4ヶ月間の変化。
私は毎日、自宅のお祈りのスペースにて手を合わせるときに言うことがあります。
「私はやりたいことをやりたいようにやります」
神社でもです。
夏からのこの数ヶ月、メンタルトレーニングを受け初めて、様々な変化がありました。
※前回の記事を読んでもらうと変化っぷりと、話のつながりがわかりやすいかもしれません。
(前回のはこの記事ほど長くはないです)
離婚した。
車を手放す。引っ越す。
繋がりの深かったコミュニティと距離を置いた。
SNS上でも付き合う人が変わった。
と、目に見える現象はざっとこんな感じですが、私の内面はものすごい変化をしています。
離婚一つとっても、全く現実的に考えられなかったことなのに、視点を変えて、捉え方を変えて、自分の本心を見つめ直してみると、こうしたほうがいいね!と夫とお互いになり、稀に見る円満離婚だという自信すらあります。
話が出てから超スムーズに提出完了。
その後の手続きについて役場に相談に行ったときも、担当の方と3人で笑顔で話す光景は、まるでこれから離婚する夫婦には見えなかったはず。
子どもたちともたくさん話し、話を聞き、パパのことも大好きなまま。
夫婦という形に窮屈さを感じていた夫と私は、お互いを尊重しあい、仲良しに。
夫婦というより、親友とかビジネスパートナーとかそういうふうにいたいとお互いに思っていた。
これからもっと仲良くなっていくんだと思います。
夫婦としての役割があったんだと思っています。
子どもたちをこの世に生み、小学生まで育てるということ。
夫がどう感じているかはわからないけど、私にとって、大切なことを色々教えてくれている子どもたち。
私にとって必要なこの子たちを、一緒に目の前に生み出すという役割を
夫が担ってくれたのかもしれないし、
お互いにそうなのかもしれない。
長男が「ママがぼくのこと産んでくれてうれしい」と言ってくれたその言葉には、長男の心からの安心感を感じて
あぁ本当によかったなと私も安心感を感じました。
毎日「しあわせだね」と言ってます。
3ヶ月前は、自分がシングルマザーになるなんて考えもしてなかったのに。
この選択をしてよかったと思っています。
離婚の話ばかりになってしまいました。
現象的には一番大きくわかりやすいものだったので。
あとは内面。
これはとてもしんどかった。
自分の過去のトラウマを掘り起こし
インナーチャイルドに向き合った。
過去の、思い出したくなくて蓋をした出来事や感情がフラッシュバックするときってありませんか?
いやだー!って思った瞬間にシャッターを閉じて無かったことにしてた。
それを、いやだったよねと認めて、どんなことが、なぜ嫌だった?などと当時の自分に聞いてあげて、言わせてあげる。
だって当時は言えなかったし見ようとしてなかったから。
(これを打ちながら涙が出そうになっているので、まだ癒しきれていないみたいです。笑)
無かったことにしたいくらい嫌だったことをわざわざ思い出してまた感じるわけですから、そりゃ辛いです。
でも
やってよかった。
許せなかったことが許せた。
家族のことだったけど、相手を許せたし、あの頃の自分のことも許せた。
そして気づきがある。
過去のそういう経験は、今の自分の思考の癖の元になってたりする。
それのせいで窮屈になっていたり、自分で自分を苦しめていた。
それに気づけた。
思い込みやブロック、制限、そういうものから解放されるのを感じました。
そうするとほんとに楽になりました。
自由を感じました。
「こうじゃなきゃいけない」みたいなのも自分が作り出した幻想で、それで自分の首を絞めてたなんて、そんなの気づかなかった。
人から「真面目すぎる」と言われ続けてきたけど、それがどういうことかわからなかった。
やっとわかってきたし、もっと自分の心のままにいていいんだと感じました。
そうやって自分の内観を続けていました。
そして最近、冒頭の「私はやりたいことをやりたいようにやります」
が叶っていることに気づいたのです。
子供が生まれてからずっと、
欲しいものは物じゃなく時間でした。
でも今は、子どもが家にいても大抵のことはできていることに気がついたのです。
1人の時間だって作ろうと思えば作れてます。
こうだったらいいなと願ったことがほとんど叶っていたんです。
ないものはない。
欲しいものはあるけど、不足は感じていないんです。
これって幸せの最上級じゃんって思いました。
これを感じたかった。
と、これが1週間くらい前。
トラウマを一つ解消したら次の現象が起きて、そこからまた次のトラウマと向き合う、みたいに試練は次々とやってきました。
小ボスをクリアしたら次のステージ、そこにはまた新しいボスが待ってる、そして冒険は続く、、みたいな感じです。
でも、超えるたびに確実にレベルアップしています。
ないものはない!やりたいことをやりたいようにやれている!私は自由だ!
