人生経緯

根暗で卑屈、それが私です。

5、6種の障害を持っている重度心身障害者のため、現在は療養中です。

あまりTwitterで書くのも躊躇われるけど、仲良しの皆には知ってもらいたくて、思い切ってnoteを使ってみました。


私の一番古い記憶は、泣き叫ぶ母と、怒鳴り続ける父、その間をワタワタしながら母を慰める私の構図です。私の家庭は父のDVにより、いわゆる機能不全に陥っていました。絶え間ない大喧嘩が嫌で嫌で、当時5歳前後の私はいつも父母の顔色を伺い、ご機嫌を取り、口を交わさない父母のために伝書鳩の役割を受け持っていました。

DVから逃れるため、15歳の次兄と8歳の私を引き連れ、母は実家に帰る選択をします。母の母(祖母)も父と瓜二つの性格をしており、顔を合わせれば母の悪口を捻り出して私に言い聞かせるような人でした。引越し先は悪い意味で田舎らしく、他所者を受け入れません。次兄も私も学校でいじめにあい、心療内科のお世話になりながら不登校の生活が始まります。

不登校になった頃からでした。少しぼかして書きますが、次兄は私に手を出すようになりました。身体中にあざができたり、お風呂を覗かれたり、下半身を弄ってきたり、限界まで首を絞めてきたり、キスマークをつけたり、耳や首元を舐めたり、股間を押し付けてきたり、押し倒してきたり、一つ一つが私にとって修羅場でした。次兄は母の前でもキスマークをつけたり舐めてきたりしてきて、当然私は母に助けを求めるのですが、「悦んでるね」と笑われて絶望した記憶があります。

一度、「これは絶対に犯される」という空気の時があり、生理と嘘をついて難を逃れたことがあります。上に乗られてがっしりと掴まれて、相当怖かったです。今でもこの時の悪夢を見て、数日動けなかったりします。

次兄もDVやいじめの被害者です。ぶつける先を求めて苦しんでいたのでしょう。それでも私は次兄を許すことができず、そんな自身に絶望し軽蔑しています。

上で人の顔色を伺っていたと書きましたが、そうして育った人のことをピエロと言うそうです。この辺りは勉強不足であまり詳しくはありません。誰かが辛い立場のとき、傷ついているときなどに、必要以上に明るく振る舞ったり、時には自分を犠牲にして場を盛り上げようとする、そんな感じだったと思います。私の場合はそれが災いして自己を持てず、よく自分がないと評価されます。

時が経ち、就活のための自己分析でこの過去を客観的に見てしまってから、PTSDを発症するようになってしまいました。特に性的なDVを受けた面は私を苦しめ、「反動形成」と呼ばれる作用から、夜の街を徘徊するようになり、死ねる時が来たら死のうと思ってフラフラする毎日でした。

反動形成とは、自分が受けた傷を、敢えて自らまた受けにいくことで、いままでされてきたことは「普通」のことなんだと思い込ませる心理及び行動のとこを指します。この辺りは上手に説明できないので、興味のある方はお調べください。

数ヶ月夜の街をうろついて、ボロボロになって、ああもう死のう、そう思った矢先に現在の夫に救われ(念のためですが健全な出会い方です)、5年くらい介護してもらう日々を送っています。体良く言えば専業主婦になりました。ほぼ一日中寝てますが。たまに体を動かせる時にお皿洗いや選択、掃除などをこなします。

現在は就活をしてたときよりは症状が落ち着き、もちろん家庭を持ったことで深夜徘徊も治り、障害者枠で社会に出られるようになるまで寝たり起きたり勉強してみたりの日々を送っています。

運良く相性のいい先生の心療内科に巡り会え、これでも日々頑張って生きています。

文章力がないのに、ここまで読んでくださった方がいたらありがとうございます。最後に、現在の障害を羅列して、お友だちが増えたらいいなあと思って終わろうと思います。


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