはそう。結局さ、人間ってすべて、他人だし、完全な愛って、ひとりでは、育みづらいんだろうな。ぐう正論😓 愛の種類はたくさんあるん
気まぐれにチョコザップへ足を運ぶ。今日行かなければ解約しようと、自分に言い聞かせたら、なんとか行けた。深夜に行ったおかげか、利用者はわたしだけだった。サイコーだ!こんな機会はなかなかないんじゃないか。 マシンを片っ端からチェックして、のんびり利用方法を調べて、5分くらい上げ下げしちゃったりして、肩のストレッチ代わりに使った。走ったりするより、筋トレする方がたのしいな。なんか、なんとなくよかったので、また行く。 帰宅してから、シャワー浴びて、全身にボディークリームを塗って、髪
泥のように眠った。すべての限界を迎えていた。日付けが変わる前に寝て、午前中に起きれた。鉛のような体を起こす。肉体疲労もばっちり取れたと思ったけど、全然そんなことなかったらしい。 目が覚めてから、こころに付いてたレンズの、ピントがしっかり、ちゃんと合うようになっていて、驚いた。怒りや悲しみの感情で、頭がいっぱいだったのに、ほとんどが、そこまで悩まなくていいじゃないか、と、どうでも良く思えた。 この1、2ヶ月くらい、わたしの心を覆っていた「自分の人生を歩いて行く元気がない」と