自由、平等、おんなの友情。
仲のいい友人がいた。
大学生の頃、当時住んでいた名古屋の街で開催された古本市。私たちはボランティアスタッフとして知り合った。
打ち合わせのために集った、
こぢんまりとした雑貨屋さんの店内。
「はじめまして。よろしくね」
と言葉を交わしたときのこと。
今でもしっかりと覚えている。
偶然、同い年で同じような学部に通う大学生のふたり。
さらに「古本市」という非日常的なイベント要素も加わって、私たちの関係はみるみる近くなっていった。
退屈だった大学生活にやわらかな希望を注いでくれたのは紛れもなく、彼女で。
やっぱり好きなもので繋がれる関係は強いのだ、と気持ちが高揚していた。
仕事に就いても、変わらず定期的に顔を合わせた。
ゆっくり生きているようで、真面目で律儀なところがある彼女に、どこか安心感と自分に近い何かを感じ取っていたのだろう。そうすることで、自分を保てていた、のかもしれない。
いつしか、私が名古屋を離れ、物理的に彼女と距離ができていった。
月日は流れ、私は結婚をした。
「元気にしてるかな?」と思いつつ、わざわざ報告をするのもなんだか歯がゆい。
と思ってたら、彼女から連絡が入った。
「やほ~結婚したよ~」
と。
そうだ、彼女のゆるさにいつだって助けられてきたのだと、思い出した。
秋。互いの結婚を祝おうと、京都で落ち合った。
会っていなかった年月をまるで感じさせない、彼女の懐はやはり揺るぎない。
同じようなテンポで話し、同じような思考回路で、同じ時期に結婚をして…
これからもそうなのかな、と思っていた。
「子どものことはどう考えてる?」
30歳を目の前に控えた女ふたり。
夫婦の間に子どもの予定はあるのかと尋ねる、特別ではない話題。
「まだ夫婦ふたりでって考えてるよ」
「そっか。わたしはできるだけ早くかなあ」
子どもはまだ先と考える彼女と、なるべく早くと考える私。夫の考えや年齢を考慮した話ではあるが、彼女はそう考えているのだなと、特に深く考えず言葉のままに受け取った。
再会から、数ヶ月後。
「結婚記念日おめでとう!」
記念日を迎えれば、友人夫妻も1周年だと同時に思い出すことになる。互いの入籍日が近いおかげだ。お祝いの気持ちを伝えた。
「ありがとう!みどりちゃんもね」
「うん、ありがとう。最近どうしてる?」
たわいもない会話を続ける。
「実はね…妊娠したの」
と返信があった。おめでとうの気持ちと、想像してなかった言葉で少し戸惑った。
子どもを希望していた私と、まだいいと言っていた彼女。
1年間夫婦生活を送っていれば、子を授かるというのはいたって自然なことだ。取り立てて驚くようなことではない。
なのに、彼女に対しては例外だったらしい。
そう感じた自分に困惑した。
それから数ヶ月後。
彼女から無事産まれたと報告を受けた。
産まれたばかりの赤子とは思えない、口角のきゅっとあがった頼もしい笑顔。やさしい目元が友人にそっくりだった。
子どもはみんなかわいいと思うのだが、彼女の子だからか特別にかわいく感じた。
「おめでとう!!」
結婚記念日を互いに祝うことよりも、ずっとずっと、かけがえのない瞬間を共に喜べたような気がした。
また秋がやってきた。
私は東京に、彼女は変わらず名古屋にいる。
ずっと変わらないと思っていたこと。わずかな機微を汲み取って、さらにふくみをもたせて返す彼女の言葉。
変わらない。
だからこそ今、互いに傷つけまいと相手への言葉を選んで会話をつないでいる。
現実は変わってきている。
彼女は一児の母で、私は働く主婦で。
どうしたって噛み合わなくなってくる。
あんなに尽きないと思っていた言葉を、今は必死に搾り出して音にしている。
“結婚したり、子どもを産んだりすると、
付き合う友人は変わってくるよね。”
耳が痛いくらい聞いてきた。
きっとそうなのだろうなと思いながら、そうでなければいいのに、とどこかで思っていた。
ついにこの時がやってきたのだ。
さみしいな、と思う。
決して、幸せを喜べなかったり妬んだりはしていない。
ただ、話がむずかしい。それだけ。
結婚するもしないも、子どもを産む産まないも、自由。
働きたい人も専業主婦でいたい人も、どちらが偉いなんてことはない。対等だ。
それが令和っぽい。
けれど、えらぶ道によって、
新しい出会いもあれば、過ぎ去っていく関係もかならずある。
今は
ゆっくりとそれぞれの道を進む。
こんなこともあったね、といつか語り合える秋を楽しみにして。