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豊かさってなんだろう。

ピロン。

LINEの通知がなる。
近所にあるミスドからのお知らせだ。

ドーナツを購入すると、もれなくもう1つプレゼント券(条件あり)が当たるチャンス!とのこと。どきどきしながらくじのボタンを押す。

当たるかな、当たらないかな、当たるといいな…


「よし!!!」

みごと当選。

嬉しい!純粋にクーポンがもらえてハッピーな気持ちと、なかなかミスドに寄る機会がないので、こうして行くきっかけになるのは、有り難かったりする。

まんまと乗せられ、ドーナツを買って帰ることに。


ぱっと晩ごはんを作って、食べて、片付けて…
それからドーナツタイムにしたいのは山々なのだけれど。

ランチを軽めにしているからか、帰宅したとたん、お腹から豪快な音がでる。ぐっと堪えて台所に立とうとするが、腹ぺこで力が出ない。

仕方ない…
だって動けないんだもの。

と、ごはん作りの前におやつタイムを挟む。

先ほど調達してきたドーナツをひとつ。
ぱく。もぐもく。

うまい!



幸せに浸っていると、ある出来事を思い出した。

楽しくおやつの話をしていた最中、

とある女性が、
「ミスドって安いよね」と言った。
だからついつい買って帰っちゃう、と。

先ほどまで甘い話に心が踊っていたはずなのに、暫しかたまってしまった。

え??
ミスドって安いのか???

頭の中がぐるぐるする。

生まれつきの貧乏性、かつ貧乏生活を経験しているため、生きるために必要でないもの=贅沢品という思考が染みついて取れない私。

どうしても「安い」という言葉への違和感が消えない。




だが、女性の考えにも一理ある。
チェーンのドーナツ屋やケーキ屋はこぞって値上げをしているのなかで、ミスドは少しの値上げは仕方ないとしてもまだまだ小学生がお小遣いで買えるほどの良心的な価格設定ではある。100円2枚あればひとつ、500円玉を握りしめていけば、ルンルン気分でいくつか選ぶことだって可能だろう。

だが、1歩下がって考えてみると「安い」の定義がゆらぐ。
例えば、ドーナツを家でこしらえる。普段から料理をする方であれば、お家にあるバター・お砂糖・卵・薄力粉、それにペーキングパウダーを用意すれば、最低限ドーナツらしきものは完成する。それも億劫だわ、という方には、主婦の味方ホットケーキミックスをお勧めする。ぐっとハードルは下がるだろう。
手作りすれば、自分好みの味に。それに、500円あれば立派なドーナツにフルーツなどのトッピングも叶う予算だ。

そう考えると、やはり「安い」と言ってしまうのは少し強引な気がしてしまう。


一方で、「手作り」する手間を考えたい。
レシピを検索して材料を調達して工程を再度確認して料理に取り掛かる手間は、どうしたって億劫だ。まず、そんなこと考えたくないかもしれない。

その手間暇をお店に任せて、あとはこちらが欲しいものを選ぶだけ。であれば、確かにそれは「安い」のかもしれない。

おやつを「買う」ことで、

ごはん作りに力が入る。
ご機嫌になれる。
家族が喜ぶ。

としたら…

金額の安い高いは、もはや関係ないような気さえしてくる。



そうは言っても、私は

「ミスドって安いよね」とはなかなか言えない。

500円を握り締めてミスドに行ったあの頃のように、今だって「ミスドに行くぞ!」と心に決めてお店に向かっている。

好きなものをひとつふたつ。
妻と夫と合計4つ買って帰る。

クーポンを利用して500円に収まるお会計に、思わずふふふっとしてしまう。

きっと夫も喜んでくれる。

そう思うと、この500円はお買い得とご機嫌が詰まっていて、決して高価なものではない「贅沢さ」がたくさん詰まっているように思う。

これが、あの女性が言っていた「安い」という意味なのかしら…

うーん、でも人のことは結局よくわからないし。



そんなことを考えていたら、ついついふたつめのドーナツも平げてしまっていた。

ふう、美味しかった。

一日を振り返る
懐かしい思い出に浸る
大切な人のことを考える

そんな瞬間をうむ、おやつのじかん。
きっと、これは「豊か」なひとときなのだろう。


さつまいも系をふたついただきました🍠🍠
秋は美味しいものがいっぱい


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