見出し画像

才能を「固定化」しない。

こんにちは!はたなかみどりです。

「感性を開く」をテーマに、NVCやグラレコを用いた個人セッションや講座をする傍ら、シンガーソングライターの活動もしています^^
🔗活動についてはこちら

さて。

最近、自分の枠をどんどん拡げてまして、毎日1枚ずつ玉ねぎの皮を剥いてる感じ。(剥いてるけど、大きさは大きくなる感じ)

才能とか、感じ方とか、クセとか、信念、個性と呼ばれるものすら、自分が狭い概念の中で創り出していただけかもと思ってる。

いや、もっといえば、確かにそこに才能や感じ方はあるけど、『それが自分らしさだよね』と固定化すると、それ以上の可能性は、絶たれてしまう。


本当はもっと別の世界もあったかもなのに。

多分こんなふうに思うのは、"変わり続けてきた"からなのと、今もなお"変わり続けていくぞ"と更に、決めたから。


今ある目の前の現実はとても尊く、幸せ。それを受け取め、感じることは大事。


でも、『その先には行かなくていい』ってした瞬間に、その先の道(=可能性)はもう自分の中には見えなくなってしまう。

それはなんだか、もったいない。

だってもっと幸せな場所があるかもしれない。
もっと新しいよろこびが、あるかもしれない。
もっと知らない自分や世界に、まだまだ出逢えるかもしれないんだ。

そうかー。最近、診断系とか鑑定とかに対して少し悶々としていたところの理由はこのへんにあるのかもしれない、とおもった!

診断も鑑定も、わかりやすいし面白いし整理もされて大好き。伝えやすさもあるし。

でも、それはある種の"枠"でもある。(ラベルをつけるということへの抵抗感かと思い込んでたけど、ちょっとちがうかもだ)

"自分らしさ"と定義された、枠から出にくくなることでもある。

本当はその枠の外の世界に行けるかもなのに。(出られる人は相当、自分の感覚に対して信じられるちからが育っている人だと思う)


もちろん、悩んでる時・道に悩む時に、そういった『枠』は指針になることがある。

心を落ち着かせたり、勇気をくれたりする。

キャリア選択に悩んだ時に、方向性を教えてくれる道しるべになったりもするから要は『本人の使い方』と、『伝え手の伝え方』が肝なのだと思うけど。

"枠"は守るものでもあり、"制限"でもある。

それはいわゆる、適性・才能・強み・好き、と言われるあらゆるものに、感じるかも。

本質は変わらない。けど、"本質の出方"は、人生のフェーズやその人の過去の癒され具合、そばにいる人などあらゆる要因で変わる。(↑才能〜とかは、本質の出方の話かなと思うの)

こんな抽象的な話が果たして伝わるのかは謎だけど、そんな言葉が出てきた。

要は、心から望めばどんな自分にでも本来なれるポテンシャルがあるのだ、ということ。人間のちからって、結構すごいですね。


\「感性を磨くお便り🎨」という公式LINE作りました!/

不定期で、「感性を磨いたり、心を整えるtipsやワーク」などをLINEでお便りとしてお送りしています。ぜひ。また、個人セッションのお申し込みやお問い合わせもこちらからお願いします!

いいなと思ったら応援しよう!