マスコミがいないとどうなるのだろう?
毎日良いニュース、悪いニュースに一喜一憂する。
今みたくネット全盛じゃない時代もマスコミは存在した。先の大戦もマスコミの報道によって皆んながミスリードされた事も多い。「ペンは剣よりも強し」というが、ネットの時代になり、マスコミは昔以上に強くなった気がする。溢れる情報と玉石混交の内容に、見る側が今までより自分で取捨選択をせざるを得ない。
ふと、私は考えてしまう。
スクープって、盗撮のことじゃないよね?
軽減税率受けて忖度してないよね?
報道の自由はミスリードする事じゃないよね?
もしも、マスコミが存在しなければ、どの様な世界になるのだろうか?
マスコミ全部が悪い訳ではない事は前提として考えてみた。報道の自由ということがあるお陰で、何でも許されている気がする。例えば、事件の被害者情報を必要以上に報道すること。紙だけの時代とは異なり、名前と住んでいるおおよそのエリアが分かれば、誰もが情報は収集することが簡単になった。そんなに詳細に被害者だけ報道する必要はあるのだろうか?
報道の自由ということで、あまり前になっている盗撮、盗聴。これに関しては、相手によると思う。相手が巨悪な場合はとても有効な手段だと思うけど、これが、芸能人とかになると、ストーカーの盗撮、盗聴との違いがよく分からない。やっている事は同じだけど、マスコミには報道の自由という水戸黄門の印籠みたいなものがあるから、許されるのだろうか?
ミスリードしていないか?有る事無い事を書いて、検証せずに事実確認せずにしているのだろうか?もし、どこかに漏れ、抜けがあって結果的にミスリードしてしまったとしたら、キチンと謝れば良いのに、謝罪する記事をあまり見かけた事はない。
昔以上に影響力があるマスコミは、最早、「ペンは剣よりも強し」どころではないのかも知れない。個人を、街を、会社を、国を、マスコミは思うがままに、ミスリード出来る力を持っている。マスコミ側が「ペンの力」を勘違いしてしまう輩がいるのでは?と思ってしまうことも多くなってきた。
とはいえ、マスコミからの情報をシャットアウトするのは、とても簡単。
テレビ、ラジオ、ネットに繋げなければ良いだけだ。
デジタルデトックスも本格的に考えなければと思ってきた。強すぎるマスコミの影響力の支配から逃げる必要性を感じるようになってきた。ずっと情報をシャットアウトしている状態が続けば情報弱者と言われるだろうけど、ミスリードされたり、支配されるくらいなら、あえて時には情報弱者になるくらい自分から情報を遮断するのも良いのかも知れない。一時的、強制的にでもしないと、フラットでまともな考え方を出来なくなってしまう気がする。
読書がストレス解消にとても有効だという記事を見かけた。本の中に逃げ込むことが、一番手っ取り早い方法なのかも知れない。