と最高を味わったのも束の間、次のステージです。
「やりたいことをやりたいようにやれています」
と手を合わせるようになっていたのに、
ある日違和感を感じました。
「やれて、、、るっけ?」
〈整体のコミュニティと完全に離れる〉
次のミッションはこれ。
距離は置いてるけどそれだけじゃだめみたい。
自分がやりたいことは、そのコミュニティにいたらできない。
古い慣習に縛られたくない。
私のやりたいことを理解されない。
そもそも違和感。
1人だけかも。深い心の繋がりを感じるのは。
その協会自体とはもう自分は理念が違っている。
大きく目指すものは同じ
だけど、細かいところは違う。
その理念の中では私のやりたいことは許されない。
目を掛けてくれたおかげで成長できたのはありがたい
けどそれだけプレッシャーも負ってた。
協会のため、社会のために、頑張らなきゃいけない!
自分のことは後回し。
それが結局自分のためになると。
そうかもしれない、いや、そうかもしれないとする。
施術や人との向き合い方はそれぞれとしても、そういう同じ考えのもとに集まった人たちの中で、自分を後回しにして生きるなんて、私は絶対に嫌だ。
そもそも、生き方を人に決められるなんてことが気持ち悪い。
自分の理念は自分で決める。
自分の信じるものは自分で決める。
自分を信じる。
それが誰かの信じるものと違うだけ。
「私とあなたは違うね^^」
ただそれだけのこと。
それだけのこと。
私は変わったんだ。というか、はっきりしたんだ。
自分の心を見るようになって、本当の望みを出せるようになってきたんだ。
早く抜けたい。
でもそこでの役割を担ってるもんだから、
ただフェードアウトというわけにはいかない。
ここなんだよな。
師匠に伝えないといけない。
私はこう思っているということを。
だからこの協会の人間としての活動はしませんということを。
がっかりすんだろうな。
見損なったと言われるかもな。
こういうやつがいたって悪い例として伝えられるかもな。
私の活動を否定されるかもな。(すでに軽くされている)
こわいな。
でも
改めて伝えたらわかってくれるかもしれない。
いや、わかってもらえなくていい。
私がどんなふうに活動するか理解してくれなくてもいい。
ただ、離れたところで、見守ってくれてればいい。
んーそれすらなくてもいい。
元気でやってるな、って一年に一回電話するくらいでいい。
師匠にはとっても感謝している。人生変わったくらい出逢えてよかった人。
だけど、私は今を生きているし、これからも私を生きる。
師匠のために生きているわけじゃないし、いつまでも引き摺らない。
子どものために生きているとも特に思ってないし、私が私のために生きることが子どものためになっていると思ってる。
それは私の整体を受けてくれる人にも同じようにいえること。
だから
私が一番大切にするべきは私自身で
一番意見を聞くべきは私自身の声。
気分を悪くしないだろうかと一番気にすべき相手は私自身。
人から怒られたら悲しいけど
私が私に怒ってるなんてもっと悲しい。
何が合っても離れない、一生一緒にいる人なんだから。
私は私に信じてほしい。
周りに誰もいなくなっても、自分だけはずっと一緒にいる。
よし。
ふわふわしてた不安がクリアになってきた。
この想いがブレない軸として自分の中にぶっとく感じられるようになったら伝えよう。
そしたらもっと
「自分のやりたいことをやりたいようにやっている」
と自信をもって言えるようになるだろうな。
そんでそのときって
超幸せだろうな。
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