自殺した父を想う1-幼少期-
そんなことが起こる未来なんて、想像していなかったであろう、幼少期のこと。
私が生まれたのは、関西の田舎町。
8つ上の兄がいる平凡な商人の家に産まれました。
幼少期のことは、自分の記憶なのか、写真や話から後で知ったことなのか分からないけど、
愛されていたことは間違いない。
今では、気難しくてずる賢い兄も凄く可愛がってくれた。
ブラコンだから、そう思いたいのかもしれない。
いつも、ワガママを聞いてくれて甘やかしてくれる父。
すぐに怒るこわい母。
それが周囲からの印象だったのでしょう。
私もそう捉えていた。
今ならアッサリと分かる。
ほとんど仕事で居ない父、良い役を貰ってたんだな。
自分の旦那だったら、嫉妬してもおかしくない。
でも、子どもの私にとって優しくて、母に怒られたら逃げ込む場所が父だった。
集落って感じのところが、家々がどんどん新しく建て替わって、住宅地って感じになった町。
女性は専業主婦が多い。
皆んなが、そこそこ気楽に生きていたんじゃないかな。
だから、近所はみんな家族みたいな。
勝手に近所の家に出入りしていた。
中でも三件隣の家、松本家にはいつもお邪魔していて、松本家のおじさん、おばさんのことを何故か「お父さん、お母さん」と呼んでいた。
本当の父と母のことは「とおちゃん、かあちゃん」と呼んでいた。
後に、自殺をすることになる父の人物像。
子どもながらの認識のままなので、単純なところしか分からない。
私の認識としては、背が高くてとにかく真面目で優しい。
今考えると、優しいの前に気が小さかったのかも。
よく働く。
歴史が好きで、いつも本を読んでいる。
骨董品を集めている。
写真や絵が好き。
子どもの私の認識としてはそんなところ。
父のことは表面的なことしか、知らないんだなと思う。
子供だったから、内面の深いところを見ようと意識はなかったからなのかもしれないけど。
死後、31年の間に知っていたことも記憶が薄れてしまったのかもしれない。
人生に忙しくて、ゆっくりと想うことは出来ていないままだった。
心理学を学び始めて、最初に分かったこと
私は自分のインナーチャイルドに鉄の蓋をしている。
自然と、無意識に、いつの間にか、されたインナーの蓋。
自分では、過ぎたことをクヨクヨとしている場合じゃないからって感覚。
その蓋の中にどれほどの悲しみが隠れているのか、今はまだそこまではのぞけていないかもしれない。
でも、確実に少しずつ、インナーの中に入っていけている実感はある。
これから、このことについて、noteで考察することで、記憶の中に押し込めた父や、私の悲しみがまた現れてくる気がする。