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「何か」に縋りたいときほど。

「もうどうしたらいいか、わからないんです。」

髪をガシガシとかきあげ、うーんと唸る女性。
クラスメイトが、誰よりもわかりやすく、先生に助けを求めている。

「⚪︎⚪︎先生は、こっちの方が良いと言ったし、自分はこうではないと思うし…」

授業は何人かの先生が曜日ごとに担当をしている。水曜日の先生と木曜日の先生のふたりに相談し、それぞれの意見をもらった。それが女性の求める回答ではなかったようで、どんどんと深い瞑想の世界に入っていった。


先生が言った。

「意見として一旦受け止める。取捨選択は自分でする。」


ハッとした。
明らかに第三者の私。ついつい聴こえてくる会話に聞き耳を立てていた。

「取捨選択」

自分で選択して、自分で行動する。うまくいったら行いのおかげ。自分を褒めたり、周りに感謝をしたり。うまくいかなかったら自らの行いのせい。決して誰かを責めたりはしない。

これは、日常のこと。大人になれば尚更のこと。



人生を生きるたびに、次から次へと悩みごとは湧いてくる。

ぐるぐるぐるぐる。

頭の中を掻き乱す。ああでもないこうでもない。

何かきっかけがあればなあ。もう誰か決めてくれたらいいのに。

考えることを放棄して、藁にもすがる思いで脳内を駆けめぐる。

あの人なら何て言うかな、と。



そういうときって、ちょっと危険。

あの人の意見を訊いてみた。うーん、ちょっと違うかも。

じゃあ、別のあの人に訊いてみよう。え?私否定された?

あの子ならわかってくれるはず!あ、最近忙しいんだね、じゃあしょうがないね。

「あなた困ってますか?」

どこからかそんな言葉が聴こえてくる。

「はい!私困ってます!」

「あなたは運がいい。
この壺を買うと、すべての悩みが解決します。」

「壺…」

「そのままの君でいいんだよ。」

甘い言葉が心に染みる。そっか、このままでいいのか。何も決めなくても、変わらなくても、ずっと。

「あなたが言うなら。」

誰かにそう言って欲しかった。でもいいのかな、このままで。

「あなたがこのままでいいって言ったから。」

「そんなこと言ったっけ?」

あれ、聞いてなかったのかも。


もちろん、信頼している人に悩みや自分の考えを聞いてもらうのはいい。すっきりするし、話ながら気づくこともあると思う。

でも、ぐるぐるしたままのものを相手に投げて、聞く側も一緒にぐるぐるしたらどうだろう。

一緒に困ったね〜と言い合うことになったり。
それらしい言葉をかけてもらったり。
意見や指摘をもらえたとして、受け取る側の器は備えているだろうか。心ここにあらず、では響くものも響かない。

煮詰まっているときほど、視界が狭くなる。

器は小さくなる。


「もう一度、考えてみます。」

クラスメイトは言った。

トレース(見本と同じものを作成すること)は誰よりも早い彼女にも、苦手なことはあるらしい。それを知って、ちょっとだけ安心した自分がいた。


ぐるぐるしながら集中して、たまには空を見上げて日差しを浴びて。

考える時間、考えない時間を繰り返して、

少しずつ向き合う。正面から横から後ろから。

そしたら、
縋ることすら、忘れてるはず。


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